日付変更線

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年10月31日 05:45

今週、関西方面へ出張した際に宿泊したホテルで、たまたま見たドラマの話。

「素敵な選TAXI」という番組だったが、途中から見始めてついつい全部見てしまった。
車掌長としては珍しく夜更かしをした。

人は誰でも「あの時に戻れたら…」と思うことがある。
そんな、人生のやり直しを実現してくれるタクシーの話だった。

そして何よりも、そのタクシーに使われている車両が良かった。
丸みを帯びた外観から「クジラ」と呼ばれた、クラウン4代目であった。

どなたかが所有している車両を借りているのかもしれないが、40年以上前の車が今も走る姿を見ると、ほのぼのと嬉しくなる。

また、時間を戻す際の効果音が登場し、「タイヤスリップ痕」を文字って「タイムスリップ音」としているのも一興であった。

ところで、この「選TAXI」の運賃が気になるが、その話の中では数時間戻って6万円ほど。
それが安いか高いかは、当該人物の過去へ戻りたい切実さによるだろう。

現実の世界では、あり得ない話だからこそ、とても面白い趣向の番組だった。

そんなとき、ふとこんなことを思った。

現実の世界で時間を戻せる体験ができると…

それは、国際線で日付変更線を越えること。
実際、手元にあったJTB時刻表の国際線の頁を開くと、そんな便が実在した。

例えば、羽田発サンフランシスコ行のJAL002便。
羽田0:05発、サンフランシスコには「前日」の16:15着。

これは東へ向かう太平洋上で、日付変更線を越えることによって起こる現実の時間旅行。
時刻表の誌面上のことだが、なんとも不思議な気分に浸れる…

もちろん、この現実の時間旅行では、同じ場所に戻って失敗を「やり直す」ための時間の遡及(そきゅう)はできない。

しかしながら、日本を離陸した深夜、天空の機内で誕生日や記念日を祝い、目的地に着いたらもう一度祝えるサプライズとかであれば、それはとっても素敵な時間旅行になるだろう。
 

 

時が紡ぐ再会の喜び

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年10月26日 04:45

昨日、乗務日誌ご常連の希望者挙手さんとお会いした。

先日、新たな門出を発たれたとお聞きし、その祝杯を挙げるという目的であった。
場所は、浅草鳥越のおかず横町にある「居酒屋まめぞ」。

ここは夏に希望者挙手さんが勧めてくれた、深夜TV番組「孤独のグルメ」に取り上げられた店。
ちょうど見始めた頃に放映された店で、ぜひ行ってみたいと思っていたが、このたび思いがけず、希望者挙手さんが席を用意してくださった。

カウンターとテーブル席の双方で15名しか入れないこじんまりした店で、昨日は予約で満席。
18時開店とともに入ると、扉を開けてすぐ左の窓側の2名用テーブルに案内された。

先ずは、生ビールを注文し、アテにほたるいかの干物と秋田名物のいぶりがっこを選んだ。
ほたるいかの干物は、富山で初めて食べたことがあるが、ワタの苦みが絶品で好物だ。
ビールが席に届き、祝杯を挙げた。
美酒!

そして、喉を潤し、次のツマミが来る合い間に、希望者挙手さんへプレゼント。
今回は、新たな門出の日付にも因(ちな)んだ、「東海道新幹線開業50周年記念入場券全17駅セット」。
これは車掌長も所有しているが、ぜひ希望者挙手さんとも分かち合いたいと思い、もう1セットを差し上げた。

すると、今度は希望者挙手さんから、思わぬプレゼントをいただきビックリ。
それは、「0系新幹線電車」と「ドクターイエロー(T2編成)」のチョロQセット。

希望者挙手さんから話を伺うと、新幹線を製造する日本車両の豊川製作所で、0系新幹線の保存1周年を記念して限定販売されたチョロQとのこと…

車掌長は0系新幹線が大好きなので、これには感涙であった。
未開封であったことから、希望者挙手さんも大切にされていた逸品であったと察するが、ごのご厚意に感謝!

そんなことをしているうちに、料理は次々と運ばれ、舌鼓を打ちながら楽しいひとときは瞬く間に過ぎた。
宴のシメは名物「カツサンド」。
アツアツ&サクサクの分厚いカツは美味であった。

希望者挙手さんとは、専門学校で一緒に教務の仕事をして以来、20年以上のお付き合いになる。
専門学校での職を別ってからは、それぞれ違う仕事を幾度となく変えつつ現在に至っている。

そして、色々な節目節目でお会いしては、その時その時の近況や過去の想い出を楽しく語ってきたが、お互いにシンドイ時期も幾つもあった。
しかしながら、それはそれでお互いにポジティブに受け止めている。

