昭和幻風景 ジオラマ展

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年10月23日 22:00

先日、所用の合間に捻出した時間で「昭和幻風景 ジオラマ展」に足を運んだ。
場所は日本橋。高島屋の8階で10月30日まで行われている。

このイベントは、ジオラマ作家として有名な山本高樹氏の作品を展示。
まだこのお名前を知らなくても、NHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」のオープニングタイトルのジオラマ、と言えばおわかりになる方も多いことだろう。

今回、山本高樹氏がこの10年間に制作した作品およそ30点を展示。
その1つ1つのどれもが、昭和の古き佳き時間の流れを漂わせているのが素晴らしい。
もちろん、梅ちゃん先生のジオラマも大人気だった。

車掌長が初めて山本高樹氏のジオラマを拝見したのは、ふと立ち寄った青梅市にある「昭和幻燈館」。
元々は「赤塚不二夫会館」や「昭和レトロ商品博物館」の見学が目的だった。
この2館の入場料で3館全てを見られる共通券があり、正直に言うとおまけ感覚で立ち寄った。

しかしながら、蓋を開けてみればこの「昭和幻燈館」が最も印象に残り、心が温かくなる余韻を感じた。

薄暗い館内では、1つ1つのジオラマが生活感のある暖かな灯りに照らされ、あたかも本物の街角にいる錯覚に陥ってしまった。
そして、車掌長がまだ生まれてもいない頃の、「昭和」の人々の心のゆとりや好奇心の塊を疑似体験できた。

山本氏も実際にはその頃の昭和を体験していないご年齢とのことだが、「妄想」の豊かさがこのジオラマに命を与えたのだろう。
「妄想」は男のロマンであるとともに、美学だと思う。

車掌長は山本氏の作品の中で、「隠れ里の温泉」が大好きだ。
人里離れた渓流の一軒宿に、至福の表情を浮かべながら川辺の露天風呂に入るオジサンと、その少し上流に架かるかずら橋の上に浴衣姿で佇む女性のジオラマ。

その後の物語は見た人の「妄想」にお任せしたいが、この作品の山本氏のコメントがまた素晴らしかった。
「温泉は人間を堕落させます」…

車掌長も共感…

付け加えれば、そんな「ひとときの堕落」のために日常の仕事に勤(いそ)しんでいるのかもしれない。

末筆ながら、1つ1つの街に表情や人々の明るさと活気があった昭和への時間旅行をさせて下さったこのイベントに感謝したい。

いまの現実の街はどこも綺麗だが、整備され過ぎてどこも同じように目に映る。
不思議にもそこを行き交う人々の誰もが綺麗だが、魅力的というよりは「マネキン」のように見える。

それは、きっと街並みも人波も、見栄えばかりを気にし過ぎ、肝心な「心のゆとり」を置き去りにしてしまったからかもしれない。
また、人もモノも使い捨てという世相が、他者への共感や慈しみ、モノや街並みを大切に使い愛着を持つという「心の尊さ」を希薄にしたのかもしれない。

いつの日か、山本氏のジオラマの引き立て役として所有する時刻表を展示し、昭和への時間旅行に華を添えることができれば嬉しく想う…そんなイベントであった。
 

3000年の時を超えて

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2012年10月21日 18:22

今宵、オリオン座流星群が夜空を駆け巡る。
この流星群は国立天文台のHPによれば、約3000年前にハレー彗星から放出された塵とのこと。
お天気が良ければ、3000年の時を超えたロマンに浸れるかもしれない。

ところで、ハレー彗星といえば1986年に地球に最接近したことが記憶にある。
この年は正則高校を卒業した年であり、卒業アルバムにもその妖艶かつ華麗な写真が裏表紙にある。
ハレー彗星は約76年周期だから、次回お目にかかれるのは2061~62年だろうか…

ハレー彗星のように、一定の周期で巡り逢えるのもロマンチックで素敵だが、日常の身近にあり、かつ、ブレない星もカッコイイ。
車掌長が好きなのは北極星だ。

北極星は地球から見ると天の北極に位置するため、不動の星と言える。
故に、古来から天測航行の目印となった。
北極星を地平線から見上げた角度は、いま自分の居る土地の緯度に等しいことも心強い指標だ。

