湊線を訪ねて
カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年5月10日 05:20
先日、所用があり水戸へ行った。
前泊で水戸入りしたのが早かったので、ひたちなか海浜鉄道湊線に乗ってみた。
水戸から勝田まで行き、1両編成のディーゼルカーに乗り換えた。
ちょうど、高校生の帰り時間のようで、阿字ヶ浦行きの車内は立ち客がいる混み具合だった。
車掌長は前方車窓が確保できる位置に立ち、30分ほどの小旅行を満喫した。
のどかな田園風景の中、真っ直ぐな2本のレールが伸び、ガタゴトガタゴトのんびり走る。
途中、那珂湊は沿線最大の駅で、ポイントでいくつも枝分かれする構内配線が美しい。
終点阿字ヶ浦は、北関東を代表する海水浴場を擁する駅。
かつてはシーズンともなると、上野駅からの直通列車が運行された。
それを想像できるのが、長い長いホームだ。
きっと、沢山の家族連れが乗り降りしたことだろう。
(家に帰って調べてみたら、1989年夏までは上野発の気動車が出ていたが、翌年我孫子発となり、1994年夏には小山発となって最後だった。)
列車の折り返し時間が20分ほどあったので、徒歩5分の海水浴場へ行ってみた。
日本には「東洋のナポリ」と言われるビーチがいくつかあるが、ここもその1つだった。
以前、遠浅で美しかったであろうビーチも、眼前の光景はごく平凡な砂浜だ。
この浜は東日本大震災の被害がほとんどないように見受けられた。
だが、人っ子一人いない浜に、営業中の飲食店が大ボリュームでラジオの音を流すのが聞こえ、荒涼感を際立たせていた。
帰路は那珂湊駅で途中下車し、駅前右手の食堂で夕食。
子どもの頃の一人旅を思い出すような、年季の入った店内だった。
1本列車を見送り、次のキハ205で勝田へ戻った。
昭和40年代の車内に郷愁が漂う。
いつまでも現役で頑張ってもらいたい車両である。
コメント(4件)
ひたちなか海浜鉄道さんからのコメント(2012年5月10日 09:53投稿)
がんばります。
ありがとうございます。
(吉田)
車掌長さんからのコメント(2012年5月10日 21:03投稿)
吉田様
この度は「哲×鉄ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。
ひたちなか海浜鉄道社長じきじきのコメントをいただき、大変感激しております。
吉田千秋社長のご奮闘ぶりは、昨年11月の鉄道ジャーナルで第3セクター鉄道の「公募社長」特集で拝見しました。
湊線再生への並々ならぬご苦労がおありかと察しますが、鉄道にかける情熱や数々の企画に共感しております。
キハ205に乗った際、高校生十数名が一緒に乗り合わせましたが、「この車両が一番良い」と話していたのが聞こえました。彼・彼女らは向かい合わせのボックス席がお気に入りのようでした。
きっと彼らが大人になった時に、この通学シーンの想い出が大切な宝物になることでしょう…
ちなみに車掌長は阿字ヶ浦方面から那珂湊駅に進入する際の、右カーブが大好きになりました。
次第に目に入り込む構内の広がり感が抜群です。
また、那珂湊駅の改札口周辺も貴重な佇まいです。
幅広いホームは、往年の賑わいを彷彿させる貫禄に満ち溢れていました。
末筆ながら、今後も湊線を応援しております。
先日訪問の際、「湊線応援券(春)」も購入しました。
四季4枚を揃えて、また那珂湊駅を訪れたいです。
希望者挙手さんからのコメント(2012年5月12日 23:59投稿)
久々の乗車にて失礼します。(相変わらず夜行ですみません)
私の出身地である茨城県を紹介していただき、ありがとうございます。
話は変わるのですが、車掌が四季・・・と読んで、昨日観てきた、劇団四季の「CATS」に繋がってしまいました。
私「CATS」は初めてで、「メモリー」という曲と、猫がいっぱい出てきて・・・ぐらいの予備知識しかないままでの鑑賞となりました。
数多く登場する猫がいる中、「スキンブルシャンクス」という鉄道猫が車掌を務めるシーンがあり、スキンブルシャンクスが車掌長と重なって見えてしまいました。
この時、仲間の猫たちが様々なゴミを持ち寄って、大きな機関車を作り上げるのですが、このシーンには思わず感動してしまいました。