そんな再会の繰り返しや時間の蓄積が今では宝物になってきた…

20数年経っても、会うたびに何か新鮮な影響をいただきながら、今後もそんな「時」を紡いでゆければ幸せである。

末筆ながら、改めて新たな仕事の始まり、お祝い申し上げます。
忙しくも充実したお時間かと存じますが、どうぞお体ご自愛ください。

次回は新年会ですネ!
車掌長も面白い報告ができるよう、日々の生活を乗務してゆこうと思います。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年10月26日 23:57投稿)

こんばんは
久しぶりの夜行乗車です。

お会いする度にお互いに人生何かしらのイベントやトピックがあり、そろそろ落ち着かなければなどと反省しながらも懲りていない、楽しい時間を過ごすことができましたね。
転職の回数が車掌長を超えてしまったとは驚きでした(笑

車掌長とのイベントで企画するお店は、前回の半沢席もそうでしたが、不思議と見事に手配できるんですね。
今回も予約で満席の中、まるで列車の窓側のような席に案内され、私も驚きました(笑

お酒も料理も本当においしいお店でしたね。

また、お勘定の際にはお互いに同じ気配りが感じられ、ちょっと嬉しい瞬間でした(笑

東海道新幹線が50周年を迎えた10月1日に私も新たな門出を迎え、そんな日に発売された記念入場券セットでお祝いいただき、ありがとうございました。

9月の1か月間は充電期間のため前日までは時間が余りあるほどあったのに、購入できずに悔しい思いをしていましたので、本当に嬉しかったです。

新年会も楽しみですね。
お互い健康に気を付けて、人生を満喫しましょう!

車掌長さんからのコメント(2014年10月27日 05:56投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんに転職回数を抜かれたこと、光栄に存じます(笑)
このような回数は競い合うべきものではありませんが、それらが少なからず、私どもの人生の肥しになっていることは否めません。

おそらくこのような生き方は、一般的な見方や評価として、かなり遠回りな、無駄な時間を過ごしたように映ったり、言われることかと察します。

しかしながら、この混沌とした世の中、「何が正しいか」という話になると、それは正解がないように思えます。

大切なことは、物事の判断や選択に際し「人に委ねない」「人のせいにしない」こと。
そして、その結果を「人と比較しない」こと。
これはいわば、自分だけのオリジナルな、人生という名の「旅程」を楽しむコツだと思うのです。

そういう思考で日々を過ごしたり、世の中を見回すと、人のやっていないことに魅力を感じたりするのです。

そのヒントは、今の時代であれば、アナログ的に生きること。

デジタルな世界が便利なことは、百も千も承知ですし、全てを断ち切ることは実生活において不可能なことですが、その距離を幾分おくことで、オリジナルな自分の人生は十分に楽しめます。

それは、最初はやや面倒なことと向かい合わざるを得ませんが、慣れると、自分なりの「五感」や、シックスセンスと言われる「第六感」が冴えてきます。

車掌長も一昔前は新しいもの好きで、世の中で新たな技術革新が起きると、すぐさま飛びついて体験したり、所有したい欲求に駆られたものですが、何か心が満たされないモヤモヤ感がありました。

結局、それらを所有しても更なる欲求が、次の新しい「モノ」や「スピード」、「レスポンス」への執着を煽(あお)ることに気付いたのです。

そして、そのような消費生活、脅迫観念の中で、自分自身の成長に資する栄養の偏りや貧困さに気付いたのです。

人生を心豊かに、面白く生きる方策は、お金をいくらかけても得られるものではなく、むしろ、金銭に換算できない「プライスレス」な時間の過ごし方や人との結びつきこそに、自分の生き方の価値を見い出すようになりました。

このような車掌長で恐縮ですが、お互いに「自分が楽しいと思える人生」のお付き合いのほど、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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エチュード

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年10月22日 05:30

♪トゥルリラー トゥルリラー 風に吹かれて 知らない街を旅してみたい

聖子ちゃんが函館の街でポッキーを食べながら、そう口ずさんだのが1982年秋。
あれから30年余り経つが、今も秋になるとこの曲を懐かしく思い出す車掌長である。

当時は中学3年だったが、なんと旅心を揺さぶる曲だろう…と感じた。
その頃、それまで存在しなかった中学の課内授業の「必修クラブ活動」で、鉄道好きの英語教師が、車掌長が一人旅をしいてることに興味を持ってくださり、何人かの同好者もいることをリサーチし、旅行研究クラブを立ち上げてくれた。

クラブとは言っても、正規の授業時間内に行われる1コマ45分の短い時間であったが、車掌長にとっては、天国のような時間であった。
いま思えば、校内暴力が社会問題化する荒れた時代でもあったが、一方で中学の授業で好きなことをさせてくれる、のどかな時代でもあったと思う。

