只見線タブレット廃止

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2012年9月22日 07:24

タブレットと言っても、iPadなどのタブレット端末のことではない。
鉄道の単線区間における、列車同士の衝突防止策として使われる通行証(通称:タブレット)の話だ。

タブレット本体は直径約10cm、厚さ1cmほどの丸い金属で、タブレットキャリアと呼ばれる大きな輪の付いた革製のポケットに格納されている。

単線区間では、この物体を持っている列車だけがその区間の走行を許可される「形ある証」だ。
これは、今日のデータ等による形のない「認証」では味わえない、頼もしさがある。

今日、9月22日をもって全国のJRで唯一残っていた只見線でのタブレット閉塞に終止符が打たれる。
以前、日本中のローカル線で見られた運転士と駅員とのタブレットの受け渡しは、もはや記憶の中の情景となった。

ところで、車掌長は鈍行列車が各駅でタブレットの授受を行うのも好きだったが、幹線での優等列車が通過する駅でタブレットを交換する光景がたまらなく好きだった。

特に中学生の頃、旧型客車の鈍行を追いかけて山陰本線をよく旅したが、ディーゼル特急や急行の運転士(運転助士)が通過駅進入の際に行う、タブレット授受の「投げ入れ」と「すくい取り」がカッコ良かった。

こんなタブレット閉塞という運用は、全てが人手を要する古典的な保安システムのため、経営的に見れば非常に効率の悪いやり方だ。

しかしながら、全てを自動化しなくても良いのではないだろうか。
交通遺産、文化遺産として「動態保存」のような趣旨で、後世に残せはしないか…などと考えるのは許されない価値観だろうか。

車掌長は、色々なシステムや考えがバランスよく調和や共存できることが豊かな社会だと考える。

そして、タブレットは現代を生きる人間が、未来を担う世代へ大切なものを引き継ぐ「バトン」にも見える。

お互いが確認できる、実感できる「形」あるものを引き継ぐことが「文化」であり、お金で買えない「価値」なのだと思う。

そして、そうした生身の人間の営みこそが、銀河鉄道999の言葉を借りれば「永遠の命」なのであろう。
 

 

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