東京の夜景に映る黒い影

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年12月23日 06:17

冬、寒さが増す一方、空気は澄み渡り、夜景もひときわ美しくなる季節…

某航空会社の機内誌で、パイロットがこう紹介していた文章を思い出す。
上空から見る夜景で、世界で最も美しい都市は「TOKYO」です…と。

車掌長も夜景は大好きだ
記憶にある、最初に夜景を「きれい」と認識できたのは、小学2年生の夏。

母の実家がある兵庫県の姉宅に預けられていた際、何かの用事の帰りに夜の六甲山を車で走った。
当時は360ccという規格、つまり今の軽自動車の半分ほどの排気量の車が健在の頃…
急坂の山道を登りきれず、真っ暗な中、従兄弟たちと車を降りて押し歩いた。

そして、上り坂を終えた頃に、ふと気づくと神戸や大阪の夜景が目に映った。
暗い夜に、そこだけが光り輝き浮かんでいるような、不思議な美しさであった。

大人の会話で「100万ドルの夜景」という言葉を耳にしていたが、あまり意味がわからなかった。
むしろ、当時その従兄弟たちが好きだったTV番組「600万ドルの男」というタイトルが、夜景の100万ドルと混同し、今でも「○○ドルの夜景」と耳にすると、そのTVを思い出してしまう。

話が脱線してしまったが、東京の夜景が美しいことは、車掌長も異存はない。

しかしながら、最近の新聞で内閣府が行った調査で気になる記事を目にして複雑な思いに駆られた…

それは、サラリーマンの労働時間と評価についての意識調査。
手短に結論を話せば、「長時間労働をする社員ほど、上司の評価が高い」という実態が浮き彫りになった。

そして、内閣府が仰るには、「残業を減らすには、管理職の意識改革が不可欠」とのこと。
こんなコメントであれば、事態は何も改善しないと感じた。

夜景に話を戻そう
東京に限らず、日本の都市の夜景はきれいだと思う。

しかしながら、その光源は長時間労働の証。
つまりオフィスの灯たち…

おそらく、聳(そび)え立つ超高層ビル1本あたり、数千から1万人もの人々が働いていると察する。
そんなビルが何本あるか、多すぎて見当もつかない。

オーストラリアに住んでいた頃、シドニーを何度か訪れた。
世界三大美港とも称される、美しい「City」だ。

夜景を楽しみながら食事のできるクルーズに乗船した際、どのビルも全ての窓が煌々と光り、「オージーも仕事熱心ですネ」と話したら、クルーが「オフィスには誰もいないヨ」と一言。
付け加えて、あのビルの灯りは「観光客のための夜景用で、政府が電気代を負担して点けている」のだと…

確かに、22時か23時になった瞬間、電気は次々に消え始め、元々誰もいなかったことを目の当たりにした。
お国柄とはいえ、日本とオーストラリアでは、個人の所有する時間の豊かさが違うものだと実感した。

なるほど、東京の夜景は平日は光のボリュームが多いが、会社等が休みとなる土・日は少ない。
そう思うと、夜景の美しさの裏では、個人の意思よりも上司の顔色を窺(うかが)い、長時間労働に従属させられる「ブラック」な影が見える気がしてきた。

若者を使い捨てのように長時間拘束し、その対価も正当に払われないような会社も多いと耳にする。
そんな負の灯りを、単純に美しいとは思えなくなった年の瀬でもある…
 

コメント(4件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年12月25日 01:26投稿)

こんばんは

夜景といえば、私は大阪と奈良の府県境にある生駒山から見る夜景が好きです。
その途中にある走り屋のメッカ「阪奈道路」から見える夜景は、つい脇見運転をしてしまう程(ホントはイケないことですが)の美しさです。

私は田舎育ちで、今も実家の周囲は夜遅くなると真っ暗ですが、夜景の代わりに夜空に星がたくさん見えます。

私が中学生の頃は天の川が見え、6等星まで見えました。北斗神拳に出てくる死兆星なんてよく見えてました(笑
この星は、古代エジプトで兵士の視力検査に使われていたらしいです。

そして生意気にも「天文ガイド」なんていう専門誌を購読して、流星群観察に熱中してました。一眼レフのカメラをバルブでシャッターを30分くらい開放して、流星の写真を狙ったりしていました。(下手くそで、ぜんぜん写せませんでしたが・・・笑)

先日もふたご座流星群が話題になっていましたね。数では夏のペルセウス流星群の方が多いのですが、空気の澄んでいる冬のふたご座流星群の方が断然きれいに見えます。

田舎で自然のリズムでのびのび暮らしていたことが、とても贅沢に思える今日この頃です。

車掌長さんからのコメント(2013年12月25日 05:33投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんの幼少時代の時間旅行、車掌長も楽しませていただきました。

