バカンス

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年8月31日 06:15

8月が終わろうとしている…

そして、毎夏考えることがある。
なぜ、日本にはヨーロッパの多くの国々にあるような「バカンス」がないのだろう…と。

同じ夏を、1ヶ月ほども休める国々と、一度に多くの人々が集中して僅か数日のお盆休みを取る日本。
日本でも、子どもには「夏休み」があり、単に長さで言えば「バカンス」のように見える。
しかしながら、その親がお盆前後に数日しか休めない、或いはそんな数日さえ連続して休めない親も少なくないのが現状だろう。

日本の子供の夏休みと言うと、宿題に追われ、学校がないのに塾や予備校に通い、部活にも参加するイメージ。
一方、複数の方々から聞いた話では、ヨーロッパの子供たちは、宿題もなく、家族総出で日常を離れ、田舎暮らしやアウトドアを楽しむという。

そんな子供時代の過ごし方の違いの延長線上にあるのは、例えば「世界大学ランキング」などを見れば、東京大学よりも上の大学が世界には沢山あることも興味深い。

推測に過ぎないが、日本の学習方法よりも、思考力や発想力、創造力、探究力、何よりもコミュニケーション力というパフォーマンスのレベルに、圧倒的な差があるのだと感じる。

日本の子どもたちの多くは、かけがえのない、将来の「自分」につながる子供時代を、"生きることの愉さ"や"自分の好きなモノを知る"ことに直結しない"覚えるだけの勉強"に偏っていないだろうか。

また一方では、酷暑の中で集団行動を強いられ、時には暴力まで被る部活に明け暮れる運動や習慣に、馴らされ過ぎてはいないだろうか…
これでは、本来の1人1人の「持ち味」や「個」を喪失しているように思う。

せっかく、某グループ歌手が「№1にならなくてもいい、特別なonly one」と唱えてくれても、日本でのonly oneは、「lonely one」になりかねない。
大人であれば、就業時間内で仕事を終わらせ定時に帰ろうものなら、時間内に仕事を終えた能力よりも、「和」を乱す異端者的視線をちょうだいする職場も多いはず…

もし、そんな日本にいきなり「バカンス法」ができて、1か月間の休暇を強制的に取ることになったら、一体どうなってしまうのだろうか?

今までは、与えられてきた短い休みだからこそ、家でゴロゴロするや、パチンコ、デパートでのショッピングで時間を”潰す"ことができたが、1ヶ月もあったら飽きるし、何よりもお金がもたないであろう。

自分の休みを計画的に楽しめ、有意義に過ごせるからこそ、本来の「休日」であって、働く意欲が保持されたり、新たな発想も湧くように思う。

いつかかってくるかわからない仕事の連絡のために、スマホを手放せなかったり、気が休まらない状態は「休日」とは言えないと車掌長は考える…

そもそも、バカンスとは「空っぽになる」という意味合いもあるようだ。
なるほど、トイレで見かける「vacancy」は"空き"の意味だ。

つまり、バカンスとは、それまで自分の中に溜まった時間的老廃物を排出する仕組みなのだと思う。
それは、人によって異なるが、疲れやストレス、マンネリ、倦怠感etc…

日本人には、その排出する仕組みを与えられていないから、人は精神的に病み、生きる希望を失ったり、辛くなったりしてしまうのかもしれない。

詰まるところ、日本人は真面目だ。
それは、農耕水稲民族として、畑や田んぼを1日でも世話しなかったらどうなる?という、休むことへの罪悪感や、それが災いして食べられなくなることへの不安が、無意識に体に沁みこんだDNAなのかもしれない。

今日、都市部で農家として生計を立てている人は皆無のはずだが、みんな自分の時間を切り売りして働き、日々暮らすのが精一杯な状況なのだと思う。

皆どこかで矛盾や疑問を感じても、それを打ち消されたり、叩き砕かれるほど、サービス残業や長時間通勤に自分の時間を奪われているのだと想像する。

せめて、自己防御ではないが、1日の中に僅か30分でもいいから「空っぽ」になれる時間を捻出しよう。
スマホや携帯の電源を切って、「完全に自由になれる時間」に心身を漂流させよう。
これは、日々継続して実践できれば言葉では表しにくい"快感"や"癒し"を得られるだろう。

