大晦日

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2013年12月31日 05:55

朝刊にNHK紅白歌合戦の出場歌手名と曲順が載っていた。

紅白合わせて49名(組)の歌手名やグループ名を見て、知っているものが半数ほど…
更に、曲名もわかるものとなれば、10曲にも満たない…
そんな車掌長自身の状況に、時の流れ、時代の移り変わりを実感してしまう。

最近は、必要以上に大勢で歌ったり踊り回るグループを見かけるが、テレビ画面が大きくなった恩恵を享受している人々だと思う。
画面からハミ出ずに、全員が収まるのだから、カメラ担当の方も助かるだろう。

しかしながら、車掌長は一人で歌う歌手が好きだ。
複数であっても、二人もしくは三人ぐらいまでが、良いなぁ…と思える最大値かもしれない。

雰囲気やノリ、イメージに惑わされず、歌詞を味わい、その歌手の肉声を通じて伝わる「歌の力」があるのは、器の小さい車掌長には、その範囲になってしまう。

ところで、今日は大晦日。
「晦日」と聞いて、いざ漢字で書こうとしたら、車掌長には書けない字のひとつだ。

「みそか」と読ませるのも、十日(とおか)、二十日(はつか)に続き、三十日(みそか)だからだが、意味としては、その月の末日。

月の満ち欠けと連動した暦を使っていた時代にあっては、晦日は月が見えない日とされていた。
したがって、月がこもるが転じて「つごもり」とも読ませるのは、なんとも趣きに満ちた言葉だと思う。

ちなみに、今朝夜明け前に見えた細長い月は、調べてみたら「暁月(ぎょうげつ)」という状態だそうだ。
有明(ありあけ)の空に昇り、間もなく籠(こも)ろうとする、非常に繊細な美しさであった。

明日は元日と新月が一致するとのこと。
新たな年の始まり、心機一転、新たな心持ちで迎えたいと思う。

(追伸)
末筆ながら、今年も乗務日誌をご覧(ご乗車)いただき、誠にありがとうございました。
どれも拙(つたな)く、戯言(たわごと)ばかりを綴り、お恥ずかしい限りです。

しかしながら、世の中の「見方」「生き方」を、「考え」「疑問を抱く」ことは大切にしてゆきたい…と、自負しております。

何も考えずに、刹那的に生きることは、とてもラクなことです。
しかしながら、それではいけない、済まされない時代が近づいている足音が聞こえます。

「考えないこと」は、結果として「平和」や「人の尊厳」「自然への畏敬」、ひいては「人類の生存」を脅かす事態につながる…と思うのです。

そして、それらが担保されてこそ謳歌できる「文化」や「娯楽」「趣味の世界」が、萎縮、消滅してしまうのでは…と恐れてしまうのです。

株価上昇や、オリンピック招致成功etc…といった、経済面の明るさも必要ですが、それは未来永劫の栄華を約束するものではありません。

むしろ、今のお祭り騒ぎ的な、浮かれつつある薄氷の舞台で、いつその氷が割れても対応できるような心構えが必要なようにも感じています…

などと、大げさに構えた物言いではありますが、皆様への感謝の念を抱き、本年の乗務をお開きとさせていただきます。

どうぞ、皆様におかれましても、良いお年をお迎えできますよう、心から祈念しております。
 

JNR国鉄車両色 塗り絵

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年12月29日 06:55

昨日、湯田中2000さんご家族と、うさみみみさんをお招きし、当車掌区恒例の忘年会を行った。

毎回、それぞれで持ち寄ったり、用意する食材や飲み物を決めて、のんびりと飲んでは話す心地良い集いだ。
そして、深酒になる前に子ども用のプレゼント交換をするのだが、今年は湯田中2000さんご家族から車掌見習へ頂いたお品が、開けてビックリ!

なんと、カツミの「JNR国鉄車両色」の色鉛筆であった!

