車掌見習に教わったこと

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年1月12日 21:11

そんなに泣くほど お腹の減ることがあるのか

そんなに泣くほど 眠いことがあるのか

そんなに泣くほど 怒ることがあるのか

そんなに泣くほど かなしいことがあるのか

そんなに泣くほど さびしいことがあるのか

なんの意図も 作為もない感情を

もう おぼえているはずもない そんなぼくらの遠いむかしの感情を

車掌見習が教えてくれた

そして

こんなに和むほどの 笑顔があるのか… を
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年1月14日 00:57投稿)

こんばんは

子供から教えられることって、本当に多いですよね。
私が子育てで悩んだ時に見つけた詩を紹介したいと思います。

マリオン・B・ダーフィーの「父母の祈り」です。
この詩によって、私は大切なことを思い出すことができました。

ただ、マリオン・B・ダーフィーという作者が誰かよくわからないのですが・・・?(謎)


*父母の祈り*

神よ、わが子が自分の道を歩めるように、
わたしが歩みたいと望んだ道を子どもに強いることがないように、
神よ、力を与えてください。

わたしにできなかったことを子どもに強いて、
苦しめることがないように、
神よ、わたしを守ってください。

わが子が歩みゆく遥かかなたを見据えて、
今のわが子の過ちを見守らせてください。
ゆっくりと成長するわが子の姿を、
優しい心で見つめることができますように。

些細ないたずらに微笑みかける時と、
悪しき行いを毅然とたしなめる時、
その二つの時を見分ける英知を与えてください。

わが子の怒り狂うことばや、押し黙る孤独な姿に、
悩み苦しむ子どもの叫びを聴き取ることができますように。

そして、深い淵を越え、子どもに歩み寄り、理解しあう事ができるよう、
わたしに力を与えてください。

できないことに目を留めていらだち、怒りの声を上げるのではなく、
わが子が上手にできたことに目を向けて、喜びのことばで褒めることができるよう、
わたしを導き、力を与えてください。

わたしが心からわが子を大切にすることによって、
子どもも、心から人を大切にすることができますように。

わが子が力強く自分の道を歩めるように、わたしは子どもを送り出したい。
神よ、どうかわたしに、その勇気を与えてください。

車掌長さんからのコメント(2013年1月14日 09:43投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

そして、素晴らしい詩を教えていただき、ありがとうございました。

全くこの詩のとおりであると、共感しました。
これが誰にでも簡単にできることではないことも、痛感しました。

希望者挙手さんが仰るように、何かの折、自分が迷ったり悩んだときの道標になります。

どんな乗り物にも、目的地へ到着するために人間の技術や判断を支援したり、ミスを軽減させる装置やルールがあります。

しかしながら、人を育てる際に「世の中」という列車に乗ると、自分がいまどこを走っているのか、わからなくなることがあるように思います。

もちろん、世の人々と同じ列車に乗って同じ時代を走っているのですが、その列車自体が自分の求める目的地に向かっているのか、乗り間違えたのではないか…など

同じ列車からの車窓を見る中で、あれ?これ行先が違うんじゃない?…と夫婦にしろ、親子にしろ、どちらかが気付いたり、互いにをそれを共有できれば、どれほど素晴らしいかと思うのです。

話は変わりますが、車掌長が中学の時に出逢い、共感した俳句があります。

「咳をしても 一人」

自由律俳句と言われるものですが、型にとらわれない自由さと、それと表裏一体である「個」というものへの覚悟を感じたものです。

車掌長が小学生の頃から一人旅をしていたのは、好奇心が人一倍強かったこともありますが、両親の仲が良くなかった家を「出たい」という気持ちも強かったのです。

子供の力ではどうしようもない、改善できない生活環境を、自分が変わることに変化の糸口を見出し、自ら旅に出るようになりました。

しかしながら、一人旅をしていて車内や観光地で、家族団欒の光景を目の当たりにすると、寂しくてというか、本来は他のことで満たされるべきはずものがあるのではないか…と涙したり、幼心ながらに感じたものです。

話が長くなりごめんなさい。

これからの人生のB面は、今回教わった詩も大切に胸の内にしまい、いつでもそれを開ける心持ちでいられるようにしたいと思います。

改めて、お礼を申し上げます。
ありがとうございました。

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