楽天優勝パレードのバス

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年11月25日 05:56

昨日のTVニュースや今朝の新聞で、仙台での楽天優勝パレードを見た。

沿道の観衆は予想を上回り、まさに歓喜のウェーブに包まれた様子であった。
そんな中、車掌長はパレードを引き立てた脇役の存在に懐かしさが込み上げた…

それは、屋根のないオープンスタイルの2階建てバスだ。
東京の街中では「SKYバス」として、すっかりお馴染みの日の丸興業自動車が保有する車両。

「NEOPLAN」というドイツのバス車体メーカーのもので、日の丸では「コンコルド」や「アメリカンドリーム」という名称を用い貸切バスとして運行されていた。

おそらく、あのパレードで使われていたバスは、その改造車ではないか…と直感的に思った。

コンコルドは35名ほどの定員で非常にゆったりした車内であり、2階席最前列の展望は小田急ロマンスカーよりも優れていた。

また、アメリカンドリームは、1階席と2階席以外に、後部中2階席というパーティルーム形式のエリアもあった。
そのレイアウトは、それまでの日本のバスでは見たことがなく、とてもワクワクした。

もちろん、当時は屋根があり塗装も異なるが、あの独特なスタイルは優美であり、乗る楽しみに満ちていた。

車掌長のそのバスの想い出は、以前勤務していた某専門学校での職員旅行。
毎冬、忘年会を兼ねて行われる一大イベントであった。

当時、教職員500名規模の学校法人であったが、某旅行会社の担当者の尽力で、毎年日の丸が保有する2階建てバスを全車借りだし、12台を連ねての大名旅行であった。

その光景は圧巻の一言…
沿道の観衆こそいないが、道行く人はそのバスの行列にしばし足を停めて見入る人も多かった。
また、高速道路での休憩時に12台が横一列に並ぶ時は、感嘆のシーンであった。

時は流れ、今はそんな団体での行事も過去の遺産となったことだろう。
思えば、宿泊ホテルで何百畳もの大宴会場が浴衣姿の人で埋まる光景も、もはや見ることができないであろう。
巨大な宴会場は、いまや分割しても使いきれないホテルがほとんどではないだろうか。

まさに「兵どもが夢の跡」…

楽天の優勝パレードに使われたバスを見て、あのような晴れ舞台の引き立て役として活躍する余生の姿にホッとした。
そんな懐かしい想い出が蘇ったパレードでもあった。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年11月26日 21:53投稿)

こんばんは

NEOPLANの車体にベンツのエンジン、バスには珍しい後輪2軸で、アメリカンドリームはカッコよかったですね!
生まれ変わったら、巨大クレーンの操縦士か観光バスの運転手になりたい私にとって、憧れの乗り物です。

その東●会旅行で車掌長と撮った、アメリカンドリームの運転席の写真は今も大事に持ってますよ(笑
いやぁ、あの旅行は今となっては貴重な体験でしたね。
車掌長と私はいつも指定コースを外れてオプショナルツアーでしたが(笑

ところで、観光バスの車列といえば、関東は前から1号車ですが、関西では後ろから1号車の順番なんですよね。

関西では狭い山道などですれ違う際、後ろにあと何台バスがいるのかわかるようにということらしいのです。

しかし、あの楽天優勝パレードから日の丸興業のバスを連想されていた車掌長が凄い!

車掌長さんからのコメント(2013年11月27日 05:49投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

職員旅行と言えど、オプショナルツアー(別行動)を楽しんだこと懐かしいですネ。
定番の観光スポットでの自由時間内に、希望者挙手さんと別の穴場的スポットに出向いたり、温泉を探して一風呂浴びたりしたことを思い出しました。

人生もそんな寄り道や脇道が楽しいのだと感じます。

バスの号車順の走り方、関西の方が合理的であり、わかりやすいですネ。

狭い山道での離合もさることながら、飲食施設等の駐車場においても、あと何台来るのかが誘導の人にはわかりやすいようです。

近年は関西でも通常の1号車からの順番が増えつつあるようです。何でも全国統一であったり、東京に合わせたり基準にする必要はないと感じます。

その方が、わかりやすかったり混乱が少なかったりするのでしょうが、文化的には惜しい傾向であり、面白味がないと思ってしまいます。

どうしても東京に合わせる必要性があるなら、いっそのこと、新幹線などもそうですが、東京を中心に「下り」は1号車から連なって走り、「上り」は最終号車から連ねて走るのもオツかもしれませんネ(笑)

ところで、クレーン操縦は車掌長も共感します。
もちろん、憧れの範囲ですが、職人系の高所での技術に敬服するばかりです。

そういえば、ふと思い出したのですが、日本のクレーンとヨーロッパのクレーンは、形状が違いますね。
ヨーロッパは、縦と横の組み合わせと言いますか、物干しの片足がないようなイメージです。

