哀しい知らせ

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年11月16日 04:48

昨日、家のポストに喪中葉書が届いていた。

お亡くなりになったことを知った御方は、学生時代に家庭教師をしていた中学生の御祖父様だ。
享年95歳とあった…

車掌長はその御祖父様のお孫さんと、約2年家庭教師として週2回のお付き合いをさせていただいた。
きっかけは、大学でアルバイトを斡旋する掲示板に出ていた求人案内であった。

連絡をとり、初めて伺ったときは、とにかく高校に入れるようにしてほしいというご依頼であった。
車掌長は、まずどんなお子さんなのかを知るために、勉強に入る前に一緒に話すことに時間を割いた。
ときに、ドライブに誘い、海辺で学校での話などを聞かせてもらったりもした。

そんな時間を通して、自分で勉強する習慣のきっかけさえあれば、伸びる可能性を見出した。
幸い、車掌長の苦手な理科と数学は好きな科目だと言う。

車掌長の教え方は、非常にシンプルだ。
まず直接的には「教えない」、これに尽きた。

わからない箇所を、自分自身が自覚し、自分で調べる…とにかくこれを繰り返した。
そして、自分が躓(つまづ)いた箇所、つまり勉強がわかならくなった地点へ戻って、やり直すことの意義を理解してもらった。

やがて、本人は黙々と机に向かうようになり、家庭教師の依頼時間であった2時間を何一つ質問しないようになった。
車掌長が訪問しない日もきちんと勉強していたことが、行った課題を見せてもらったり、彼の言動から察することができた。

また、夏休みには「合宿」と称して、車で旅に連れ出し、乗鞍方面へ行った。
この時の彼のイキイキとした表情は、今でも佳き想い出だ。

そして、受験の日を迎え、地元の公立高校へ無事に進学ができた。

合格を機に、彼は自宅を出て高校に近い御祖父様の家から通学することになった。
これでお役御免かと思っていたが、進学後も来ていただきたいとの申し出があった。

そのお申し出が、御祖父様からのものであった。

御祖父様は、軍隊の幹部だったとのことであったが、穏やかで丁寧な口調とお人柄は、こちらの背筋が伸びる想いであった。
現役時代は、ご自身の馬に乗り、東京の市中を駆け回っていたとのこと。

客間の床の間には、「天照大御神」の大きな掛け軸があり、昭和天皇ご成婚時の写真も掲げられていた。

毎回、御祖父様のお宅を伺うと、まずお茶を出していただき世間話を交え、それからお孫さんの家庭教師に入った。

やがて、車掌長自身が卒業の時を迎え、この土地を離れた。
それ以降、今年のお正月までいただいた賀状は1回も途切れることはなかった。

毎年、達筆な漢詩をしたためて下さり、ご自身の近況や車掌長のことを気遣ってくださる文面であった。

そんな宝物の賀状も、もういただくことはできない…

せめて、年内に時間を捻出して、お線香を捧げに伺いたいと思った。

いま、心から御祖父様のご冥福をお祈り申し上げます。
そして、これまでお世話になった、書き尽くせない感謝の意も添えて…

 

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