時に今日、国内も海外も政治・経済ともに激動の世の中であるが、北極星のような確かな己の指標を持ち得たいと車掌長は考える。

その北極星たるものを探し出せれば、道に迷った際の軌道修正も容易だ。
では、その自分自身の北極星とも言える大切なものは何であろうか…

秋の夜長、車掌見習の育成に慣れぬ深夜業務に勤(いそ)しみつつ、そんなことを考えてみるのも一興だ。
 

祝・鉄道開業140周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年10月14日 19:35

10月14日、今日は「鉄道の日」だ。
今年は明治から大正となって100年の大きな節目だが、鉄道開業140周年の節目でもある。

全国各地で鉄道事業者の沢山のイベントが行われたようだが、中でもJR東日本が親子を対象とした「ブルトレ復活」をさせたことは素晴らしいことだったと思う。
昨日、昼間は東海道本線の東京~早川間(往復)を、夜は横浜から秋田へのブルートレイン「出羽」を1日限り復活させた。
(車掌長の個人的な願望では、上野駅発であってほしかったが…)
何はともあれ、このような企画は鉄道の日に限らずどんどん実施していただきたい。

ところで、鉄道開業100周年だった1972年10月はどんなイベントがあったのか、ふと気になり当時の時刻表を開いてみた。(当該号がどんな表紙であったかは、アーカイブをご参照願いたい)

先ず筆頭として挙げたいのは、その時刻表(通巻560号)の表紙を飾った京都の「梅小路蒸気機関車館」の開設だ。
この施設は、鉄道開業100周年の記念事業として、梅小路機関区の扇形庫を活用。
1世紀にわたって我が国の鉄道輸送を支えた蒸気機関車を、貴重な産業文化財と位置づけ、動態保存を目的とした日本唯一のSL専門施設だ。

他にも、SLを各地で復活運転させたことが巻頭部分の臨時列車ダイヤからわかる。
下記に一例を挙げてみる。

・なつかしのSL「おもいで号」:八戸線(八戸~久慈)、C58形
・SL「白鷺号」:東海道本線(京都~姫路)C62-2号
・SL「デゴイチ伊賀号」:関西本線(湊町~柘植)D51形
・「汽車ポッポ南紀号」:紀勢本線(天王寺~紀伊田辺)D51形
・D51三重連:東北本線(盛岡~八戸)※定期貨物列車での復活運転

ちなみに、1972年10月号の時刻表には楽しい記事が満載だ。
例えば広告欄のはとバスには今では見られない「コンピュータコース」がある。
内容は「東京駅→富士通情報処理システムラボラトリ(食事)→日本不動産取引情報センター→日本電信電話公社展示センター」というものだ。

当時はまだ電卓が高価な品で、「最高級電子ソロバン」との売り文句も並んでいる頃だ。
きっと、当時の最先端の電算技術やシステムを見せ、それが観光としての値打ちがあったのだろう。

ところで、10年後の2022年はどんな150周年となるのであろうか…
いや、一体どんな世の中なのであろうか…

きっと今では想像できないような便利なモノや、価値感があるのだろう。
しかしながら、どんなに効率化や省力化が進んでも、自分自身の「脳のアウトソーシング(外注化)」だけは避けたいところだ。

それは、思考や想像、意思決定も人任せ、機械任せにしてしまうこと…
時刻表を使っていると、旅の行き方も人生の生き方も、「自分で決める」ことの醍醐味を気付かせてくれる。

 

達人の秘湯宿

カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2012年10月 8日 06:32

車掌長が「温泉の師匠」として敬愛する方がいる。
温泉紀行ライターの飯出敏夫氏だ。(以後、親しみを込めて飯出さんとする)

飯出さんは車掌長も所属する温泉達人会の代表だ。
そのお付き合いは、早いもので16年余りになる。
人気テレビ番組「TVチャンピオン」の温泉通選手権出場が、出逢ったきっかけだ。