素人の発想で申し訳ありませんが、未来の宇宙の工事現場はどんな感じなのでしょう…

デスラー総統の「ガミラス帝国」や、プロメシュームが創った機械の体をタダでくれるという「機械帝国」の超々高層建築は、どのように建造したのか…

子どもの頃はいきなり完成形を目にしていたので、純粋に「未来的」だと感じましたが、今はその建築過程を知りたいなぁ…などと思います。(笑)

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くさや

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年11月23日 06:59

今月は語呂にちなんで、「いい○○」という日が多い。

昨日22日は「いい夫婦」、26日は「いい風呂」、29日は「いい肉」etc…
さすがに車のナンバーでよく見かける「いいパパ」は、カレンダー上には存在しないが…

今日は「勤労感謝の日」と認識している人が圧倒的であろうが、この語呂合わせで言うと、「珍味の日」とのこと。
なるほど「11(いい)23(つまみ)」とは、ちょっと苦しいが、酒好き・肴好きには佳き日と言える。

日本三大地珍味と言えば、「ウニ」、「カラスミ」、「このわた」を指すようだが、どれも高級だったり高値だ。
言い換えれば、価格の高いものが有難く、ゆえになかなか口にできない希少性を生み出し、その値段を「賞味」しているのかもしれない。

また、近年は流通が発達し過ぎて、何でも簡単に送られてくる。
今後は、わざわざそこに行かなければ食べられないものや、買えないものの方が、価値が上がってくるだろう。

車掌長も珍味は大好きだが、特にどれかと聞かれれば「くさや」を挙げる。
伊豆諸島の新島や八丈島の特産品で、さほど全国的に流通されず、嫌いな人は絶対にダメな干物だ。
あの強烈な臭いで、口にする前に拒絶する方も多いと思うが、一度口に含めば誠に美味しい珍味だと思う。

今は真空パックにしたり、焼きほぐしたものが瓶詰にされ、購入後の持ち帰りに、他人に迷惑をかける心配はなくなった。
子どもの頃は、父がお土産でもらったくさやを、たびたび家で普通に焼いて、もの凄い匂いが近所に漏れてご迷惑をかけたと思うが、思い出せばあの焼き立ては美味しかった。

しかしながら、一昔前は道を歩けば家庭でする料理の匂いをかぐことができたが、今は通りすがる人の香料が鼻についてしまう。

「くさや」ほどではないが、美香と悪臭は紙一重だと感じる…
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年11月24日 01:07投稿)

こんばんは

今日(昨日ですね・・・笑)は「いいふみ」の日でもありました。
(小学生の頃から切手収集に興味を持ったものですから)
7月(文月)23日の方が「ふみの日」として有名ですが・・・

通信手段が便利になり、手紙など書く機会はめっきり減ってしまいましたね。
ただ私はお礼状など、できるだけ自筆を心掛けています。
日頃パソコンを使い、加齢もあってか、漢字を忘れてしまいそうで、何より字が下手になっているような気がします。

ところで、くさやの干物、私も大好きです!
実家の隣のおばさんが式根島出身で、よくお土産に頂きました。
昔「がきデカ」というマンガの主人公こまわり君が「慣れれば美味しいくさやの干物」と言ってましたね(笑

以前、馴染みのお茶漬け屋さんで「くさやの干物茶漬け」というメニューを見つけ頼んだはよかったが、ランチ客でいっぱいの店内に例の匂いが(私は香りと思うが)立ち込め、顰蹙を買った記憶があります(笑

最近は柔軟剤も香り成分を売りにしてますが、それで気分が悪くなる人もいるという記事を呼んだことがあります。

確かに悪臭よりはマシかも知れないが、香りに関しては「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね。

車掌長さんからのコメント(2013年11月24日 05:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

手紙を書く
今や、なかなかできないことですネ。

車掌長はお恥ずかしながら、高校時代に「文通」をしていた時期があります。
旅先で出逢った方でした。

2年ほど続きましたが、甘酸っぱい想い出が蘇ります。
相手に手紙を出し、大体1~2週間ほどで届く返事にワクワクしながら、自宅の木箱の郵便受を覗いたものでした。

今の中学・高校生がLINEなどですぐに返事を出さないといけない脅迫観念や煩わしさに比べれば、とても長閑(のどか)な時代でした。

しかしながら、最近は若い人を中心にアナログな「手帳」が流行っているそうです。
物心ついた時から、携帯電話や電子手帳が世の中に存在した世代にとって、「手書き」が新鮮であったり、温かみがあると感じるそうです。