所詮、日本ではヨーロッパのようなバカンスは望めないのだから…
 

最近、感動したこと

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年8月27日 05:39

最近、感動したことがあった。

それは、車掌長の携帯電話が無事に生還したこと。
「哲×鉄」トップページの時刻表と一緒に写っている携帯だ。

お盆明け、所用で訪れた新宿の某高層ビルの業務用エレベーターに乗った。
地下駐車場から、上層階へ昇る際の出来事だったが、床のモノを拾うとして体を屈めたら、シャツの胸ポケットに入れてあった携帯がスッと落ちた。

その業務用エレベーターは、フロアの扉とキャビンの扉との隙間が広く、携帯はその隙間にジャストなタイミングで転がり、落下した。
B1階での出来事だったが、慌てて「何階まであるんだ?」と思って、昇降階パネルを見たらB4階まであった。

用事が済んでビルのサービスセンターへ行き、事情を話した。
ちょうど明日定期点検なので、業者に確認してもらえることになった。
ただその際に、本体は見つかっても全損や機能不全が通例とのことであった。

かくして、翌日の夜に連絡があり、その翌朝取りに来てくださいとのこと。
当日、2日ぶりに我が携帯に再会…
外見は多少の傷が見受けられた。
電源は切れていた。

恐る恐る電源を入れてみる…
画面には「起動中」の文字が浮かび上がった。
やがて、アンテナが3本立ちはじめ、試しに電話やメールもしてみた。
動作確認完了!

その瞬間、よくぞ無事であったという感慨が込み上げた…
普段、携帯には特別な愛着を抱いていなかった。
日常も、通話とメール、目覚まし、たまに電卓しか使わない単なる道具に過ぎなかった。

しかしながら、この出来事で我が携帯がとっても愛おしくなった。
2次元バーコードも読み取れない、起動も遅い、メール画面のスクロールも遅いetcの、ナイナイ尽くしの携帯だが、車掌長の生活には過不足のない相棒だ。

2日ぶりに着信やメールの受信履歴を見てみた。
車掌長が安否確認に自宅固定電話から掛けた番号のみであった。

これもまた、車掌長らしくして安堵した。(笑)

スマホも便利なことは、重々承知している。
しかしながら、世の中はもう十分便利すぎるので、車掌長にはモッタイナイ。

それらに関わらなくて済む、依存しなくて良い時間を、大切にしてゆけたらと感じた。
 

幸福駅(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年8月24日 08:49

哲×鉄車掌区慰安旅行の記録も、これが最終回。

4泊5日の最終日は、早起きして「雲海テラス」にチャレンジした。
これがトマム滞在中の2つ目の楽しみであった。

いまやトマムと言えば、この「雲海テラス」をイメージするほど有名になった。
もともと雲海の発生しやすい地形や、気象の条件が重なった時に、神秘的な自然の芸術を目にすることができる。

しかしながら、毎日見られるわけではないし、ついさきほどまで見えていたのが一瞬で見られなくなってしまうなど、自然相手だけにまさに運次第…
実際、前日もチャレンジしようと早起きしたが、未明に雷注意報が出たとのことで、ゴンドラ自体が運休であった。

この日は定時(5:00)からゴンドラこそ運行していたが、部屋で確認できるインフォメーションでは「雲中」とのこと。つまり、上がっても雲の中で何も見えない状態…

しばらく、タイミングを見計らっていたが、せっかく来たのだし、ダメならダメでも良しとして6:15頃にシャトルバスでゴンドラ乗り場まで行ってみた。

既に乗車待ちの行列ができていたが10分ほどで乗れ、7時前に山頂駅到着。
この時点でも「雲中」に変わりはなかった。

山頂駅付近は眺望を楽しめるカフェやデッキが整い、大勢の人で賑わっていたので、別の展望デッキへ続く山道を歩き始めた。
しかしながら、しばらく待っても「雲中」で視界ゼロ…

今回は諦めかなぁ…と思っていた。
ツアーで来ていた人は、バスの出発時間があるようで、早々に帰路のゴンドラ乗り場へと向かっていた。

こちらは、今日は帯広空港に行くだけなので、チェックアウトも特に決めていなかったが、さすがにお腹が減ってきたので、8:00にはここを出ると決めもう少し待つことにした。
幸い車掌見習も眠り始めたので良かった。