もちろん、「車掌長へ」のプレゼントではなく、車掌見習のものであることは重々承知だが、思わず鼓舞してしまった…

この色鉛筆セットは、かねがね「買わなければ」と思っていただけに、湯田中2000さんご家族のセンスに敬服。
また、湯田中2000パパお手製の塗り絵台紙も、とても素敵であった。

ところで、このカツミの色鉛筆の素晴らしいことは、既存の色鉛筆では難しい、微妙な色合いの「国鉄色」を忠実に再現していることだ。

国鉄色とは、JR民営化前の日本国有鉄道(JNR)が、全国一律に車両の塗色を定めたもの。
全国どこでも、その塗色を見れば、特急か急行か、寝台列車か、通勤列車かetc…一目で認識できた。

「青15号」であれば、20系寝台客車、583系電車など
「赤2号」なら181系特急電車など

子どもの頃の憧れだった名車両たちも、時代とともに、そのような全国統一のわかりやすい(単純な)色分けは、「個性がない」と言われるようになってしまった…

しかしながら、車掌長は、国鉄色の列車ほど、日本の風光明媚な景色や季節に似合うものは他にないと思う

奇抜な色合いで風景を切り裂いたり、日本の良き風土の空気を読めない存在ではなく、控え目ではあるが、決して風景の邪魔にならない、色彩的に自然を損なわない列車の存在が好きであった。

収集&所有する過去の時刻表の表紙を眺めていると、この表紙を塗り絵にしてみたくなってしまった。
特に、大型化した1967年10月号から10年ほどの号は、四季折々の風景と列車が美しい…

ぜひ、JTBパブリッシングさんとカツミさんでタイアップして、世に出していただけないだろうかと願ってしまう。
(無責任ながら、ごく一部の人にしかウケないと思うが…)

何はともあれ、塗り絵も「大人の趣味」として、ノスタルジーな時間旅行になると思った。

末筆ながら、湯田中2000さんご家族と、うさみみみさんに、改めてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えください
 

 

東京の夜景に映る黒い影

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年12月23日 06:17

冬、寒さが増す一方、空気は澄み渡り、夜景もひときわ美しくなる季節…

某航空会社の機内誌で、パイロットがこう紹介していた文章を思い出す。
上空から見る夜景で、世界で最も美しい都市は「TOKYO」です…と。

車掌長も夜景は大好きだ
記憶にある、最初に夜景を「きれい」と認識できたのは、小学2年生の夏。

母の実家がある兵庫県の姉宅に預けられていた際、何かの用事の帰りに夜の六甲山を車で走った。
当時は360ccという規格、つまり今の軽自動車の半分ほどの排気量の車が健在の頃…
急坂の山道を登りきれず、真っ暗な中、従兄弟たちと車を降りて押し歩いた。

そして、上り坂を終えた頃に、ふと気づくと神戸や大阪の夜景が目に映った。
暗い夜に、そこだけが光り輝き浮かんでいるような、不思議な美しさであった。

大人の会話で「100万ドルの夜景」という言葉を耳にしていたが、あまり意味がわからなかった。
むしろ、当時その従兄弟たちが好きだったTV番組「600万ドルの男」というタイトルが、夜景の100万ドルと混同し、今でも「○○ドルの夜景」と耳にすると、そのTVを思い出してしまう。

話が脱線してしまったが、東京の夜景が美しいことは、車掌長も異存はない。

しかしながら、最近の新聞で内閣府が行った調査で気になる記事を目にして複雑な思いに駆られた…

それは、サラリーマンの労働時間と評価についての意識調査。
手短に結論を話せば、「長時間労働をする社員ほど、上司の評価が高い」という実態が浮き彫りになった。

そして、内閣府が仰るには、「残業を減らすには、管理職の意識改革が不可欠」とのこと。
こんなコメントであれば、事態は何も改善しないと感じた。

夜景に話を戻そう
東京に限らず、日本の都市の夜景はきれいだと思う。

しかしながら、その光源は長時間労働の証。
つまりオフィスの灯たち…

おそらく、聳(そび)え立つ超高層ビル1本あたり、数千から1万人もの人々が働いていると察する。
そんなビルが何本あるか、多すぎて見当もつかない。

オーストラリアに住んでいた頃、シドニーを何度か訪れた。
世界三大美港とも称される、美しい「City」だ。

夜景を楽しみながら食事のできるクルーズに乗船した際、どのビルも全ての窓が煌々と光り、「オージーも仕事熱心ですネ」と話したら、クルーが「オフィスには誰もいないヨ」と一言。
付け加えて、あのビルの灯りは「観光客のための夜景用で、政府が電気代を負担して点けている」のだと…

確かに、22時か23時になった瞬間、電気は次々に消え始め、元々誰もいなかったことを目の当たりにした。
お国柄とはいえ、日本とオーストラリアでは、個人の所有する時間の豊かさが違うものだと実感した。