冒頭のフレーズで始まる歌は、ご存知の方も多いだろうが「野ばらのエチュード」。
エチュードとは、美術や音楽における「下絵」や「練習曲」といった意味合いがある。

練習曲としての「エチュード」と言えば、ショパンを連想する。
ショパンは幾つものエチュードと名の付く練習曲を後世に残しており、その全てを知っているわけではないが、中でも「別れの曲」や「革命」は大好きだ。

芸術の秋、読書の秋、行楽の秋、食欲の秋…

秋は様々な行動願望を呼び起こす季節のようだ。

車掌長も本来は「六十の手習い」であるところを前倒しして、「四十の手習い」として何かのエチュードとなるような、手ほどきを受けてみたくもなる…

いやいや、そんなこと以前に、風邪の季節も本格化するし、まずは「四十の手洗い」が先か…
などと、くだらないオチに納得した。

 

 

そういう世代

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年10月19日 05:05

先日、国土交通省がリニア着工を認可した。

東京・名古屋間が40分、時速500㎞。
子どもの頃は未来の夢だと思っていた話が現実となるのか?
40代後半となった今、いざそんな話になってくると想いは複雑だ…

リニア開通のメリットは、そのスピードが生み出す移動時間短縮と、その恩恵による経済効果と言われ、識者によれば、首都圏と中京圏(後に関西圏も)が、世界に類を見ない巨大都市圏を形成するとのこと。
そして、人の往来が活発になり、経済を活性化しようと目論(もくろ)んでいるようだ。

なんだ、また「お金」の話かと、その発想の根源には辟易(へきえき)してしまう…
人の往来の増加と言うが、日本人の人口は少子化で減る一方だから、外国人の移住でも想定しているのか?
そうでなくても、リニアが完成する頃は、人が移動せずに用が足りてしまう技術革新が起こるかもしれない。

もちろん、新たな科学技術の進歩や、人間が未知なものを希求及び探求しチャレンジする精神は大切だが、時にその行動は人類に幸福をもたらさないこともあろう。

原子力発電などは、その最たる負の産物だ。

また、リニアは多くの未解決の課題を放置したままだ。
一民間企業のプロジェクトであることを盾に、国民的議論を巻き起こさず、「明るさ」のイメージ先行で認可に至ってしまったことは、将来に禍根を残すだろう…と懸念する。

その課題とは、様々なメディアを通して各方面の識者が論じているので、ここでは割愛させていただく。

一方、リニア着工について別の視点・角度から、車掌長はつくづく思うことがある。
それは、今より更に、物事に「のりしろ」のない、気持ちに余裕のない、選択肢のない国になるなぁ…と。

私見で恐縮だが、車掌長が子どもの頃、例えば東京から名古屋へ行く場合は、幾つかのルートを選ぶ楽しみがあった。
もちろん、当時の人の多くも、ふつうに東海道新幹線を利用したことは、今と変わらないだろう。

しかしながら、ちょっと寄り道をしていきたいと考える酔狂な人間には、いまとは比較にならないほど、選択肢となる列車が多かった。
それは、今は絶滅状態の「急行列車」や「長距離普通列車」、そして何よりも沢山の「夜行列車」の存在であった。

それらを駆使し、東海道本線で途中下車をしながら、或いは遠回りして中央本線や大糸線、高山本線で美しい景色を楽しんだり、飯田線経由でのんびり各駅に停まりながら膨大な時間をかけて、名古屋へ向かうという楽しみと選択の自由度はすこぶる高かった。

一般的には、非常に効率の悪い移動時間の使い方に映るかもしれないが、その移動時間に出くわす非日常な時間やトラブルも含んだ出来事は、後々の「生き方」や「考え方」の多様性に、大きく寄与したと思う。

そして、それらは1つ1つの物事と自分を強力に接着させる「のりしろ」になってきたと感じる。

車掌長は、たまたまそのジャンルが「旅」であっただけだが、同世代で「何か」にこだわりのあった人はそれぞれのジャンルで、或いは特段のこだわりがなくとも、日々の暮らしや遊びの中で同じような経験をしてきたのだと思う。

一見、遠回りや寄り道ばかりをして、無駄のように思われる時間の使い方を積み上げてきたことが、車掌長と同世代の生き様というか、面白さではないだろうか。

言い方を換えれば、何でも自分でやってみた結果、「良かった」や「ダメだった」と確かめる醍醐味や、それらを実践できる選択肢の多さがあったとも言える。

今は掌(てのひら)の中で、実体験を経ずに結果を見極められ、無駄なことをせずに済むらしい。
その結果、物事を効率的に進める「パターン」や「思考」が浸透し、誰もがそこを通るようになってしまった。

それはそれで、とても賢いように見えるが、逆に選択肢のない社会になったとも言えるだろう。
個人の動きや人生にさえ、効率や合理性を求められ、無駄であることに不寛容である社会…