間もなくして、誰かが発した「あっ!」という声につられ、その方向を見ると、雲の合間からリゾートの施設群が見え始めた。
高層タワーのホテル棟や、周囲の山々が顔をのぞかせた。
イメージしていた"雲海”とは違うが、これはこれで幻想的な光景であった。

森の中のレストランで朝食を済ませ、ノンビリ10:30にチェックアウト。
3日間の快適な滞在は、あっという間に過ぎ去った。

それにしても、この星野リゾート・トマムは、宿泊した部屋はもちろんだが、レストラン他どこの施設も子供連れを意識したハードやソフトが整っていた。
例えば、この日の朝食をとったレストランでは、乳幼児連れの場合は専用の靴を脱いで入る個室があり、その中央で子どもが遊べるスペースや絵本、おもちゃが置かれ、大人はその周囲に配されたテーブルで遊ぶ姿を見守りながら食事を取れるスタイルだった。

このあたりは、全国各地にある星野リゾートの「大人の寛ぎ」をコンセプトにした経営とは違い、良いなと感じた。

名残惜しいトマムに別れを告げ、帰路の飛行機に乗るため帯広へと向かった。
時間に余裕があったので、空港近くにある「幸福駅」に立ち寄ることにした。

ここはJRへ民営化される直前の1987年2月に廃線になった、旧国鉄広尾線の無人駅。
そして、ここを全国区で一躍有名にしたのが、40年前に放映されたNHKの番組「新日本紀行」であった。
駅名の縁起の良さが着目され、近隣の愛国駅とのカップリングで"愛国から幸福ゆき"の乗車券が爆発的に売れた。

車掌長も中学1年の頃、郵送で上記の乗車券や入場券の購入をこの駅にお願いしたことがある。
今思えば、この幸福駅が「縁起切符」の先駆けであったと思う。
当時は他にも、四国に「学」という駅があるが、そこの入場券を買うと券面に「入学」と印字される部分があり、受験生に大そう喜ばれた。

話を戻すが、この幸福駅も今では恋人の聖地として認知され、この日も多くのカップルを目にした。
車掌長にとっては、残された木造駅舎やレール、ディーゼルカーが往時を偲ばせてくれる聖地に他ならない。
一面一線の単式ホームに置かれたキハ22が、なんとも愛らしい…

賑わう駅前の売店で、その日の日付の入った「愛国から幸福ゆき」の切符を購入し想い出の品とした。

 ここから空港までは10分足らず。
復路は13:45発のJAL1154便。

東京から到着した同機は、お盆の帰省客で満席のようであったが、折り返しとなる東京行きの搭乗便はガラ空きであった。
これもイメージ通りで良かった。

往路同様、搭乗前に離乳食を済ませ、待合室のイスでさんざんハイハイをさせて、専務車掌と共に難関への準備を整えた。

羽田と違い地方空港は、ターミナルを離れればすぐに飛び立つので、タイミングを見計らってミルクを飲ませた。やがて、車掌見習の眼がトロォ~ンとし始め、専務車掌と顔を見合わせてニンマリ。

だが、事は起きてしまった…
離陸後、水平飛行に差しかかったタイミングで、なんか異臭が…
もしやと思い確認すると、紙オムツからハミ上がらんばかりの軟便が目に飛び込んだ。

すぐさま、専務車掌とともに最後部のトイレへ駆け込み、オムツ交換へ。
だが、このトイレに設置された交換台の向きが非常に使いづらく難儀であった。
しかも、手間取っているうちに車掌見習が大泣き状態…

キャビンアテンダントのお姉さんも、「危ないですのでドアを閉めさせていただきます」と物腰柔らかに言ってくれたが、相当泣き声がうるさかったのだと思った。

ドアを閉められると、ただでさえ狭い機内トイレに大人2人と乳児が閉じ込められ身動きもままならず、汗も吹き出し始め、それはそれで地獄絵巻の様相であった。

やっと落ち着き、席に戻ろうとすると、間もなく着陸とのこと。
往路便で経験したが、着陸の方が耳が痛くなるだろうと思い、周囲に誰もいない席を探して車掌長が車掌見習を預かった。

