少年の日の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年2月 9日 06:59

昨日の新聞で、第4回日本語大賞を受賞した或る小学生の記事に目が留まった。

「日本語大賞」とは、NPO法人日本語検定委員会が「日本語の美しさや言葉のもつ力を見直したい」という願いから、年1回実施するもの。
第4回となる今回は、「人と人とをつなぐ日本語」がテーマだったそうだ。

今回、小学生の部で文部科学大臣賞を受賞した3年生のお子さんの全文が掲載され、車掌長の琴線に触れたので少々長いが紹介したい。(抜粋:2/8付読売新聞朝刊社会面より)
※なお、読みやすくするための行間は車掌長が空けたものなので、若干体裁は異なります。


題:「きっと、だいじょうぶ」

今年の夏、ぼくは一人で岩手県の八幡平市というところに行った。
東京駅から東北新幹線で盛岡まで行く。
そして花輪線に乗りかえて目的の場所までぼくは一人旅をした。

「不安だったら、あきらめてもいいんだよ」
お母さんは出発の当日までそう言っていた。

ぼくはとても不安だったけれども、どうしても、おばあちゃんに会いたかった。
不安よりもその気持ちのほうが強かった。

そして、とうとう発車の時刻になって、ぼくは心配そうに見送るお母さんに手を振った。

「ぼくはどこに行くの?」
となりのシートに座ったおじさんがそうたずねてきた。
「岩手県の八幡平です」
「ずいぶん遠くまで行くんだね。おじさんも八幡平には若いころ、行ったことがあるよ」

おじさんはそう言うとぼくを見てにっこり笑った。
けれどもぼくは黙っていた。
色の濃いサングラスが少し怖かったからだ。

新幹線に乗るのは初めてではない。
でも、東北新幹線に乗るのは初めてだった。
八幡平で民宿を経営しているおばあちゃんのところにはいつも自動車で行っていた。
時々、東北自動車道から新幹線が走っているところを見たことがあるけれど、その新幹線に今はぼくが乗っている。
なんとなく不思議な感じがした。

外の風景が山と田んぼばかりになったころ、車内販売がやってきて、となりのおじさんはビールとおせんべいとチョコレートとオレンジジュースを買った。

「ぼくからのプレゼント。はい、どうぞ」
おじさんがチョコレートとオレンジジュースをぼくに買ってくれたということよりも、おじさんが自分のことを「ぼく」と言ったことにぼくは少しおどろいた。

ぼくはお礼を言った。
今思うときっと小さな声でおじさんには聞こえていなかったと思う。

おじさんはビールを飲みながら新聞を読み始めていた。
お父さんやお母さんが読むふつうの新聞ではなくて、ちょっと変な新聞だ。
ぼくはとなりのおじさんがいい人なのか、そうではないのか、よくわからない感じがした。

「ぼくは盛岡でおりるんだろ」
突然、そう声をかけられてぼくはびっくりした。

「岩手の人はね、岩手山が見えると『きっと、だいじょうぶ』って気持ちになるんだよ」
おじさんは窓の外をゆびさして「今日はくっきりとよく見える」と言った。

大きな山が窓の外にははっきり見えた。
そういえば、お母さんも同じようなことを言っていたことをぼくは思いだした。

おじさんとぼくは盛岡駅で新幹線をおりた。
おじさんは宮古に行くと言った。
津波で家を流されてしまったけど家族は無事だったと教えてくれた。

そしてさいごに「きっと、だいじょうぶ。ちゃんと目的地に着けるよ」とぼくの頭をやさしくなでてくれた。

『きっと、だいじょうぶ』
その言葉はぼくの心の中に強く響いた。

以上

読み終えた瞬間、その光景が目に浮かぶようで心温まる感慨が込み上げた。
その感受性の高さも素晴らしい。

車掌長はこのお子さんの体験から、記憶の引き出しが開いた。
同じような年頃に一人旅をした想い出だ。

見知らぬ人が声をかけてくれるたびに、身構えたり、警戒したものだ。
でも、多くの人は持ち寄りの食べ物を分けてくれたり、励ましてくれたり、自分の身の上話をしてくれた。