「夜景の代わりに夜空に星」…
今となっては、お金で買えない素晴らしい環境や想い出です。

希望者挙手さんの少年時代の話、専門学校で一緒に働いていた時には、あまりお聞きした記憶がありません。

しかしながら、時を経て、この乗務日誌上で拝読する機会が多々あり、色々なことに興味を抱き、ご自身で工夫した楽しみ方を味わった経験が豊富だからこそ、いまの希望者挙手さんが存在するのだと実感しております。

当時は、幸いにもスマホやオンラインゲーム機などが世の中に存在せず、アナログで遊ぶ無限の楽しみがあったように感じます。

端末の機械からストレートに与えられる刺激の強い、何の生産性もない仮想空間の遊びではなく、限られた少ない道具の中から、自分自身で興味やヒント、きっかけを見い出し、創造性や想像力を育めたように思います。

そこには常に「なぜ?」という素朴な疑問にぶつかります。
また、「感触」という、まさに「触れて感じた」何かが発生します。

そして、これらこそが、子供の成長に欠くことのできない、食物からも摂取できない貴重な栄養素なのではないか…と思うのです。

ところで、バルブ撮影という言葉も懐かしいですネ。
いまやデジカメのおかげで、誰でもある程度まともな写真が撮れますが、やはり「バルブ撮影」の経験があれば、更に奥深い描写が可能です。

車掌長も少年時代、鉄道雑誌で目にした列車のテールランプが流れるような写真に感動して、バルブ撮影を知りました。

どんな絞りで、どれくらいの時間シャッターを開いておけばよいのか、子どもながらに考えて、現像後の写真を見て確かめ、一喜一憂した時間が懐かしいです。

それにしても…
なぜ、「懐かしい時間」というのは、不便だったことが浄化されたり、忘れてしまい、美化へと昇華するのでしょうか…

時間旅行をしていると、そんな疑問によくぶつかります。

希望者挙手さんからのコメント(2013年12月26日 20:29投稿)

こんばんは

車掌長の疑問は同感です。

私が思うに、不便だからこそ、達成感や充実感が得られ、その先には大小様々な感動があったような気がします。

人間には枯渇感やハングリー精神があった方が、感受性が豊かになれるのではないでしようか。

しかし、600万ドルの男、私も観てましたよ。その後、バイオニックジェミーも観てました。
よくドアノブをつぶしちゃうマネなどしてました(笑
そんなことでも感動してたんですね

車掌長さんからのコメント(2013年12月27日 06:05投稿)

「不便だからこそ、達成感や充実感が得られ…」

希望者挙手さんの仰ることに、納得です。

話が逸(そ)れるかもしれませんが、言い換えれば「便利さと引き換えに、達成感や充実感は稀薄に…」なるのでしょう。

皮肉なもので、不便さからの脱出や改善を望みすぎた結果、過剰とも言える「便利さ」の追求が、今日暮らす世の中…

そして、国民がお互いにその「過剰な便利さ」を要求し合う結果、自分の身や生活を削るような見かけ上の「サービス」を、仕事や義務として求められているように思います。

また、便利さは「迅速さ」や「正確さ」もセットになっていますので、少しでもモタついたり、間違うと批判も厳しいものです。

日本社会全体が、便利・迅速・正確を常に求め合いながら、自分の「快適さ」を高めるために、お互いを監視し合っていないでしょうか。

そのような状況下、立場の弱い者に対して、ストレスの解消先を見い出し、暴言を吐く人を見かけます。
部下や店員、駅員、配達員、役場の窓口、子ども、老人etc…

決して、上司や経営者、更にもっと上に存在する社会の理不尽な仕組みや制度に怒るのではなく、自分よりも弱い者へ、コントロール不能となった己の感情の後始末をする愚かさが横行しています。

便利さを求めすぎた結果、他者への思いやり、気遣い、想像力、許容力、寛容力…という、人間社会に必要な「心」や「力」を、どこかに置き忘れてきてしまったと、つくづく思うのです。

これは決して世界に誇れる「おもてなし」ではありません。

このように考えると、その置き忘れた場所を、時間旅行中に偶然見つけたり、気づくことができると、「懐かしい」という感慨に浸れるのかもしれません。

裏を返せば、ベンリなような今日であっても、実は、常に緊張した、ゆとりのない時間を過ごしているからこそ、戻ることのできない「そうではなかった頃」が、美化されるのかもしれません…

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