飯出さんは山歩きが大好きな御方。
車掌長は勝手ながら、温泉と山歩きを組み合わせた秘湯の紹介は、飯出さんが第一人者だと思っている。
そんな飯出さんが今般、「達人の秘湯宿」という本を出されたので、ぜひ紹介したい。

飯出さんは山をこよなく愛し、その疲れを癒す温泉を、長年ガイドブック等で紹介し広めてきた。
「秘湯」と言えば、訪れる者を拒むかの如く、仙境にあるようなイメージを抱くだろう。
確かに、歩いて何時間もかかるようなプロセスやロケーションは、その湯を制した喜びも絶大だ。

しかしながら、本書で飯出さんがオススメしてくれる秘湯は、決して本格的な登山経験者や温泉マニアしか行けないような湯ではないのが素敵だ。
また、その湯や宿を大切に守る主人や女将、客をもてなすスタッフを必ず紹介している点が大好きだ。
これは「飯出イズム」とも呼ぶべき、飯出さんならではの温かな人柄が溢れる温泉の紹介法だ。
どんなに良い泉質や浴場、部屋、料理が振る舞われても、やはり最後に印象に残る佳宿とは「人の印象」によるところが大きい。
しかも、飯出さんが教えてくれる宿は、どれも良心的な値段だから嬉しい。

本書は月刊誌「旅の手帖」で過去に連載した「いい夜を過ごす秘湯宿」の全44回分と、同誌の温泉特集「飯出敏夫の"ぞっこん秘湯"ベスト30」を合わせ更に選りすぐった、ベスト64湯の紹介となっている。
冒頭にある「飯出流・秘湯の目安」も、実に飯出さんらしいユニークな6箇条だ。

サイズは気軽に持ち歩けるハンドブック型で軽量。オールカラー。
発行は交通新聞社で、定価は648円(税別)とお手頃だが、中身はそれ以上の価値がある。
お求めは全国の書店、コンビニエンスストア、ネット販売で可。

ぜひ、本書が鉄道好きの皆さんにも手に取っていただき、乗り鉄の合間に「温泉」も楽しんでもらえたなら嬉しい限りだ。(鉄道では行きづらい所も結構あるが…)

(追伸)
飯出さんは昨年、悪性リンパ腫の診断を受けました。
負担の大きな抗がん剤治療を何度も受けながら、入院や通院をしておられましたが、飯出さんご自身の闘病とご家族の献身的な介抱が奏功し、今は「寛解」の状態だそうです。

飯出さんは、この寛解の状況を保ちながら取材活動の再開に希望を持っておられ、きっと何度も行った全国各地の温泉を再度訪れ、1冊の本にまとめ著したいと仰っていました。

今般の本書発売が、ぜひその「かけ湯」となればと心から願います。

そして、再び飯出さんと温泉同好の仲間と、心温まる幸せな湯めぐりがご一緒できる日を楽しみにしております。
 

コメント(2件)

温泉おやじさんからのコメント(2012年10月10日 13:13投稿)

ご無沙汰しています。
掲載されている64軒の内いくつかは行ってますが、残り総て行きたくなりましたよ。これからの湯巡りのお供にしたいと思っています。
そう言えば車掌長さんは今回パスなんですね。一緒に星空でもと思っていましたが…(笑)
また何かの企画でお会いしましょう~。

車掌長さんからのコメント(2012年10月12日 23:04投稿)

温泉おやじ 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

今週は茨城県の内陸部へ出張に出ておりました。
お返事が遅くなり申し訳ありません。

仰る通り、今般の飯出さん出版の本、全て行きたくなりますよネ!
車掌長も、行っていない温泉の方が多いですヨ。

行った中で印象に残っている湯の1つは、十勝岳温泉「湯元凌雲閣」。
初めて訪れたのは1988年の学生時代でした。

まだ今ほどの温泉ブームでもない時代で、褐色の錆びた湯味と十勝連邦の美しさが想い出に残っています。
反面、施設的にはかなりくたびれていましたが、山の湯宿のムードは満点でした。

