トワイライトエクスプレス来春廃止

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年5月29日 05:25

今朝の新聞で、大変残念な記事を目にし、出勤前に緊急乗務しておきたい。

大阪~札幌間を結んでいる、寝台特急「トワイライトエクスプレス」が来春廃止になるという。
主な理由は車両の老朽化とあるが、2016年春の北海道幹線開通予定も影響があるのだろう。

実際、JR東日本は北海道新幹線開通時における、青函トンネルの電圧変更で既存の機関車が使えなくなることを理由に、「カシオペア」「北斗星」の廃止を前向きに検討している。

JR北海道も、ここ数年の不祥事続きで安全対策に多額の投資を求められ、北海道新幹線開業と同時に第三セクターへ移管される在来線を走る1日1~2本の寝台特急のために、路線使用料を払う余裕はないらしい。

車両の老朽化、電圧変更による機関車の新造、第三セクター移管後の路線使用料、新幹線の深夜保守メンテナンス…
どれも、所管のJR各社が連携したり、知恵を絞れば、これら寝台特急の存続は不可能ではないと思う。

実際、青函トンネル対応の機関車新造はJR貨物が既に取り組んでいる。

どれも、「コスト」の一言で片づけてしまうのは、昨日の原発訴訟で触れた「国富の喪失」と言っては大袈裟であり不謹慎であるが、寝台列車や夜行列車をこよなく愛する者からすると、同等の喪失感がある。

しかしながら、JRは民営会社であるから、株主になんらメリットのない、利益を生み出さない投資はしないのであろう。

せめて…という表現になってしまうが、こんな方法はとれないのだろうか。
廃止後の「トワイライトエクスプレス」や「カシオペア」「北斗星」を、JTBや近畿日本ツーリスト、日本旅行等の旅行会社が車両を持ち回りや共同でリースし、既存の営業路線以外をチャーター運行するツアーを企画し、「プチ・クルーズトレイン化」するということ。

「ななつ星」ほどの豪華さでなくても、これら3列車には一定のリニューアルを施せば、十分魅力的な列車だと思うし、新造するほどのコストもかからないであろう。

もちろん、実現には想像も及ばないような色々なハードルがあるのだろうが、JR各社や旅行会社が手を組んで、そのような形でも存続ができれば夢のようだ。
 

国富とは

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年5月28日 05:24

「経済より安全」と、言い切った判決が先週あった。

福井地裁における、原発訴訟での判決だった。

これまでの原発訴訟は、原告が負け被告(電力会社)が勝つのが「パターン化」していた。
判決はなぜこうも、電力会社やその時の行政・政府の意向に沿ったもの、偏ったものになるのか…素朴な疑問であった。

しかしながら、今回の福井地裁での判決は、久々というか、おそらく初めて心の奥底まで響き落ちる、本当の「国富」の意味が貫かれていた。

判決理由の最後の部分が新聞に掲載されていた。
あまりにも感動したので、乗務日誌にも残しておきたく、抜粋しておきたい。

「当裁判所は、極めて多数の人の生存そものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。」

「このコストの問題に関連して国富の流失や喪失の議論があるが、原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても(それは国富の流出などではなく)、豊かな国土とそこに国民が根を下して生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である。」

司法判断として、経済性よりも国土や国民の生活の安全の方が、何よりも勝る財産であると位置づけたことを、尊く想い、その言葉を噛みしめる…

 

 

今のうちに渡っておこう

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年5月26日 19:53

先日、新聞で「横断歩道橋」が、全国的に減少しているという記事を目にした。

理由は、まず「老朽化」。
今の日本中に言えることだが、1960~70年代に整備されたインフラが、次々に寿命を迎えつつある。

横断歩道橋も「交通戦争」と言われた1970年代に、安全な歩行ルートとして急増したが、老朽化に加え人口の高齢化で利用そのものが減っているのだという。

そういえば、車掌長がよく通る道路の歩道橋も、最近撤去されたばかりだ…

歩道橋といえば、数年前に愛知県清須市の「西枇杷島歩道橋」を渡ったことが想い出深い。
この歩道橋はその頃、知る人ぞ知る「日本で最初の歩道橋」とされていた。
そんな名橋を、日頃お世話になっている愛知県在住の友人に紹介され渡ったのだ。

今では新しく架け替えられたそうだが、1959年の架橋当時は、近くの小学校の児童が事故に遭い、道路に橋のようなものを…との願いから架けられたとのこと。

そして、設置当初の名称は「学童専用陸橋」だったという。
地域の大人たちが、子ども達を守ろうとした想いが伝わる…

日本は車優先の社会だ。
ヨーロッパを旅した時、信号のない横断歩道に人が立つと、どの車も必ず停まり歩行者に道を譲る光景を当たりまえに何度も見た。

日本では、歩行者が車の通行が途切れるのを待って、道路を横断している。

そうか、だから海外では歩道橋を見た記憶がないのか…

もしかしたら、外国にもどこかにはあるのかもしれないが、車掌長の海外旅行歴や海外居住では見たことが一度もない。
(しかしながら、アジアの某国では、歩行者が車道を命懸けで渡るような光景を目にしたことはある)