今は物騒な世の中で、なかなか小さな子が一人で旅をするのは困難かもしれない。
それゆえ、この作文は車掌長の心底に染み入る郷愁があった。

強い寒風の日、そんな心がホットになった少年の文章に感謝したい。
 

可部線復活

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年2月 5日 05:55

今日の朝刊で吉報があったので、嬉しさのあまり一筆。

JR可部線(広島県)の廃止区間が復活するという。
一度廃止になった鉄道が一部分とはいえ、復活するのは初めてのことであり、衝撃的な喜びだ。

復活区間は1.6㎞だが、中間駅も設けられる。
以前は非電化でディーゼル車が走っていたが、復活後は電車での運行となる。

可部線はもともと横川~三段峡(60.2㎞)までの路線だったが、山間部となる可部~三段峡間が2003年に廃止され、横川~可部(14.0㎞)で営業を続けていた。

今回の復活の背景には、周辺の宅地開発と病院建設の計画があり、乗客増が見込まれるという。

願わくば終点だった三段峡までの復活を望みたいが、それは無理だろう。
三段峡はあまり知られていないが、日本有数の渓谷美を誇る景勝地だ。

鉄道時代もアクセスの悪さがあったが、「黒淵」や「猿飛」などの狭い峡谷を、船頭が張り巡らされた縄を手繰って進む渡舟が大好きだ。

何はともあれ、可部線の一部復活を心から歓迎したい。
 

新幹線全駅のパタパタ絶滅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年2月 4日 21:18

タイトルだけを見ると、なんのことか全くわからない諸氏もいるだろう。
ここで使用している「パタパタ」とは、一昔前は東海道新幹線のどこの駅にもあった列車や行先を表示する案内板である。

パタパタッと軽快な音を立て、次の列車名や行先、停車駅等の情報を乗客に提供してくれていた。
正式名称を「反転フラップ式案内表示機」というが、「パタパタ」の愛称の方が馴染み深い。
また、車掌長と同じ世代には人気TV番組だった「ザ・ベストテン」のランキングボードと言えば、どのようなものかイメージしやすいだろうか。

このパタパタ、1991年に東海道新幹線の東京駅にデビューし、以降名古屋、京都、新大阪と次々に導入された。
しかし、2002年にLED方式が初めて出現し、2003年秋に品川駅が開業。
同時に「のぞみ」が大増発され、「ひかり」「こだま」を合わせて複雑な運転パターンができあがった。

やがて、多くの情報を瞬時に表示し、かつ視認性に優れたフルカラーLEDに置き換わり、パタパタは徐々に姿を消していった。

そしてついに、先日の1月23日に最後のパタパタ設置駅であった三河安城で役目を終えた…

車掌長はこのパタパタが大好きだった。
「こだま」しか停まらないような駅で、列車が出た後に、次の列車を案内するパタパタを飽きずに眺めていた。
そんな長閑な静寂を切り裂くように、「のぞみ」が通過線を爆走してゆくのが滑稽だった。

どんなに急いでも、僅か東京から新大阪までの距離。
長い人生、そんなに急いで何処へ行く?などと、「のぞみ」の乗客には味わえない時間を堪能していた。

さて、そんなパタパタに敬愛の念を込め、このたび哲×鉄のトップページに再現!
今後は、乗務日誌の案内表示に生まれ変わり、末永く第二の人生を活躍していただきたい。


(追伸)
今回のパタパタ設置は、乗務日誌の常連であり、哲×鉄の保線区を担当している「たくちゃんさん」のご尽力です。
車掌長の突発なわがままを形にしてくださり、感謝しております。

また、日々、哲×鉄が無事運行でき、適宜リニューアルをして楽しみを広げられるのも、たくちゃんさんのおかげです。
この場を借りて心からお礼申し上げます。

 

 

