1985年秋と同じ場所で...

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年11月 2日 21:09

昨日、小型船舶免許の更新手続きを行った。
場所は麹町の海事センタービル。

免許取得は20年前、広島県の尾道海技学院での合宿コース(4日間)で取得した。
実技試験の際、憧れの尾道水道を自身の操舵で航行できたのは最高の気分であった。

以後、5年に1度この麹町で更新を行っている。
昨日も約1時間の講習や身体検査を受け帰ろうと四谷駅に向かった。
すると、駅前に「迎賓館赤坂離宮前庭公開」の案内看板が目に留まった。
これは行くしかない!と急遽、帰路を寄り道に舵を転じた。

迎賓館は1974年に開館。
旧赤坂離宮を改修したもので、戦後国際社会に復帰した日本が国際関係の緊密化に際し、国の迎賓施設の必要性から造られた。
日本における唯一のネオ・バロック様式の美しい建物だ。
この光景の中だけに居れば、一瞬日本ではないような錯覚に陥るが、前庭の立派な松を見てここは日本だと目覚めさせてくれる。
先日完全復原された東京駅丸の内駅舎とともに、日本の顔と言える施設の1つだ。

普段は入れない国宝の正門から、迎賓館本館への石畳を歩く感触は大変清々しい気持ちだった。
世界各国の国賓や公賓が訪れた際は、この両側に関係国の国旗が幾本も掲揚されるのをイメージしてゆっくり歩いてみた。

今回の特別公開は建物内には入れないが、車寄せまで入ることができた。
「国民総幸福量」を重んじる国、ブータンの国王夫妻も昨年ここに立ったと想うと感慨深かった。

四谷駅へ向かう帰り道、再び正門と迎賓館を振り返った。
ここは、正則高校の卒業アルバムで我3年G組の集合写真を撮った場所だ。
広い道の横幅いっぱいを占拠し、3年間共に過ごした34名が一列になって撮った貴重な一枚。
車掌長が卒業アルバム委員だったので、クラス写真はここで撮りたいと常々目論んでいた場所だ。

撮影は相当離れた距離から、愛用の中判カメラでブローニーフィルムを使用した。
大きなアルバムの見開きで1枚の集合写真としたが、ネガが60mm×45mmと大きいため、引き延ばしても充分な画質を保ち、9クラスある集合写真の中でも評判の1枚となった。
それにしても通学圏が1都3県に及ぶにも関わらず、みんなよく集まってくれたと思う。

家に帰って、久々にアルバムを眺めてみたら、今では迎賓館の後方に見える六本木ヒルズや東京ミッドタウンがないことに新鮮さを覚えた。
また、正門へ延びる道がアスファルトから石畳になっていることにも気が付いた。

1985年秋と同じ場所に立った今日。
歳月は流れ、中年になった己と高校3年生だった己の予期せぬ再会。
当時と変わらぬ同じ場所で、懐かしい旧友たちの顔が浮かぶ…

やんちゃな正則生だった皆も、今はオジサン街道真っ只中で何をしているのだろうか。
日が傾き、伸びる己の影にあの日の旧友の影も探した秋の黄昏…
 

古典の日

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年11月 1日 05:55

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也…

これは松尾芭蕉が著した「おくのほそ道」の冒頭。
車掌長はこの序章が大好きだ。
それは、芭蕉が旅に出る想いや衝動、何者かによる旅への誘いに共感を覚えるからだ。

今日は「古典の日」

車掌長は中学2年の教科書で松尾芭蕉と出会い、古典が好きになった。
徒然草の兼好法師のように、庵に暮らして世の中の風刺や人々の所業を冷静に綴る姿も、いまの車掌長の思考に大きな影響を与えてくれた。

また、枕草子の清少納言が見たり感じた日本の自然や季節の美しさを体験したいという想いは、旅に出たい動機として今でもリンクしている。
また、虫や植物、赤ちゃんといった小さな存在のものへの視点、愛情も素晴らしいと思う。

正則高校時代、古典を心底愛する国語教師に出逢えたことも良かった。
その恩師は小松崎文夫先生で、「コマっちゃん」と生徒から親しまれていた。
車掌長もコマっちゃんが大好きで、3年生の時は1週間の中で古文4コマ、古文法4コマ、鑑賞古典2コマ、計10コマの授業を受けていた。

特に印象に残っているのは、10月に大山(神奈川県)で行われる薪能鑑賞に連れて行ってもらったこと。
ひんやりした秋の夜、篝火(かがりび)だけの明るさの中、囃子(はやし)の音色とともに興じられる「能」の幽玄さに魅了された。

更に、古事記の原文にチャレンジしようと勧められ、丁寧に解説や登場人物のエピソードを織り交ぜながら授業をしてくださり、古典への親しみが一層増した。
また、その時に古事記に温泉の記述があることも知った。道後温泉や有馬温泉だ。

今の世の中は新しいものばかりを追い求め、与え続けられ、非常にせわしない。
もちろん、時は未来へ向かって日々進んでいるが、過去の時間を振り返ることも大切なことだ。
それは意図せず、新たな発見をもたらし今の生活を豊かにしたり、注意を喚起する契機にもなる。

車にバックミラーやサイドミラーがあるのは、前ばかり見ていては危険だからだ。
日頃の生活も、ふとバックミラーを見る心の余裕と注意力がほしいもの…と感じた古典の日。