一枚の切符から

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年3月24日 09:19

車掌長が小学生の頃、幼心ながらに「旅情」を誘うキャッチフレーズやCMが幾つかあった。

中でも、旧国鉄が旅客増加策として1970年代に打ち出した"一枚の切符から"や"いい日旅立ち"キャンペーンは、今でも心の琴線に触れるフレーズであり名曲だ。

これらのCMをTVで視聴したり、駅のポスターや旅関係の雑誌で目にすると、次の長期休みにどこへ行こう?…と、まんまと広告の術中にハマっては、心をときめかせ時刻表を開いたもの…

ちなみに、上述の"一枚の切符から"キャンペーンの前は、"ディスカバー・ジャパン"というもので、万国博終了後の旅行需要喚起に起用されたキャッチフレーズ。
そして、その時に国鉄提供で放映開始となったのが、長寿TV番組「遠くへ行きたい」だ。

一枚の切符から…なんて良い響きだろう。
手にした切符に「未知な世界」への期待や不安が交錯したり、目的地で待つ人の顔も浮かぶ…

小学生の頃、車掌長が買い求める切符は、自分が立てたプラン(経路)を一筆書きで作成してもらうもので、券面は手書き、運賃計算は手計算(算盤が多かったように思う)であった。
中学以降は、自由気ままな旅を好んだので、周遊券利用が主流となったが、小学生の頃はそこまで行動が成熟していなかったので、予定を「こなす」スタイルであった。

当然、一筆書きのような発券に手間のかかる切符は、当日買えるものではないので、数日前に駅の窓口へ行き、立てたルートをメモにして窓口の駅員に預けた。

すると、窓口の駅員は「作っておくから夕方取りにおいで」とか、「明日になるかもしれないから、できたら電話するよ」などと言ってくれた。
当時は都心近郊の駅でも、こんな長閑なやりとりが存在していた。
(駅員によっては、面倒くさがられたことも多々あったことは事実)

ところで昨日、一枚の切符ならぬ「一枚のICカード」が全国で使えるようになった。
カード表面に行先の印字はなく(除く定期券)、キャラクターや名称をデザイン化した絵柄が多いようだ。
日常の通勤・通学・買物等で使うのだから、それで良いのかもしれない。
そして、多くの人々にとって、今回の相互運用は喜ばしいことに違いない。

ちなみに、車掌長は普段SuicaのようなICカードを使わない。
券売機頭上の路線図で行先の運賃を確かめ、その分だけを切符で購入している。
こうした行為を不便とは思わず、むしろ「行動のアドバンス」だと考えている。

車掌長は仕事のアポイントやプライベートの待ち合わせの際、約束の30分前には到着できるように家を出る。
これは電車の遅れや、忘れ物等、不意や不測な出来事に対応できる時間として確保したいためだ。
もちろん、切符を買う時間も含まれている。
このような行動を習慣づけると、色々な物事がスムーズに運ぶことを経験則として習得できたと自負している。

みんながみんな、全部が全部とは言わないが、ICカードのような便利なものに使い慣れると、金銭管理と時間管理がルーズになると思う。
また、こうしたモノを使うと、何故か「忙(せわ)しい」生活や生き方に、無意識のうちに巻きこまれる気がしてしまう。

鉄道と言えば「切符」と思っている車掌長だが、今や「チケット」という人の方が多いのかもしれない。
それはそれで結構だが、乗車時の「エチケット」も一緒に持ち歩いてもらえれば、みんなが快適に過ごせると思う。
 

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