体育の日に思うこと

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年10月13日 12:34

10月10日が体育の日でなくなって久しい。

体育の日が10月第2週となり、たまたま10日になる年が過去にもあったり、今後もあるにはあるが、体育の日は毎年「10月10日」であることに本来の意味があったと思う。

月曜を祝日にして三連休にするのも結構だが、「体育の日」はその発祥の由来からして、10月10日であることにこだわってほしかった。

体育の日はここで言うまでもないが、50年前の1964年10月10日にTOKYOオリンピックの開会式が開かれたことを記念し祝うもの。

アジア地域での初開催や、戦後日本の復興を世界にアピールした点において、歴史的な日として日本の多くの人々の胸に刻んでおきたい祝日だ。

そんなメモリアルな日を、三連休にした方が経済の活性化をもたらすという、お決まりの安易で卑しく貧困なビジネス根性によって、台無しにされたのは至極残念だ。

ところで、今朝は多くの新聞で子供の体力についての話題が見受けられた。

それは、1964年度から実施されてきた「運動能力調査」の2013年度の結果を、昨日文部科学省が発表したことによるが、今回で50回目の節目にあたり、初回からの推移を公表したことが注目を集めた。

中でも、1964年の東京オリンピックや1972年の札幌冬季オリンピック、1997年の長野冬季オリンピックが開催された時はスポーツ熱が高まり、数値も上昇傾向を示したことが興味深い。

また、全体的には80年代が子どもの体力のピークだったことがわかる。

それは、64年から一貫して行われている4種目で比較したそうだが、握力、50m走、ボール投げ、反復横跳びという名称は懐かしかった。

握力と言えば、高校時代の友人にリンゴを握って潰せる強者がいたが、一体どれほどの握力があったのだろう…と、ふと思い出した。

車掌長は、スポーツは苦手な方だが、水泳は20年以上続けたり、体を動かすことは好きだった。
学生時代も車のトランクには、いつでもキャッチボールができるように、グローブ2個とボール、バットを載せていた。

いまや小学生からスマホを所持する子もいる時代。
高校生に至っては9割が所有し、起きている間は常に操作していないと不安になる子も少なくないようだが、体を動かすことの素晴らしさも並行して味わってもらいたい。

スマホでもバーチャルなスポーツはできるのだろうが、友人と交わすボールがミットに入る心地良さや痛さは味わえないだろう。

会話はしばしば、キャッチボールに例えられる。
相手が受け取り易く胸元付近にボールを投げるように、言葉も優しく心に届くように掛けられれば、コミュニケーションは良好かつ円滑になるであろう。

逆に、会話はドッヂボールではない。
相手を一撃でやっつけてしまうような、或いは集団で四方八方から追い込むものではない。

特に、顔の見えないスマホ(LINE)での会話というのは、よほど注意しなければ、そういう世界に陥りがちだ。

「体育の日」というものが本来の意義から外れた以上、10月第2週でもよいから、せめて子どもをスマホというちっぽけな機械から解放される契機となる日へと昇華してほしい…

子どもの成長に必要なものは、不特定多数の人とのつながりやアプリの数ではない。
たった1人でも、大切にしたい、大切にできると思える友人と出逢い、友情を育むことだ。

台風の近づく体育の日に、そんなことを考えたりした。
 

祝・東海道新幹線開業50周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年10月 1日 05:07

1964年10月1日6:00
東京駅から「ひかり1号」、新大阪駅からは「ひかり2号」の一番列車が出発。

50年前の本日、今や世界的に通用する言葉である「SHINKANSEN」が開業した。
日本では「夢の超特急」と呼ばれ、その呼称は未知なる速度への憧れのシンボルでもあった…

いま乗務日誌を綴っているこの時間、当時の一番列車のハンドルを握る運転士の緊張や興奮、不安、プレッシャーは計り知れないものであったと思う。

車掌長はいま、そんな運転士の心情を想像し、感情移入しながら…
心静かに…
東海道新幹線の開業50周年を迎えた朝を祝福している。

今では当たり前になった、下りが奇数、上りが偶数を付される列車番号も、東海道新幹線に導入されたもの。
在来線にも取り入れられたのは、14年後の1978年。
歌手の狩人が歌った、新宿8時ちょうど発の「あずさ2号」が存在しなくなったのは、この時からであった。