なるほど、東京の夜景は平日は光のボリュームが多いが、会社等が休みとなる土・日は少ない。
そう思うと、夜景の美しさの裏では、個人の意思よりも上司の顔色を窺(うかが)い、長時間労働に従属させられる「ブラック」な影が見える気がしてきた。

若者を使い捨てのように長時間拘束し、その対価も正当に払われないような会社も多いと耳にする。
そんな負の灯りを、単純に美しいとは思えなくなった年の瀬でもある…
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年12月25日 01:26投稿)

こんばんは

夜景といえば、私は大阪と奈良の府県境にある生駒山から見る夜景が好きです。
その途中にある走り屋のメッカ「阪奈道路」から見える夜景は、つい脇見運転をしてしまう程(ホントはイケないことですが)の美しさです。

私は田舎育ちで、今も実家の周囲は夜遅くなると真っ暗ですが、夜景の代わりに夜空に星がたくさん見えます。

私が中学生の頃は天の川が見え、6等星まで見えました。北斗神拳に出てくる死兆星なんてよく見えてました(笑
この星は、古代エジプトで兵士の視力検査に使われていたらしいです。

そして生意気にも「天文ガイド」なんていう専門誌を購読して、流星群観察に熱中してました。一眼レフのカメラをバルブでシャッターを30分くらい開放して、流星の写真を狙ったりしていました。(下手くそで、ぜんぜん写せませんでしたが・・・笑)

先日もふたご座流星群が話題になっていましたね。数では夏のペルセウス流星群の方が多いのですが、空気の澄んでいる冬のふたご座流星群の方が断然きれいに見えます。

田舎で自然のリズムでのびのび暮らしていたことが、とても贅沢に思える今日この頃です。

車掌長さんからのコメント(2013年12月25日 05:33投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんの幼少時代の時間旅行、車掌長も楽しませていただきました。

「夜景の代わりに夜空に星」…
今となっては、お金で買えない素晴らしい環境や想い出です。

希望者挙手さんの少年時代の話、専門学校で一緒に働いていた時には、あまりお聞きした記憶がありません。

しかしながら、時を経て、この乗務日誌上で拝読する機会が多々あり、色々なことに興味を抱き、ご自身で工夫した楽しみ方を味わった経験が豊富だからこそ、いまの希望者挙手さんが存在するのだと実感しております。

当時は、幸いにもスマホやオンラインゲーム機などが世の中に存在せず、アナログで遊ぶ無限の楽しみがあったように感じます。

端末の機械からストレートに与えられる刺激の強い、何の生産性もない仮想空間の遊びではなく、限られた少ない道具の中から、自分自身で興味やヒント、きっかけを見い出し、創造性や想像力を育めたように思います。

そこには常に「なぜ?」という素朴な疑問にぶつかります。
また、「感触」という、まさに「触れて感じた」何かが発生します。

そして、これらこそが、子供の成長に欠くことのできない、食物からも摂取できない貴重な栄養素なのではないか…と思うのです。

ところで、バルブ撮影という言葉も懐かしいですネ。
いまやデジカメのおかげで、誰でもある程度まともな写真が撮れますが、やはり「バルブ撮影」の経験があれば、更に奥深い描写が可能です。

車掌長も少年時代、鉄道雑誌で目にした列車のテールランプが流れるような写真に感動して、バルブ撮影を知りました。

どんな絞りで、どれくらいの時間シャッターを開いておけばよいのか、子どもながらに考えて、現像後の写真を見て確かめ、一喜一憂した時間が懐かしいです。

それにしても…
なぜ、「懐かしい時間」というのは、不便だったことが浄化されたり、忘れてしまい、美化へと昇華するのでしょうか…

時間旅行をしていると、そんな疑問によくぶつかります。

希望者挙手さんからのコメント(2013年12月26日 20:29投稿)

こんばんは

車掌長の疑問は同感です。

私が思うに、不便だからこそ、達成感や充実感が得られ、その先には大小様々な感動があったような気がします。

人間には枯渇感やハングリー精神があった方が、感受性が豊かになれるのではないでしようか。

しかし、600万ドルの男、私も観てましたよ。その後、バイオニックジェミーも観てました。
よくドアノブをつぶしちゃうマネなどしてました(笑
そんなことでも感動してたんですね

車掌長さんからのコメント(2013年12月27日 06:05投稿)