ぜひ、鉄道ファンの方たちにも観ていただきたい、と言うよりも、このシーンには鉄道ファンだからこその感動があるように思えてなりません。
もし、まだ「CATS」を観ていない鉄道ファンの皆様(もちろん鉄道ファンでない方も)、ぜひ一度、鑑賞されてみてはいかがでしょうか。私は事前学習をしっかりして、もう一度観てみたいと思いました。
車掌長さんからのコメント(2012年5月13日 07:57投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます。
湊線応援切符の四季から「CATS」に転じるのが、希望者挙手さんの柔軟なところで素敵ですネ。
コメントを拝見し、とても楽しかったです。
CATSについては、車掌長も希望者挙手さんの観賞前のイメージと同等の印象しかありませんでした。
今回「スキンブルシャンクス」という鉄道猫登場の話を知り、ぜひ観てみたいと思いました。
話はそれますが、ミュージカルというと「レ・ミゼラブル」も感動的でした。
たまたま花屋を営む妹夫婦が、ジャンバルジャン役の出演者へ花を納品する際に、帝国劇場で良い席が購入でき行きました。
予備知識もなく観たものの、どの楽曲も惹き込まれる魅力があり、台詞の1つ1つも力強く、不思議な勇気をもらった印象でした。
車掌長は他にも「ベルサイユのばら」を、本場宝塚の大劇場で観た際に「タカラヅカ」に対する認識を改めました。
何でもイメージや聞いた話(噂)ではなく、自分の目で見た印象や感想が大切ですネ。
ところで、猫つながりの余談を1つ。
ひたちなか海浜鉄道にも「駅猫おさむ」がいます。
那珂湊駅に常駐する黒猫ですが、車掌長が訪れた際も、夜の帳(とばり)が下りた駅構内で、高校生に可愛がられていました。
全国的にも猫と鉄道(駅)との相性は良いようで、中には和歌山電鉄貴志川線貴志駅のように、駅長を務める「たま」もいます。
「たま」はJTB時刻表2009年7月号表紙にも登場したスーパー駅長として有名です。
4件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!
人生時計
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2012年5月 7日 05:29
専門学校教師時代、飲食店である漫画を見ていて出逢った素敵な考え方がある。
「人生時計」という話だ。
この漫画の作者も題名も全く覚えていないのが、残念でならないが、内容はこうだ。
或る主婦が年々歳をとることに葛藤していた。
ある日、近所の年上のオバサンに、自分の年齢を3で割ってみる「人生時計」の話をされる。
その主婦はオバサンに歳を聞かれ答えると、「ちょうど12時頃ネ」と言われ、まだまだ「これから」があるのヨ!と言われ、その焦燥感がうすらいだ。
正確ではないかもしれないが、こんな話だったと記憶している。
当時、専門学校で教師をしていた車掌長は、よくこの話を学生にしていた。
18~20歳前後の場合、人生時計で言えば6時くらい。
一般的にはちょうど起きる頃で、身支度をして学校や仕事に出かける準備の時間帯だ。
だから、この専門学校時代は社会に出る前の大切な準備時間。
しっかり勉強し、資格をとって、望む仕事に就けるよう、励ましたり動機付けをしたものだ。
ちなみに、車掌長はいま14時半を過ぎたあたり。
午後の眠気覚ましにお茶の時間でも…と優雅なひとときかと言えば、実際の仕事や生活の状況はそんな余裕のあるものではない。
だが、この「人生時計」の話は示唆に富むものが多い。
60歳で20時。夕食も終わり、1日の中では一番リラックスできる時間帯であり、「お疲れ様でした」と周りも労(ねぎら)いたいところだ。
しかし、今は「まだ働き盛り」などと持ち上げられたり、年金がもらえる年齢まで働かなければならないサラリーマン諸氏が多い。
その一方、不況で厳しい雇用環境下、若者の就業率は下がり、働く場が少なく「奪い合い」となっている。
このアンバランスな状況は、日本の病だと思う。
早く、この漫画の「人生時計」のような年齢に応じた「人生の時間」に戻って、精神的に豊かな人生を送りたい。
翻(ひるがえ)って、今の日本はこの人生時計に置き換えると、一体何時なんだろうか?