哲×鉄ブログ本線車内放送⑥

カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2013年2月 3日 09:08

車掌長の所属する「温泉達人会」のお知らせです。

来る2月5日(火)、温泉達人会がフジテレビの番組「カスペ!」に登場します。
時間は19:00~20:54。

内容は見てのお楽しみですが、「全日本温泉宿アワード2013」と題し、今冬行くならどの温泉が良いか?を選んでもらうようです。

温泉達人会のみならず、旅館予約サイト、温泉番組スタッフ、温泉チャンピオン、温泉ソムリエ協会etcの温泉通がそれぞれにオススメの温泉をノミネートします。

温泉達人会では有志が参加します。
もしかしたら、車掌長もほんの少し映るかもしれませんので、よろしければ是非ご覧ください。

フジテレビの当該番組サイトを見ると、本戦の当日生放送で「日本人が今一番行きたい温泉宿を緊急大決定!」とあります。

その結果が楽しみです。
 

続・今年が節目のもの

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年2月 2日 05:55

先日、今年が節目のものを幾つかご紹介した。
その後、某新聞で興味深い周年モノを知ったので続編としたい。

ケロリン桶50周年。
これは言わずとも知れ渡る、説明不要の一品であろう。
日本全国の銭湯や温浴施設、ときには温泉宿でも見られるプラスチック製の黄色い桶だ。

ケロリン桶は1963年、富山市の「内外薬品」が鎮痛剤であるケロリンの広告用につくられたとのこと。
子どもの頃の記憶として、黄色の外観と赤文字のケロリンの印象が鮮烈に残っている。
もちろん、ケロリンが商品名ということも知らず、当時似たような名前に「ケロヨン」というキャラクターがあり、類似のものかな…程度であった。

この桶に広告を施したアイデアは、江戸川区の某広告会社だそうだ。
残念ながら先月、経営者自身の高齢化や後継者がいないことを理由に事業を止める決断をしたとのこと。
しかしながら、内外薬品が業務を引き継ぐので、ケロリン桶は今後も世に送り出せるそうだ。

いまや銭湯も絶滅危惧種の様相。
後継者難や利用者減少による経営難も、各種媒体で伝えられて久しい。

お正月に映画「テルマエ・ロマエ」をTSUTAYAでレンタルし、観賞後に思ったが、銭湯は「ペンキ絵」が良い。
家からは見られない富士山や日本らしい風景を、湯船に浸かって眺めた幼い頃の情景が懐かしい…
このペンキ絵を描ける職人も、都内にはもはや2~3名しかいないそうだ。

ところで、自然な疑問が1つ湧いてきた。
男の子は一体何歳まで女湯に入れるのだろうか?
車掌長自身は、母と銭湯等に行ったことがないので、女湯に入ったという自身の記憶が全くない。
ある程度の歳になると、女湯に自然と入ってゆく男児をみては、羨ましいなどと煩悩が過(よぎ)るもの…

そこで、ちょっと調べてみたら、各都道府県で定める条例にその根拠となるものがあった。
公衆浴場の設置場所や衛生管理を定めた条例で、東京都であれば「10歳以上の男女を混浴させないこと」とある。
???…そこまで寛容なのか、とこれまた疑問。
しかしながら、この条例は1948年(昭和23年)のもの。
とは言え、その後この項目に関する改正はないようだから、公然と入って良いことになる。

東京以外はどうか?
概ね東京と同じ県が多いようだが、中には埼玉のように子どもの発育を考慮して近年改正した例がある。
だが、これは12歳以上を10歳以上に引き下げたものだから、やはり東京と同じだ。

ちなみに宿泊を伴う温泉宿の浴場は、厚生労働省が自治体へ通知した管理要領に「おおむね10歳以上の男女を混浴させない」としている。

思えば、江戸時代の銭湯は大人も混浴。
今の時代の文化や習慣と比較するから違和感があるが、当時はそれが当たり前だったのだろう。

ところで、江戸時代と記して別件の疑問が湧いたので一言。
先日某人気アイドルグループの一員が、御法度に興じてしまい頭を丸めたが、時代錯誤だなぁと感じた。
世の中がいくらグローバル化と騒いでも、それは上辺(うわべ)だけのことで、実は個人や社会のメンタリティは前近代的なのかもしれない…

旧態依然な柔道の指導者もしかり…
暴力指導が肯定、支持されるスポーツなど、国際的に見て絶対に容認されない。

昨年、メダリストが銀座の目抜き通りをオープンバスでパレードした華やかさやその場の群衆の歓喜を目にし、東京開催も良いかなと思ったが、その思いは一瞬で冷め切ってしまった。

オリンピック憲章にも反する行為が「氷山の一角」と認めた日本のスポーツ界であれば、それが改善されるまで、開催地立候補は取り下げるべきだと直感した。

その方が、国際的にも評価が高い日本古来の「武士道」の潔さとして、世界にその矜持(きょうじ)を示し、認められるであろう。