だが、いざシートベルト着用サインが出て身構えていたが、もともとの飛行高度が低かったのか、耳への違和感がなく、陸地が見えてきた。

かくして、北海道旅行4泊5日の珍道中は無事終えることができた。

末筆ながら、5回に渡る全くプライベートな旅行記にお付き合いいただき、お礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。

今後、乳幼児を連れて旅行をされる方々に、どこか部分的にでも、少しでも参考になれたなら幸いです。
 

セグウェイ(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2013年8月23日 21:15

哲×鉄車掌区慰安旅行の後半は、のんびりとトマムで連泊滞在。

この滞在には、日頃の車掌見習育成に奮闘している専務車掌への感謝と、リフレッシュしてもらいたい想いから、特別な部屋を手配しておいた。

それは、星野リゾート・トマム・リゾナーレに2室しかない、"ママらくスィートルーム"だ。
この部屋はとても人気があるので、3月下旬には予約を入れておいた。

ここは、まだ星野リゾートになる以前の或る冬、専務車掌とスノーモービルを楽しんだことがある。
その時は富良野に泊まっていて、単にアクティビティの目的で訪れたが、いつかここへ泊りに来ようと言っていた。
そして、時は流れて現在、当車掌区のメンバー水入らずで来られるようになったことは感慨深い…

ここでの滞在中に、楽しみにしていたものが2つある。
そのうちの1つが"セグウェイ"体験。
セグウェイは「未来のモビリティ」として世界的にも有名な、電動立ち乗り二輪車。

今から10年余り前にアメリカで発明され、ずっと乗ってみたいなぁと思っていた。
そして、今回いよいよその望みが叶う時が訪れた。

場所は「十勝千年の森」で、トマムからは車で40分ほど。
広大な敷地に深い森や、幾つもの丘があり、その草原をオフロード仕様のセグウェイで走ることができる。
参加した初級プログラムは6名定員で、30分の講習と90分の体験走行ができる2時間の充実したコースであった。(これも夏休みは大人気の為、5月中に予約を済ませておいた)

初めは独特な取り回し方に、全員ギコチナイ恰好で笑えた。
しかしながら、30分の講習を受け終わる頃には、みんなそれなりに操縦できるようになれた。

インストラクターの説明によれば、原付と同程度のパワーがあり、20㎞/hは出せるとのこと。
立った状態で走る感触は、その数字以上にスピード感があり、加速具合も前傾姿勢になればなるほど高まった。

途中に急斜面もある千年の丘まで登ったり、その麓に広がる緩やかな草原の起伏を自由に走り回ったことは、言葉で表せないほど楽しい無邪気なひとときであった。

セグウェイは、現在では全国のわりとあちらこちらで体験できるが、車掌長はここのプログラムが一番だと思って体験の楽しみを温存しておいたが、それで正解であったと思った。
何よりも、十勝の広大なロケーションが心底素晴らしかった…

専務車掌も満足していたようで、来た甲斐があった。

ちなみにこの時、車掌見習はトマムの託児ルームで過ごしていた。
これも当車掌区では初めての出来事で、初対面のベビーシッターと数時間とはいえ、無事過ごせるか不安はあったが、"なんでも体験主義"の車掌区運営方針によって断行した。

結果は…前半は良かったらしいが、お迎えの1時間前からは、もう一人いた別の1歳児が泣いたのをきっかけに、もらい泣きが始まった模様であった。
そして、いざお迎えに行って対面すると、しばらくは興奮して大泣き状態であった。

きっと、大人にとっては楽しく短い時間であったが、車掌見習にとっては長い長い不安な時間だったであろう。

いずれ時が経ち、今度は3人でセグウェイを体験できる日を新たな楽しみにしたいと夢を膨らませた。
 

 

ナロネ22 153(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年8月18日 19:53

北広島クラッセホテルでの目覚め、部屋のカーテンを開けると鮮やかなグリーンのゴルフコースが眼下一面に広がっていた。時計を見ればまだ6時頃だったが、もうコースに出ている人もいた。
今日も天気は良さそうだ。