ところで、「がきデカ」は懐かしいですネ。
当時の大人からは見てはいけない漫画、と言われた記憶がありましたが、よく読んでいました。

意味不明なギャグを連発するノリの先駆けだった感があります。
特に「八丈島のキョン!」は、この漫画でその動物の存在を知りました。

くさやの干物も出てきたのは覚えていませんでしたが、さすが希望者挙手さん、色々ご存知ですネ(笑)

毎度ながら、その守備範囲の広さや思考の柔軟性に楽しませていただいております。

きっと、人生の豊富な経験値や、多様な物事への興味関心をお持ちなのだろう…とお察しします。

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国連「世界トイレの日」

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年11月19日 05:27

今日は国連が定める「世界トイレの日」とのこと。

今年夏の国連総会で、毎年11月19日と決まったそうだ。
なぜこの日かと言えば、2001年にシンガポールに於いて「世界トイレ機構(WTO)」なるものが創設され、同時に「世界トイレサミット」が開かれたことに因(ちな)む。

制定の目的は世界中の衛生対策で、主に飲料水の安全確保と、衛生施設の建設促進とのこと。
世界保健機関(WHO)などが昨年公表したデータによると、世界人口70億のうち、25億人がトイレなどの基本的な衛生環境が未整備な状況下で暮らし、11億人がところ構わず大小の用を足しているようだ。

いまや日本は、トイレ美においては世界一だと内外の評価。
たしかに車掌長もそう思う。
特に公共施設にまで、温かな便座や洗浄器の付いた便器が多いことは、世界を驚かせている。

しかしながら、つい30年ほど前、つまり車掌長が小・中学生の頃は、各家庭も和式が健在であり、駅や列車のトイレに至っては、ちょっと遠慮したくなるような場所ばかりであった。

車掌長と同年代以上の方なら、きっと見たり経験があるだろうが、地方で走っていた客車編成の普通列車やディーゼルカーのトイレは、垂れ流しであった。
つまり、用を足したものが、そのままレールの間や枕木に落下する仕様であり、随分と風通しの良いものであった。
そのため、駅での停車中は「使用しないように」との文言もあった。

しかしながら、古い車両や山間部での走行は揺れも激しく、便器前方の壁にあるバーをしっかり握らないとならなかった。
和式列車便所ならではのその格好は、さながらバイクのライディングポーズにも近い印象だ。

国鉄からJRに変わって良くなったことの1つは、このトイレだと言える。

日頃、誰もが気持ちよく用が足せるよう、いつもキレイに使うことを心掛け、世界一と言われるトイレ美の喜びを享受したいと感じた。
 

哀しい知らせ

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年11月16日 04:48

昨日、家のポストに喪中葉書が届いていた。

お亡くなりになったことを知った御方は、学生時代に家庭教師をしていた中学生の御祖父様だ。
享年95歳とあった…

車掌長はその御祖父様のお孫さんと、約2年家庭教師として週2回のお付き合いをさせていただいた。
きっかけは、大学でアルバイトを斡旋する掲示板に出ていた求人案内であった。

連絡をとり、初めて伺ったときは、とにかく高校に入れるようにしてほしいというご依頼であった。
車掌長は、まずどんなお子さんなのかを知るために、勉強に入る前に一緒に話すことに時間を割いた。
ときに、ドライブに誘い、海辺で学校での話などを聞かせてもらったりもした。

そんな時間を通して、自分で勉強する習慣のきっかけさえあれば、伸びる可能性を見出した。
幸い、車掌長の苦手な理科と数学は好きな科目だと言う。

車掌長の教え方は、非常にシンプルだ。
まず直接的には「教えない」、これに尽きた。

わからない箇所を、自分自身が自覚し、自分で調べる…とにかくこれを繰り返した。
そして、自分が躓(つまづ)いた箇所、つまり勉強がわかならくなった地点へ戻って、やり直すことの意義を理解してもらった。

やがて、本人は黙々と机に向かうようになり、家庭教師の依頼時間であった2時間を何一つ質問しないようになった。
車掌長が訪問しない日もきちんと勉強していたことが、行った課題を見せてもらったり、彼の言動から察することができた。

また、夏休みには「合宿」と称して、車で旅に連れ出し、乗鞍方面へ行った。
この時の彼のイキイキとした表情は、今でも佳き想い出だ。

そして、受験の日を迎え、地元の公立高校へ無事に進学ができた。

合格を機に、彼は自宅を出て高校に近い御祖父様の家から通学することになった。
これでお役御免かと思っていたが、進学後も来ていただきたいとの申し出があった。

そのお申し出が、御祖父様からのものであった。

御祖父様は、軍隊の幹部だったとのことであったが、穏やかで丁寧な口調とお人柄は、こちらの背筋が伸びる想いであった。
現役時代は、ご自身の馬に乗り、東京の市中を駆け回っていたとのこと。