何はともあれ、日本では利用者の減った古い歩道橋を架け替えるよりも、撤去した方が安いという方向のようだ。
もちろん、いまだ児童の安全を確保するための歩道橋は保持されるのだろうが、皆さんの近所にある歩道橋も、今のうちに渡っておいた方がよいかもしれない。

もしかしたら、その日頃とは違う高さの目線で見えた風景に、違う世界との出逢いがあるかもしれない…
 

 

元素周期表

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年5月17日 06:26

今朝の朝日新聞、中折り全面広告に魅了された。

それは、元素周期表。
「東京エレクトロン」という会社の提供によるものだが、”この1枚に、世界のぜんぶがある"とのコピーもステキ。
また、1つ1つの元素について、概要や用途がコンパクトに説明されており、非常に面白い。

眺めていて面白かったのは、「ウンウンベンチウム」や「ウンウントリウム」などの名称だ。
特に、「ウンウントリウム」は、日本で発見された新しい元素とのこと。
なんだかよくわからないが、誇らしい気分になる。

元素周期表は、原子番号1番の水素から始まり、20番のカルシウムまでは、暗記した記憶のある方も少なくないと思う。
「水兵リーベ僕の船な、間があるシップス、クラークか」と、勝手に字を当てはめ覚えたものだ。

車掌長の高校時代の担任は、3年間変わらない仕組みだったが、その担任が物理の教師であった。
そして、高校2年の物理の授業で、文系であろうが理系でなかろうが、「一般常識」として覚えておけ、という問答無用的な指導で覚えさせられた。

また、単に覚えさせるだけでなく、世の中に存在するもの(物質)が全て、この一覧表に収まっているとして、興味深い話を幾つもして下さった。

そして、どんな学習も身近なものを例示し、それらが遠い存在、自分に関係のない物事や出来事ではない、という考え方や、物事の見つめ方を教えていただいたように思う。

どの高校でも文系や理系などにクラス分けをして、効率的な進路指導や学習を進めているが、車掌長の通った高校はそのような「普通」の学校ではなく、「変わった」「面白い」学校であった。

ゆえに、あえて分類すれば文系の車掌長も、物理や化学、数Ⅲまで必修で履修した。
逆に、理系の者も、入試には全く関係のない古文や日本史、世界史、地理などが必修であった。

当時は、進路とは関係のない無駄な勉強と思ったこともあったが、単に「ツメコミ」でない授業はどの科目も楽しかったと記憶している。

そして、この歳になって察することができるが、教師一人一人の一回一回の授業の準備は、さぞかし大変だったであろう…と、今さらながら感謝の念が込み上げてくる。

今朝、この元素周期表を見つめて、そんな恩師のことを懐かしむ時間旅行を楽しめた。
この全面広告は保存版として鞄にしまい、通勤の電車の中や所用で空いた時間に眺めて楽しもうと思う。
 

ありのままに

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年5月 8日 04:46

今春封切られたディズニー映画が大人気とのこと。

中でも、多くの人の心を掴んで離さないのが「ありのままで」という曲らしい。
車掌長も聴いてみたが、なるほど良い歌詞と曲であった。

一方で、その曲名である「ありのままで」生きることが、いかに困難な世の中であるのかも透けて見えた。

そして、だからこそ、その曲や歌詞、主人公の生きざまを通して、日常の束縛や抑圧、他人の目から解放された自分を投影しているのかもしれない。

余談で恐縮だが、車掌長が小学生の頃に「あのねのね」というコンビが歌う「みかんの心ぼし」という曲があった。

その歌詞の中で、今でも車掌長の気に入っている部分がある。

ありのままに生きようとした蟻は…
ありのままに生きようとした蟻は…
(これを何度か繰り返す)

その結末をご存知の方は、車掌長と同年代以上か、このコンビのファンぐらいかもしれない。

しかしながら、その結末こそがダジャレのようだが、哲学的な感に満ちていて大好きだ。

ありのままで生きよう、生きたいとする自分も、既存の自分のままなのかもしれない。

もちろん、「ありのまま」という概念は、その人によって十人十色…
どのような自分が「ありのままの自分」なのか、各人にとって思う節があるだろう。

ただ、本当にありのままに生きている人は、そもそもそのようなことを思わない、気付きもしないのではなかろうか?

車掌長も、そんな生き方を望みながら、できない凡人でいる。