のんびりと9時半にチェックアウトし、一路帯広を目指した。
目的は世界唯一の"ばんえい競馬"だ。

通常の第1レースは11:30出走とのこと。
12時に到着し、第2レースから楽しもうと思っていたが、なんか場内が静かでレースを行っている様子が伺えない。すると、この日はグランプリがあり14:30からが第1レースとのアナウンスがあった。

せっかく来たのに、あと2時間余りをここで過ごすわけにもいかず残念に思っていたら、別のアナウンスが流れた。
今日は特別に12:20から模擬レースを行うとの内容。
馬券を買うことはできないが、ばんえい競馬を観賞することはできる!
何はともあれスタンドへと向かい、2つある障害のうち、大きな2つ目の山の中央部前に陣取った。

間もなく、5頭のばん馬がゲートインし、いざ出走!
土埃を巻き上げながら、第1障害を乗り越え、眼の前にやってきた。
人馬一体の駆け引きが、1分半のレースに凝縮されているのを実感できた。

お昼は隣町の芽室で「コーン炒飯」を賞味。
手持ちの資料によると、十勝芽室はスイートコーンの生産が日本一とのこと。
そのスイートコーンをたっぷり使ったバター味の炒飯は、確かに美味しかった。

午後は次の目的地を目指し、国道38号線を富良野方面へ走る。
途中、狩勝峠の3合目で左に折れ、旧狩勝線の新内駅に到着。

ここは、昭和41年まで根室本線の難所"狩勝越え"の拠点になった駅。
今ではNPO法人の「旧狩勝線を楽しむ会」の皆様が、献身的な活動を通してユニークな取り組みや、貴重な車両の保存を行っている。

まずユニークなのは、トロッコ鉄道を敷設して体験乗車ができること。
具体的には、保線用軌道自転車でペダルを漕ぎながら、レールの上を走る趣向になっている。
車掌見習は専務車掌に抱っこ紐で抱っこされている状態で乗車。車掌長と専務車掌は並んでペダルを漕ぐ形だが、そこは車掌長が一人で頑張って漕ぎ続けた。

短いコースではあるが、トンネルや踏切、信号もあって本格的。
木立の中を風切りながら進む爽快感を味わった。

トロッコの後、日本で唯一現存する貴重な車両「ナロネ22」を含む寝台車3両とSLを保存しているホームへ向かった。

ここは以前SLホテルとして営業していたが、廃業後荒れ果てていた車両を前述のNPOの皆様が保存活動に立ち上がり、今もこうして昔の名車両に出会えるスポットになっている。

車掌長はこの20系車両が大好きだ。
1958年にデビュー。特急あさかぜ用に開発された固定編成の美しいフォルムと、全車冷房化等の豪華な車両設備は「走るホテル」と形容された。

中でも、ここにある"ナロネ22"は現役時代に8両しか製造されず、1人用個室は当時の総理大臣も乗車するほどの贅沢さであった。
車掌長はこの車両をぜひ一目見たいと、ずっと思っていた。

そして、その時がやっと訪れた。
同じ車両の半分が「開放型」と言われる上下2段のA寝台、もう半分が1人用個室という造りだ。
車両の中央に通路があり、その両側に開放型の寝台と個室が並んでいた。

1人用個室は、現在の北斗星のロイヤルなどに比べれば遥かに狭い。
しかも、座席状態からベッドにすると、そのベッドの上しか居場所がない状態となる。
それでも、お湯と水が別々に出るステンレス製の洗面台や、給仕係を呼ぶボタン、冷房を思うままに調整できるダイヤルを見ると、これらがいかに贅沢な装備であったかが偲ばれる…

手書きの説明が付してあったが、この個室で東京~博多間を乗車するには、サラリーマン1ヶ月分の給料に匹敵する運賃料金が必要だったそうだ。

外観の"青15号"と呼ばれる塗装は剥げた部分も痛々しいが、徐々に修復もされている様子がわかる。
今は北の大地で静かに余生を送っている名車両だが、いつまでも大切に保存されることを願う。

車掌長も何かできることを探して協力したいと思いつつ、今日から3日間滞在する"星野リゾート トマム リゾナーレ"へと車を走らせた。