ちょうどTV番組「北の国から」が全盛の頃…
富良野の景色の雄大さに惹かれ、訪れたことを思い出します。

つい数年前の冬。富良野に行ったついでにぜひ行かねばと車を走らせましたが、麓は穏やかだったのに凌雲閣に着く直前に危険を感じる猛吹雪に遭って断念しました。
自然には逆らわないのが一番だと、身を以て知っているので後悔はありません。
またいつか訪れれば良いのですから…

ところで、今年の納会は私的慶事のためパスなのです。
黒部峡谷の湯も行きたい気持ちは満々でしたが…
姥湯の星空からもう1年が経つのですね、早いものです。

温泉おやじさんのHPも度々拝見しております。
またいつの日か、相湯のほどよろしくお願いいたします。

いよいよ温泉のオン・シーズンですネ!
秋の気配が漂うと、気もそぞろとなります。

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東急池上線開業90周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年10月 7日 06:55

昨日は東急池上線開業90周年(蒲田~池上間)の記念日だった。
ちょうど横浜の綱島に所用があり、帰り道にふらりと遠回りをして蒲田から五反田へと乗った。

沿線にはカメラを持ったファンが多く見受けられた。
皆のお目当ては、この日を記念して走る7700系「クラシックスタイル」の特別装飾車両だろう。

昨日はそんな賑わいがあっても、池上線のノンビリした雰囲気を十分楽しめた。

まずは蒲田駅の構造を鑑賞。
端頭式(いわゆる行き止まり)のホームが並び、上からみれば「ヨ」の字のようになっている。

この造りは、ここに長距離列車が来るはずもないのに、何故か「旅情」を感じさせる。
高い三角屋根も良い。大げさだが部分的に妄想すれば、欧州のターミナル駅に来たようだ。

次の用事があったので途中下車はできなかったが、池上駅ではホームに降り立った。
この駅は都内の駅とは思えない「構内踏切」が存在する。
つまり、出口へ向かう際のホームを横断する跨線橋や地下通路がないのだ。
蒲田方面から来た乗客は、後方の踏切を渡って改札を出ることになる。
これは貴重な光景だ。

また、ここのもう1つのお目当ては木製ベンチだ。
ホームの壁と一体化したような直角の造り。
長さは大型バス1台分くらいはあろうか…

長年、多くの人が座り電車を待ったイスの角はツルツルで、触り心地が素晴らしかった。
また、臀部(でんぶ)の当たり具合が絶妙だった。

今のイスのようにどっぷり座るものではなく、まさに腰掛け程度の浅さめの座り心地だ。
しかしながら、クッション性のかけらもないベンチなのに、程よい硬さと木製の柔らかさが大臀筋(だいでんきん)を喜ばせてくれた。

あまりに座り心地が良かったので、電車を3本見送った…

途中、旗の台駅にも同様のベンチを発見した。

終点、五反田駅は地上4階に相当する高さにある高架駅だ。
昭和の初めに五反田まで開業した際は、この高さは屈指の高架駅だったろうなと察する。
今やこの大都市東京で、こんな吹きさらしの見晴らしの良い高架駅も貴重な場所だと思う。

池上線は全線乗っても22分の短い路線。
だが、そこには昭和の古き良き雰囲気が、沿線の街並みや由緒ある寺院や史跡とともに、静かに「時」を刻んでいる。

日常利用されている方々には、他線に比べハード面で見劣りしたり、多少の不便さがあるかもしれない。
しかしながら、それらを差し引いても、いまやなかなか体験できない要素を大切に使いながら残し続けることに、歴史的な価値があると思う。

ひいては、それらを求めて多くの人々が集まる「ヒストリック・レイル」となる可能性を秘めている。
これは沿線全体、その線自体がミュージアムとなるイメージだ。
鎌倉の江ノ電のように、「イケ電」「ガミ電」として親しまれる存在になることも願う。

可能であれば、いつまでも合理化や効率化、上辺(うわべ)だけの美化の流れから外れ「そっとしておいて」もらいたい名線だ。