時が変えたもの

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年12月10日 05:33

先日、「哲×鉄」車掌区&保線区合同の忘年会旅行を催行した。

向かった先は京都
紅や黄色の葉をつけた木々が、いにしえの町々や社寺を彩り、心が華やいだ。

車掌見習は、風に落ちる葉を追いかけたり、来たばかりの道を戻ろうとしたりと、なかなか前へ進めない観光も楽しんだ。

一方、己の心と向き合えるのも、京都が持つ不思議な力の一つ…
幾年もの歳月を積み重ねてきた、自然と文化、人々の想いetc…
それらが、かような境地へ誘うのかもしれない。

日頃、大変お世話になっている保線区お二人との楽しいひとときは、瞬く間に過ぎた。
どんなに楽しい時間であっても、1日の長さは例外なく、正確に24時間であることを実感させられる…
今後も佳き時間、善き人生をともに過ごしてゆきたい、そう思った。

京都からの帰り道、途中で保線区お二人と別れ、日を置いた翌日
車掌長は、学生時代を過ごした知多半島へ独りで向かった。
先月、乗務日誌にも「哀しい知らせ」と題し記した、お世話になった御方のご焼香に伺いたかった。

専務車掌の実家から1時間半ほどで到着。
お世話になった頃と、変わらぬ家の構えではあったが、どの部屋も雨戸が閉められていた。

玄関へ回ると、おばあちゃんが掃き掃除をしていた。
「おはようございます」と声をかけたが、誰だかわからなかったご様子だったので、名前を言った途端、その場に座り込んで泣き崩れてしまった。

そして、おじいちゃんが亡くなり、私だけが生きていてお恥ずかしい…と目に手を当てながら、「覚えていてくれて、本当にありがとう…」と、仰った。

息子さんから喪中葉書をいただき、ご焼香に伺った旨お話すると、仏壇のある部屋へ通してくれた。
そこは、家庭教師に来た際、いつもおじいちゃんと世間話をした部屋。
おばあちゃんが、いつも綺麗に掃除をして床を磨き、縁側のガラス戸を開ければ手入れの行き届いた庭が見える部屋であった。

しかしながら、その当時とは全く違う様相…
雨戸が閉められ、物は散乱し、おじいちゃんが亡くなった時のままのお供えものが、まだ置かれていた。
鈴棒で打ち鳴らす「おりん」の中には、焼香の際に使ったと思われるマッチの燃えカスが何本も入っていたり、
線香立ての灰の上も同様であった…

おばあちゃんのいる部屋へ戻り、話をお聞きすると、痴呆があって物忘れが激しいと仰った。
そして、いまこうして眼の前で話していれば、○○さんだとわかるが、少し経てば誰に会ったかさえ思い出せないとのこと…

それでも、車掌長が今日来たことを、何度も何度も頭を下げてお礼を言いながら、始終涙が止まることはなかった。
たまに、昔の記憶が呼び戻されるのか、おじいちゃんと孫と暮らしていた時の話になっては、あの頃に戻りたいと仰った。

今では、町のボランティアの人が昼に1回食事を届けてくれるとのこと。
それを食べきれず、夕食も間に合うそうだ。
人との接触は、それくらいなのだと察した。

お喋りが大好きで、きれい好きだったおばあちゃんも、今は危ないからと火を使うことも咎(とがめ)られ、何もせず生きているだけだと言う…

そして、会話の中では「長生きして申し訳ない」と、何度も口にされた。
車掌長は、「時」が変えたものを感じない訳にはゆかなかった。

人は命を「授かり」、この世に生まれてくる。
そう考えれば、人の一生の終わりは、命を「お返し」することになるのだろうか…

自分の命であっても、それは授かりものである以上、最後はお返しするもの。
そうであれば、決して粗末にしてはならない。

車掌長自身も、ゆくゆくは、どんな形であの世にお返しすれば良いのか…

京都を訪れ、己と向き合ったことと、お世話になった方へのご焼香で気付いた「時が変えたもの」…

色々なことを考えさせられた年の瀬の旅であった。
 

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