感覚的には「成熟」した年齢となり、それなりの時間になるように思う。
中国、インドなどは、経済的な尺度で言えば、グングン背が伸びているような歳で朝方の時間となり、アフリカはまだまだこれから「目覚め」てくるだろう。
ここで車掌長は思う。
働き続けることが、経済成長を持続させることではないだろう。
日本も40年ほど前は働けば働くほど、経済成長し、人々は見た目の豊かさを享受してきた。
当時のJTb時刻表を見ても、年々輸送力増強の足跡がわかる。
だが、その成長は無限ではあるまい。
どこかで、別の価値観へ舵(かじ)を切らなければ、この国はパンクしてしまいそうだ。
幸いにも昨日、全国の原発が全て停止した。
これはニュースの1つで収まることではない。
違う価値観へ舵を切れるかどうか、という貴重な契機だ。
原発を動かし続けることが、経済成長を持続させることではないだろう。
日本は「原発」という人災と、「津波」という自然災害を、世界的な教訓として今後活かさなければならない。
そして、そのための叡智(えいち)や技術、人と人とのつながりこそが、世界での信頼やこの分野でのリーダーシップを取れる国になれると考える。
成熟した時間を過ごしているはずの日本は、もはや世界を「まねる」時分ではない。
きちんと、自国の主張をできる文化も、技術も、立場や交流もあるはずだ。
グローバル社会や競争と言っても、結局国内の似たような分野の会社同士で、共倒れになっているのが痛々しい。
いまこそ、日本という国の「時間」に気付き、日本にしかできないことや立場から、物事を発信してほしい。
そんなことを、「人生時計」は教えてくれているように思う。
旅の安全を願う
カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年5月 3日 05:55
GW初日、痛ましく赦(ゆる)せない悲劇の事故が起きた。
これは「人災」である。
目的地に向かう眠りの中で、そのまま逝ってしまわれた方々のご冥福を心から祈る。
また、大切な人を「奪われた」方々の悲しみや怒りは計り知れない。
車掌長も知人と後輩を夜行バスの事故で2名失っている。
一つは大学のスキー行事の際に、長野県で早朝の凍てつく川に転落した。
もう一つは東京~名古屋間の夜行高速バス乗車中の追突事故であった。
2つめの事故後、車掌長は夜行バスには乗らなくなった。
世の中「競争社会」だという。
だが、その「競争」とは一体何であろうかと疑問を抱く。
特に、今回の人災の背景にあった「価格競争」は、輸送機関が最も尊ぶべき「人命」を犠牲にしてしまった。
人の命を奪うような原因を生み出す競争など、絶対にあってはならない。
長引く不況で「安さ」が消費者や利用者から支持されるのは重々承知している。
今回、北陸から東京方面へ移動する手段として「ツアーバス」を選んだ方々は責められない。
だが、今後は北陸~首都圏を繁忙期に3,000円台で移動できる「からくり」が露呈したように、他の区間の価格や運行体制などにも注視し、あまりに「安い」のは何かリスクがあると認識せざるを得ない。
「価格競争」「過当競争」というものは、採算割れの仕事であっても、稼動しないと運転資金が回らない、雇用を維持できないという理由で日常的に受注されているようだ。
企画側の旅行会社も、集客の決め手である「価格」にインパクトを与えるため、更なる値引きを要請するという。
しかしながら、その安さには必ず限界があり、その一線を越えた「価格」にはリスクが潜んでいることを忘れてはならない。
近年、総務省が行った夜行バス運転手のアンケート調査で、9割を超える人が「睡魔」によるヒヤリとした体験があることを浮き彫りにした。
また、今回の事故後、多くの運転手が自分たちの置かれている労働環境の不安や待遇の不満を訴え、「自分の家族はツアーバスに乗せたくない」という本音も新聞記事にあった。
そんなツアーバスが、夜間の日本中の高速道路を走っていると考えると恐ろしい実態だ。
車掌長は、全国に際限なく延びる高速道路が夜行バス路線を発達させたことに異論はないが、せめて鉄道との共存があってほしいと願う。
今回の北陸~首都圏間は2年前に寝台特急「北陸」や夜行急行「能登」が廃止となり、その後「能登」が臨時列車として週末や繁忙期に運行していたが、今冬で臨時運行さえも周知されることなく終了してしまった。
1本の夜行列車を走らせるコストは確かにバスより高いかもしれない。
また、JR発足後は他社間をまたがって運行する際は、運賃料金収入も分断され利益が出ずらいとも聞く。
だが、鉄道には多くの人やシステムがあり、安全運行を昼夜支えている。
「夜行」という、本来眠っている間に安全に目的地へ着ける当たり前のことに、不安を抱かせた今回のバス人災によって、「夜行列車」の社会的価値を、今一度再考してもらいたい。
その際「採算」「効率」は他でカバーし、社会的、公共性の視点から夜行列車という選択肢の復活を願いたい。