「不便だからこそ、達成感や充実感が得られ…」

希望者挙手さんの仰ることに、納得です。

話が逸(そ)れるかもしれませんが、言い換えれば「便利さと引き換えに、達成感や充実感は稀薄に…」なるのでしょう。

皮肉なもので、不便さからの脱出や改善を望みすぎた結果、過剰とも言える「便利さ」の追求が、今日暮らす世の中…

そして、国民がお互いにその「過剰な便利さ」を要求し合う結果、自分の身や生活を削るような見かけ上の「サービス」を、仕事や義務として求められているように思います。

また、便利さは「迅速さ」や「正確さ」もセットになっていますので、少しでもモタついたり、間違うと批判も厳しいものです。

日本社会全体が、便利・迅速・正確を常に求め合いながら、自分の「快適さ」を高めるために、お互いを監視し合っていないでしょうか。

そのような状況下、立場の弱い者に対して、ストレスの解消先を見い出し、暴言を吐く人を見かけます。
部下や店員、駅員、配達員、役場の窓口、子ども、老人etc…

決して、上司や経営者、更にもっと上に存在する社会の理不尽な仕組みや制度に怒るのではなく、自分よりも弱い者へ、コントロール不能となった己の感情の後始末をする愚かさが横行しています。

便利さを求めすぎた結果、他者への思いやり、気遣い、想像力、許容力、寛容力…という、人間社会に必要な「心」や「力」を、どこかに置き忘れてきてしまったと、つくづく思うのです。

これは決して世界に誇れる「おもてなし」ではありません。

このように考えると、その置き忘れた場所を、時間旅行中に偶然見つけたり、気づくことができると、「懐かしい」という感慨に浸れるのかもしれません。

裏を返せば、ベンリなような今日であっても、実は、常に緊張した、ゆとりのない時間を過ごしているからこそ、戻ることのできない「そうではなかった頃」が、美化されるのかもしれません…

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立ち売りの駅弁

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年12月17日 04:58

先週末、所用で福岡を訪れた。

空いた時間を利用して、かねてより立ち寄りたかった駅へ向かった。
そこは、いまだ駅弁の立ち売りが健在と言われる「折尾駅」。

一時、ベテランの販売員さんが体調不良で退職し、立ち売りが休止状態であったが、近頃は別の職員が配置され復活したと知り、気になっていた。

いざ車で折尾駅へ着いてみると、写真でしか見たことのない重厚な駅舎は取り壊されていた。
門司港駅を彷彿させる、風格ある大正時代の遺産を一目したかったが、叶わなかった…
やはり、物事は後々悔いが残らないよう、行ける機会をつくるべきだったと感じた。

落胆しつつも、入場券を購入し、仮駅舎を通り駅構内に入ってみると、まだまだ大正時代の姿を偲ばせるものに出逢えた。

折尾駅は鹿児島本線と筑豊本線がクロスする交通の要衝(ようしょう)。
日本初の立体交差駅としても知られる。

立体交差を構築する複雑な駅構内には、煉瓦造りの連絡通路や、ホーム屋根を支える木や廃レールの柱や梁、往時の蒸気機関車の煤(すす)で黒々したガード下etc…
どれもが100年近い歴史の生き証人…
きっと様々な世相や人間模様を、これらは見つめてきたのであろう。

そして、いよいよ駅弁の立ち売りが行われている鹿児島本線の5番ホームを目指した。
美しい煉瓦の地下通路を進むと、やや高い声で駅弁を売る声が響いてきた。

立ち売りをなさっているのは、小南(こみなみ)さんという御方。
折尾駅の「かしわめし」を買いに○○から来た旨伝えると、自己紹介して下さった。
逆に、○○のどちらからと尋ねられ、△△ですとお答えすると、私も住んでおりましたとのこと。
束の間、ついつい地元談義になってしまった。

「立ち売り、大変でしょうけど応援しております」と言葉を残し、5番線を後にした。

お目当ての「かしわめし」は、いまどき珍しい経木(きょうぎ)の折箱。
その手触りと簡素な包装紙に、胸がトキメイタ。

蓋を開ければ、鶏そぼろと錦糸卵、刻み海苔がきれいに斜めにストライプ…
いざ、箸をつけ口に頬張ると、掛け値なしに「美味い!」と言ってしまった。

値段も650円と良心的で、余計な副菜が極めて少ないのも素敵だ。
本当に味わい深い駅弁というのは、こういうスタイルなのだと実感する逸品であった。

最後に、包装紙にあった石黒敬七氏の言葉を紹介したい。
「関門トンネルを出ると、緑と太陽の国"九州"に入る。そこには僕の楽しみの一つである東筑軒の"かしわめし"が待っている。この駅弁の味から、夢多き九州の旅が始まるのである。」