客間の床の間には、「天照大御神」の大きな掛け軸があり、昭和天皇ご成婚時の写真も掲げられていた。

毎回、御祖父様のお宅を伺うと、まずお茶を出していただき世間話を交え、それからお孫さんの家庭教師に入った。

やがて、車掌長自身が卒業の時を迎え、この土地を離れた。
それ以降、今年のお正月までいただいた賀状は1回も途切れることはなかった。

毎年、達筆な漢詩をしたためて下さり、ご自身の近況や車掌長のことを気遣ってくださる文面であった。

そんな宝物の賀状も、もういただくことはできない…

せめて、年内に時間を捻出して、お線香を捧げに伺いたいと思った。

いま、心から御祖父様のご冥福をお祈り申し上げます。
そして、これまでお世話になった、書き尽くせない感謝の意も添えて…

 

ブルートレイン全廃を惜しむ

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年11月11日 04:57

これまで、列車で幾つの朝を、迎えたであろうか…

小学生の時、初めて一人で夜行列車に乗ってから、列車で夜を明かすことに最も旅情を抱いてきた。

眠れぬ夜は過ぎ去る街の灯りを見つめ、目覚めれば見知らぬ土地が出迎えてくれた。
レールの繋ぎ目を踏む走行音と、心地よい揺れ具合は、心休まる空間でもあった。

ときに、貸切のような車内では、寂しさと怖さを感じた夜もあった。
とくに山中を走る区間では、車窓に流れる灯りもなく、減灯された車内で何者かに見つめられているような錯覚もあった。

それでも、この列車には運転士さんと、運行を守る車掌さんがいる心強さもあった…

時は流れ、いまや乗りたくても、毎春廃止されてきた夜行列車は、遠い存在になってしまった。
もはや座席車を連結する定期夜行列車は、急行「はまなす」の1系統しかない。

そんな寂しい状況下、先週の新聞で「ブルートレイン全廃」の知らせを目にしてしまった。

寝台特急「あけぼの」が来春廃止になることは、時間の問題だと覚悟していたが、今でも高い人気の「北斗星」や「トワイライト・エクスプレス」、「カシオペア」までもが、あと2~3年で姿を消してしまうとは、何かの間違いであってほしかった。

特に、「北斗星」は車体が青い塗装の"ブルートレイン"と呼ばれ、国鉄時代の面影を色濃く残す列車…
「あけぼの」も同様であるが、「北斗星」も2015年度末に廃止されることで、日本からブルートレインと名乗れる寝台特急は全て姿を消すことになる。

新聞では多客期に臨時列車として運転する旨が書かれていたが、それは1シーズンぐらいの措置であろう。
一度廃止されたブルートレインが、臨時で運行され続ける前例はないことが物語っている。

航空運賃も安くなった
新幹線網も充実した
安価で良質なビジネスホテルも沢山できた

これらを列挙してみて、日帰り圏の拡大と夜間に移動する意義の薄らぎを実感する。
その日のうちに目的地へ着いて、ベッドで休み、翌朝家でするのと同じ身支度ができるなら、そちらを選択する方が当たり前であろう。

また、夜間に移動する足としては、過剰に発達した高速道路網が、東京と地方都市をダイレクトに結ぶ強みを発揮する夜行高速バスに費用面で軍配が上がる。

どんなに贔屓(ひいき)に鉄道の魅力を加味しても、時間効率と快適性を志向する現実社会では、割高なJRの夜行列車や寝台特急には勝ち目がない。

もはや、「旅情」や「郷愁」などと言っている車掌長の方が、マイナー的存在であり、コスト意識に欠けた「邪魔者」なのだと自覚する。

そして、夜行列車の「旅情」を求めたいなら、今秋運行を始めた高額な「クルーズトレイン」をどうぞ。ということなのであろう。

ささやかな願いや夢として語れば、豪華な客室やエンターテイメントのような演出は不要なので、快適かつ清潔な車両空間で、リーズナブルに目的地に着ける移動手段があればと思う。
もし、そこに食堂車があれば、もう言うことはない。

仕事や通常の観光でも、夜を跨いで移動する時間の魅力や、意義を味わえる選択肢がほしいと願う。
忙しい時代だからこそ、非日常的なユルく移動する時間にこそ、「自分の時間」のリズムを整える、或いはリセットする効能があり、「癒し」や「リフレッシュ」という長い人生を楽しく過ごす仕掛けがあると思う…