自分で考えて動き失敗を重ね、何かを学び、習得することに喜びや価値を見出せた車掌長の子ども時代。
もはや「そういう時代」ではないのだろうが、「そういう世代」であるのが車掌長だ。

杞憂に過ぎればよいが、リニアが完成すればそんな息苦しい(生き苦しい)社会へと、ますます加速する懸念を感じてしまった。

 

50年後の東京

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年10月14日 04:39

三連休の前半、専務車掌の母上と叔母様が上京した。

発端は、数年前から母上が「一度でいいから歌舞伎を観てみたい」という希望を知ったこと。
その後、父上が他界し、母上もなかなか仕事の休みが取れない等々、実現できずにいた。

しかしながら、これはこちらで全てお膳立てをしないと実現できないと、専務車掌と画策。
いよいよ今年の夏から、その夢の実現に取りかかった。

先ずは何と言っても、歌舞伎のチケット入手。
せっかくだから歌舞伎座で観てもらいたいと調べ始めると、土・日はなかなか難しそうなことがわかってきた。
しかもどの土・日でもというわけでもなく、歌舞伎観賞とセットで東京案内もするため、車掌長が勤務日でない土・日に限られた。

そこで割り出せられた日程が、10月11日(土)午前の公演であった。
歌舞伎座の一般発売は1ヵ月前だが、某クレジットカード会社の月刊誌を見ると、たまたま希望日時の枠があることを発見。
専務車掌が、1ヵ月以上前となる8月下旬の発売日の受付時間を狙って電話予約し、事なきを得た。

軸となるチケットが入手できれば、あとはその前後の旅程の肉付け作業。
その際、同行してくださる叔母様は、上京は中学の修学旅行以来50年ぶりと知り、気合が入った。

まだ先の予定と思っていたが、あっという間にイベントが近づいた先週、天気予報を見て唖然…
台風19号が三連休を直撃とのこと。

どうか前半の2日間だけでも、雨が降らずにいてほしいことを願いながら当日を迎えた。

当日、お天気は良好だったが、ハプニングは出鼻から起きた。
母上と叔母様が某駅で合流し、東海道新幹線に乗るべく名古屋へ向かう列車が、鹿に衝突し遅延とのこと。

なんともローカルな事件だと思いつつ、名古屋駅での乗り換えは余裕をもって20分とっていたが、それも危うい事態に…
しかも、母上は足があまりよくないので、無事に乗り換えができるか、本部はソワソワした。

乗車予定の時間が過ぎた頃、無事に乗ることができたとの一報に胸を撫で下ろした。

東京駅の到着ホームで、専務車掌、車掌見習の3人で出迎え、ハプニングの珍道中を労いつつ再会。
だが、よくよく母上の話を伺うと、乗り換えで急いで足にかなり無理をかけたことが判明した。

東京駅のデパ地下で昼食を調達し、そのまま歌舞伎座へ車でお送りした。
ほどなく着いた歌舞伎座は大勢の人で賑わっており、「ハレ」の場所であることを感じた。

初日は歌舞伎鑑賞後、当車掌区に来ていただき宿泊。
夕食の際、念願の歌舞伎鑑賞も叶い、「冥土の良い土産話になった」などと冗談も出たが、大変喜んでいただけた様子であった。

翌日もお天気はまずまず。
いよいよ東京観光のスタートだが、長くなってきたので、ポイントを羅列したい。

①東京タワー大展望台
②車窓観光(築地市場、両国国技館、秋葉原、上野)
③スカイツリーを見ながら昼食
④人力車体験で浅草散策
⑤スカイバスで皇居・銀座周遊

③は浅草ビューホテルの26Fレストラン。
3席しかないスカイツリーを真正面に眺めながら食事ができる席をサプライズで手配し、その景観に圧倒していただいた。
たしかに、この場所がスカイツリーを見るには距離的にバランスが良く特等席だと思った。

④は食後、ホテル玄関前に人力車を待機させて2度目のサプライズ。
まさかこの歳になって、このようなものに乗れるとは…と、恐る恐るながら踏み台を使って乗車し、下町情緒を味わっていただいた。

⑤のスカイバスは、オープントップの2階建てバス。普段見られない視点の高さや風を切って走る爽快感を味わっていただき、50年前にも見たであろうスポットを次々と通過した。

テンコ盛りの東京観光であったが、全て時間通りに予定を無事にこなせたのは、車で走るルートと全ての駐車場を事前に入念に調べ、頭に入れておいたことが奏功した。

東京を出る新幹線の見送りの際には、お二人から何度も何度も礼を述べてくださり、それで十分報われた心地になったと同時にホッとした。

50年ぶりに訪れた東京の風景は、叔母様の瞳にどのように映ったのだろう…
また、母上もだいぶ足腰が弱ってきたことを目の当たりにし、専務車掌と今回実現して良かったことを共感。

何事も、元気なうちに楽しめた方が良いなぁ…と痛感した。