昔は長編成の長距離列車が滑り込んだであろう、さきほどの長い長いホームを思い出し、旅人が舌鼓を打った伝統の味覚を噛みしめた…

 

時が変えたもの

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年12月10日 05:33

先日、「哲×鉄」車掌区&保線区合同の忘年会旅行を催行した。

向かった先は京都
紅や黄色の葉をつけた木々が、いにしえの町々や社寺を彩り、心が華やいだ。

車掌見習は、風に落ちる葉を追いかけたり、来たばかりの道を戻ろうとしたりと、なかなか前へ進めない観光も楽しんだ。

一方、己の心と向き合えるのも、京都が持つ不思議な力の一つ…
幾年もの歳月を積み重ねてきた、自然と文化、人々の想いetc…
それらが、かような境地へ誘うのかもしれない。

日頃、大変お世話になっている保線区お二人との楽しいひとときは、瞬く間に過ぎた。
どんなに楽しい時間であっても、1日の長さは例外なく、正確に24時間であることを実感させられる…
今後も佳き時間、善き人生をともに過ごしてゆきたい、そう思った。

京都からの帰り道、途中で保線区お二人と別れ、日を置いた翌日
車掌長は、学生時代を過ごした知多半島へ独りで向かった。
先月、乗務日誌にも「哀しい知らせ」と題し記した、お世話になった御方のご焼香に伺いたかった。

専務車掌の実家から1時間半ほどで到着。
お世話になった頃と、変わらぬ家の構えではあったが、どの部屋も雨戸が閉められていた。

玄関へ回ると、おばあちゃんが掃き掃除をしていた。
「おはようございます」と声をかけたが、誰だかわからなかったご様子だったので、名前を言った途端、その場に座り込んで泣き崩れてしまった。

そして、おじいちゃんが亡くなり、私だけが生きていてお恥ずかしい…と目に手を当てながら、「覚えていてくれて、本当にありがとう…」と、仰った。

息子さんから喪中葉書をいただき、ご焼香に伺った旨お話すると、仏壇のある部屋へ通してくれた。
そこは、家庭教師に来た際、いつもおじいちゃんと世間話をした部屋。
おばあちゃんが、いつも綺麗に掃除をして床を磨き、縁側のガラス戸を開ければ手入れの行き届いた庭が見える部屋であった。

しかしながら、その当時とは全く違う様相…
雨戸が閉められ、物は散乱し、おじいちゃんが亡くなった時のままのお供えものが、まだ置かれていた。
鈴棒で打ち鳴らす「おりん」の中には、焼香の際に使ったと思われるマッチの燃えカスが何本も入っていたり、
線香立ての灰の上も同様であった…

おばあちゃんのいる部屋へ戻り、話をお聞きすると、痴呆があって物忘れが激しいと仰った。
そして、いまこうして眼の前で話していれば、○○さんだとわかるが、少し経てば誰に会ったかさえ思い出せないとのこと…

それでも、車掌長が今日来たことを、何度も何度も頭を下げてお礼を言いながら、始終涙が止まることはなかった。
たまに、昔の記憶が呼び戻されるのか、おじいちゃんと孫と暮らしていた時の話になっては、あの頃に戻りたいと仰った。

今では、町のボランティアの人が昼に1回食事を届けてくれるとのこと。
それを食べきれず、夕食も間に合うそうだ。
人との接触は、それくらいなのだと察した。

お喋りが大好きで、きれい好きだったおばあちゃんも、今は危ないからと火を使うことも咎(とがめ)られ、何もせず生きているだけだと言う…

そして、会話の中では「長生きして申し訳ない」と、何度も口にされた。
車掌長は、「時」が変えたものを感じない訳にはゆかなかった。

人は命を「授かり」、この世に生まれてくる。
そう考えれば、人の一生の終わりは、命を「お返し」することになるのだろうか…

自分の命であっても、それは授かりものである以上、最後はお返しするもの。
そうであれば、決して粗末にしてはならない。

車掌長自身も、ゆくゆくは、どんな形であの世にお返しすれば良いのか…

京都を訪れ、己と向き合ったことと、お世話になった方へのご焼香で気付いた「時が変えたもの」…

色々なことを考えさせられた年の瀬の旅であった。