そんな昔を懐かしむ、覚えている方も多くいらっしゃると思うが、今日の話題の主役は「東海道新幹線」なので話を戻そう。

新幹線が凄いのは、進化し続ける速度や快適性はもちろんだが、何よりも「安全」に50年間運行されてきたこと。衝突や脱線、火災などの列車事故による乗客死傷ゼロは、素晴らしい実績だ。

この輝かしい実績の源泉とも言えるものが東京駅にある。
「東海道新幹線この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」という銘板だ。

この言葉はとても力強く、心に沁みる「何か」がある気がしてならない。

そして、いまも受け継がれるその精神こそが、全国に広がる新幹線網の安全を担保し、世界中からの賞賛と信頼を受け、魅力を高めているのであろう。

ところで、新幹線の建設及び開業に尽力した方はたくさんおられると思うが、その中でも当時の国鉄総裁だった十河(そごう)信二氏と、国鉄技師長だった島秀雄氏の功績・功労は忘れてはならない。

両氏とも新幹線建設費が当初の予定を超過した責任を感じ、開業前年に国鉄を退職されている。
しかも、開業の記念式典には招待されず、お二人ともテレビの前でその様子を見ていたという…

島秀雄氏の名言に次のような言葉がある。

「新幹線は事故を起こしません。そのように作ってありますから」と。

どんな分野の仕事でもよいが、このような言葉を発せられるプライドは、凡人には持てない…
しかしながら、車掌長も東海道新幹線開業50周年を1つの節目として区切りをつけ、新しい「何か」を見つけたいという気持ちを抱くことができた。

次の50年間という時間の中で、もしかしたら開業100周年の新幹線の姿を、車掌長は見られないかもしれないが、ささやかなものでいいから、「何か」を残せれば本望だ。

開業50周年の節目、当車掌区に飾ってある大人の超合金「夢の超特急 新幹線0系」が、いつもよりひときわ輝いて目に映った。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年10月 5日 22:29投稿)

こんばんは
久しぶりの乗車です。

本日10月5日は、時刻表記念日だそうですね。
1894(明治27)年10月5日に日本初の本格的な時刻表「汽車汽船旅行案内」が発行されて120年目を迎えるそうです。

ところで、新幹線開業当時の国鉄総裁といいますと、石田禮助氏ですね。
私は城山三郎氏の著書「粗にして野だが卑ではない」を読んで、石田総裁の魅力に少なからず影響を受けました。
ただ、新幹線に対しては、かなり慎重だったようです。

新幹線50周年の節目である10月1日、私も新たな節目を迎えました。


車掌長さんからのコメント(2014年10月 6日 04:46投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

仰る通り、10月5日は「時刻表記念日」です!
ちょうど120年の節目にあたりますが、今年は東京駅の開業も100周年を12月に迎えます。

今年は周年を迎える出来事が多く、特に50年や100年と言った大きな節目が目立つのも特徴です。

時代的には、大正3年、昭和39年となりますが、どちらも明治からの移行期や高度経済成長期という、世の中が激しく動き、文化や価値観、生活様式が一変するような頃だったのだろう…と想像します。

未来になって、いま私ども暮らす時代は、どのように振り返えられ、語られるのでしょうか…そんなことを考えるのも面白いものです。

決して、暗い時代の幕開け…などとならぬ、平和な時代であることを願うばかりです。
そして、未来を担う今の子どもたちが温かく見守られる社会になることを切に希望します。

いつの時代から、赤ちゃんの泣き声や子どもの遊ぶ声がうるさいなどと、声高に言われる世の中になってしまったのか…
個人の快適性、利便性ばかりを追求する弊害が、現れているように感じます。

100年、50年前の世の中とは比較にならないほど、物質的には豊かになりましたが、精神的には逆に、傲慢になったり、貧困になったと思わされます。

これからの時代、心の「在り方」や「置き方」に、モノでは代替できない豊かさを感じるヒントがあるように気づき始めました…

余談ですが、JTB時刻表の創刊号となる「汽車時間表」は、1925(大正14)春の4月号から現在に至っています。

ところで、「祖にして野だが卑ではない」は知りませんでした。
城山三郎氏と言えば、すぐに「臨3311に乗れ」を思い出してしまいますが、ぜひ読ませていただきます。

ご紹介、ありがとうございました。

それにしても、希望者挙手さんには、色々なことを教わり日々刺激を受けております。
先日この乗務日誌で教えていただいた「孤独のグルメ」も、録画して毎回見るようになり、専務車掌と一緒に楽しく見ております。

末筆ながら、希望者挙手さんの「新たな節目」、お察しがつきます。
ぜひ、祝杯しましょう!

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