みんなちがって、みんないい。

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2012年1月 4日 06:59

2年ほど前、山口の学生時代の友人を訪ねる途中、「金子みすゞ記念館」に立ち寄った。
仙崎という日本海側屈指の漁港を擁(よう)し、「海上アルプス」と称される青海島(おおみじま)を臨む街だ。

金子みすゞは童謡詩人として稀有(けう)な才能を発揮したが、26歳で他界した儚(はかな)い生涯ゆえか、没後半世紀余りの間、紡(つむ)がれた詩の数々は「時間の甕(かめ)」に埋もれていた。
その蓋を開けた人物が、現金子みすゞ記念館館長である矢崎節夫氏だ。
矢崎氏はある童謡集の一片にあった「大漁」というみすゞの詩と出逢い、他にある500余りの詩を執念とも言える努力と熱意で探し、1984年に「金子みすゞ全集」を世に送り出した。

どの詩も素晴らしい情感と柔らかいことばで綴られているが、昨年ほどみすゞの詩が人々の心を癒した時はなかったであろう。
「こだまでしょうか」である。

「遊ぼう」っていうと、「遊ぼう」っていう

平易なことばだが、なんと温かいのだろうか。
そして、独りではないという、安心感や勇気が湧いてこないだろうか。

今年は昨年に引き続き「金子みすゞ展」が、福岡、仙台、姫路で開かれるという。
できれば、みすゞが生まれ育った街の面影や潮風を感じられる仙崎の記念館を訪れるのがベストだが、せっかくの機会を利用するのも良いと思う。

余談だが、車掌長は「私と小鳥と鈴と」も大好きな詩である。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

何事も効率の名の下に集約され、選択肢が少なくなり、「多様」から「一様」になりつつある。
流行や評価は「売れる」というビジネスの下に生み出され、圧倒的多くの人がそれらを所有または消費し、短命で廃れてゆく。
また、誰もが「安全」と思っていた(思わされていた)エネルギー政策も、思考が多様でなかったゆえに、ある一部の人々の妄想だけで管理され、あの忌まわしい未曾有の人災を招いてしまった。

生き方も「勝ち組」や「負け組」などという、本来の人の一生にはそぐわない概念が蔓延(まんえん)している。

一人一人の尊き一生に、「勝ち」も「負け」もない。
あるのはその人にしかない「価値」であり、大切なのはその人がいるという「存在」である。

「みんなちがって、みんないい」…
これはみんなが好き勝手なことをやってバラバラな状況なのではなく、一人一人の持ち味や英知が活かされ、讃えることだと解釈したい。
そして、今ほどみすゞのことばが魂を持って、人々の心に響く時はないと思う。
 

コメント(2件)

トミーさんからのコメント(2012年1月 7日 22:01投稿)

私は2003年から1年2ヶ月間、転勤で山口市湯田温泉に住んでいました。
わずか1年余りの滞在でしたが、山口に住んでいたころが一番心身ともに充実していたと感じています。

すぐ近くには大きな自然が、美味しい料理がお酒が、そして何よりも温かい人とのふれ合いが!
首都圏という都会では味わうことのできない、私の人生でとても貴重な時間でした・・・。

哲さんも書かれている、青海島や角島にも行きました。
特に角島はホントに感激しました!あの橋が日本ではないみたいで。

もちろん秋吉台にも行き、日本にいることを忘れる景色に感動でした。。。

哲さんのおっしゃるとおり、他の人と一緒である必要は無いと痛感します。
私も哲さんと同じ専門学校の教師から、現在の保険会社に転職しましたが、厳しい世の中と厳しい業界、、そして本社勤務の現在は周囲が躍起になって出世のために仕事をする・・・、、
でも僕は契約者のために仕事をしたいです!変人扱いされますが・・・。

同じ会社でも、山口の同僚は、契約者のための仕事を必死にやってました。
その時の気持ちを私は忘れたくありません。

たとえ変人扱いされても、それが自分の生き方だと思っています!!

温かいお話、ありがとうございます。またお邪魔させていただきます!

車掌長さんからのコメント(2012年1月 8日 07:38投稿)

トミー様

このたびは「哲×鉄ブログ本線」ご乗車ありがとうございました。

以前一緒に働いた専門学校で、トミーさんはとても印象に残っています。
それは、情熱を持って学生に向き合っていたトミーさんの姿です。

担当学科での資格取得に向けた授業では、常に学生が理解するまで精力的に補習をしていましたね。
また、今ほど厳しくなかったにせよ、当時も「氷河期」と形容された就職指導では、学生が可能な限り希望の会社や業界に入れるよう尽力していましたね。
まるでトミーさん自身が就職するかのようで、その熱意に刺激を受けました。

今回ご乗車いただいたコメントを拝見し、その情熱を注ぐ対象が、学生から契約者に置き換わったのだと素直に感じました。そして、その時となんら変わらないトミーさんと再会し、懐かしい時間旅行を楽しみ、不思議な勇気をもらうことができました。

車掌長もトミーさんの「生き方」に共感します。
これは車掌長自身の現在の見解ですが、「生き方」の正解は、会社での査定や評価、見せかけの出世(名ばかり管理職etc)という場所に求めることはできません。

何故なら、その場所には正解の回答者が不在だからです。

真の正解は、自分自身の「生き様(ざま)」であり「信念」だと思うのです。

もちろん、誰もがそんな確たるものを最初から持っているわけではありません。
自分の仕事において本来の相手が誰なのかを理解し、そのために働き、少しでも喜ばれたり、自分が役に立ったという実感の積み重ねにより、時間をかけてその人に身に付くのだと思います。

首都圏の交通機関を利用して、人身事故の表示を見ない日はありません。
他人事のように字幕で流れるその命の旅立ちに、その望まない旅を避ける手段がなかったのか、心が痛みます。

おそらく多くの人が、相手のよくわからない競争に組み込まれ、翻弄(ほんろう)され、疲弊し、「生き様」や「大切なもの」を見失いつつあるように懸念します。

混迷の時代と言われますが、気の持ちようで、良い意味で楽観的に前向きに、生きたいと考えます。

ところで、山口市には車掌長も友人がいますヨ。トミーさんもそこに住んでいたとは奇遇ですネ。
その友人がよく星を見に行くという、秋吉台のとっておきの場所に連れて行ってもらったことを思い出しました。

辿り着くとそこは真っ暗闇ですが、目が慣れてくると、全宇宙に包まれたような錯覚に陥る…そんな光景です。
宮沢賢治の世界そのままの星空の下、銀河鉄道の汽車が今にも降り立つような幻想的な場所でした。

長々と綴り申し訳ありませんでしたが、またのご乗車を心からお待ちしています。

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