心はやさしく 言葉は美しく

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年5月18日 21:09

今日は「ことばの日」。
5(こ)、10(と)、8(は)という単なる日付の語呂合わせだが、「言葉」の大切さを考える良い機会だ。

車掌長は30代初めに、誰の言葉なのか知らないまま好きになり、信条としている或るフレーズに出逢った。
「心はやさしく 言葉は美しく」だ。
後に、これはサトウハチロー氏の言葉であることを知った。

サトウハチロー氏は、明治から昭和を生きた詩人であり、童謡作詞家として知られている。
各地の小学校の校歌を作詞したことでも知られ、これを読んでいる方の母校も該当しているかもしれない。

ところで、いま日本で最も美しい言葉が書かれている本は、子どもの「絵本」だという。
言葉は時代とともに変化し、個人生活や社会活動を支える意思や情報伝達の手段として生きている。

しかしながら、今日使われている言葉は乱れすぎ、或いは省略されすぎではないだろうか?
本来の意味を見出せないほど短くなった言葉や、相手に配慮や思いやりのない言葉が横行してはいないか…
そんな中、幼い子が初めて出会う日本語が最も美しいのであれば、この国のせめてもの救いだ。

車掌長は「絵本」というと、ちょっと寂しくなる思い出がある。
幼い頃、母は車掌長と妹を寝かせようと絵本を読んでくれたことがある。
だが、それは看護師だった母が夜勤に行く前に、子どもを寝かせるための「絵本」だった。

それを知っていた車掌長と妹は、母が安心して出かけられるよう、よく寝たふりをした。
やがて母は家の鍵を外からかけて仕事に向かうが、その「ガチャ」という鍵の音がすると妹は泣き始めた。
小学校にあがる前の妹には辛い瞬間だったと思う。

話がそれたが、絵本も童謡もやさしい日本語で綴られ歌われ、読む者や聴く者に安らかな心持ちを与えてくれる。
「心はやさしく 言葉は美しく…」
この歳になって今一度、絵本や童謡の素晴らしさに触れてみたいな…と思う今日この頃である。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年5月20日 00:30投稿)

回数券並みの夜行乗車です(笑

私の心に残っている言葉の一つに「天に星、地に花、人に愛」があります。これは、中学校卒業時に担任だった音楽の先生からいただいた言葉です。
その意味は、この世に不可欠なもの、この世で最も美しいもの。

後に、これが武者小路実篤、高山樗牛が残した言葉であり、もっと古くはゲーテの言葉だったことを知りました。

ゲーテと言えば「システィーナ礼拝堂を見ずして、およそ一人の人間がどれほど偉大なことをなし得るか、知ることはできない」といった言葉も残しています。
これは、システィーナ礼拝堂に「最後の審判」をはじめとする大壁画を描いたミケランジェロを称えた言葉です。

私もルネサンス芸術に魅せられた一人で、車掌長のダ・ヴィンチ展鑑賞記も楽しく読ませていただき、ぜひ行きたいと思いました。

ちなみに車掌長の「時刻表愛読30周年記念展示会」でお手伝いさせていただいた際、私が着ていたのがシスティーナ礼拝堂で購入した「デルフォイの巫女」の壁画のTシャツだったことを付け加えさせていただきます(笑

最後に「ガチャ」と言えば、近頃の子供たちは別の「ガチャ」に泣かされているようですね。
子供たちにはネットのゲームではなく、もっと美しいものに触れさせてあげたいものです。

車掌長さんからのコメント(2012年5月20日 07:23投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。
回数券並みのご乗車、心からお礼申し上げます。
そのうち、ご乗車の多い方用のラウンジをご用意したいほどです。

「天に星 地に花 人に愛」…

とても素晴らしい言葉です。
また、卒業時にいただいた言葉を今も大切にしている希望者挙手さんが素敵ですね!
きっとその先生も嬉しいと思いますし、その言葉以外にも多くのことを教わったのだろうと察します。

そして、何か励みや支えとなる言葉を持つことは、心の財産であるとつくづく感じました。

システィーナ礼拝堂、希望者挙手さんが卒業旅行の引率で楽しみにしていた所でしたね。
車掌長もその時のお土産話を聞いて行ってみたくなり、翌々年にじっくり観てきました。

確かにあの絵を描いたことの偉大さを実感させられます。

大塚国際美術館をご存知でしょうか。
徳島県鳴門市にあり、世界中の名画を陶器の板に原寸で焼き付けたものを観賞できる施設です。

美術館としては日本最大級の規模で、「最後の審判」もシスティーナ礼拝堂そのままに再現展示されています。

この美術館が素晴らしいのは、オリジナルを収集するのではなく、陶板技術を駆使して複製し一堂に展示していることです。

確かにこれだけの名画のオリジナルを全て見ようと思ったら、莫大な費用と時間を要します。
いつかはお気に入りを「オリジナルで観る日」を楽しみにし、中学・高校等の美術教育に活用してほしい施設だと思います。

希望者挙手さんがおっしゃるように、「ガチャ」とか言う何の生産性もない消費社会のトラップにはまる子どもたちが悲劇です。
「ゲーム」という敷居が低い入口から、多額なお金を吸収する仕組みを考えた会社や業界のモラルの低さに落胆します。

大人にはそんなゲームにのめり込んだ際「自己責任」という概念が通じますが、子どもは無防備です。

ところで、「ルネサンス芸術」と言うと、人間の自由な表現能力の爆発的躍動を感じます。
日本は同じ頃、幕府の考え方によって色々な学問や芸術の縛りがあり、鎖国という国策により入口の段階で「見ざる聞かざる言わざる」の状況でした。

ルネサンスとは「復興」や「再生」と言われます。
大震災後に「復興」という言葉がよく使われていますが、とても違和感があります。
政府は幕府と同じような縛りを強いているような印象です。
決定権、財政力、情報力etcどれも被災地で決めたり使えないこと、不明なものが多いようですし、何よりもスピード感が欠如しています。

もっと人間が本来持っている「再生能力」や「気力」を、最大限に引き出せるような施策を望みたいものです。

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