身の丈に合った視点

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2013年5月 5日 06:31

今日は子どもの日
複数の新聞一面を飾った記事は、子どもの「32年連続減少」だ。

世界最速で進む日本の少子超高齢化社会。
世界は日本の行方を見守っている。
見守っているというと優しい言い方だが、国が衰退してゆく「実験」を眺めているという方が正しいのかもしれない。

当たり前の話だが、生まれてくる人間よりも亡くなる人間が多ければ人口は減ってゆく。
また、医療技術の進歩は寿命を延ばし続け超高齢化を促し、人口ピラミッドは逆三角形という歪(いびつ)な形になりつつある。

このことから、社会保障の分野でよく形容されることだが、大勢が高齢者を担いでいた「御神輿型」から、少数で支える「騎馬戦型」へと変化し、近々1人で担ぐ「肩車型」になるのは間違いないそうだ。

ところで、日本の「インフラ」は人口1億2000万人程度を目安とし、全国津々浦々に整備・維持されてきたという。
インフラとは、人々の日常生活や経済活動を支える生産等の基盤となる社会資本。
具体的には、学校や病院、公園、福祉施設、鉄道、道路、ガス、水道、発電施設、ダム、港湾設備、通信施設、etc…

今日、高度経済成長期に全国各地で作られた道路や橋、トンネルなどの構造物が寿命を迎えている。
当時は人口や交通量など必要性のあった事情が、どれもが今も必要な事情を満たしているのか精査が必要であろう。
その点において、鉄道は早くから合理化を理由に「廃線」となり、その社会的使命を絶たれてきた。

現政権は、財源の乏しい膨大な借金の上に更に借金をして、需要の少なくなった上述の構造物を修復しようとしている。
もちろん、今でも需要の多い道路やそれに付随するトンネル・橋脚のメンテナンスは火急の案件だ。

しかしながら、1億2000万人時代は終焉したのだから、何でもかんでもやみくもに全てのインフラを維持するのは無理な話だと思う。

日本はもはや、「人口減少」という身の丈にあった視点で物事を見て語らないといけない。
これまでの規模で生産活動をしても、それを購買消費する相手が国内にはいなくなるのだから…

それを見込んでなら合点がゆくが、首相はこのGWの外遊で日本のセールスを積極的に行ってきた。
その中には「原発輸出」も含まれていた。
未曾有の事故を起こした欠陥品を、日本と同じ地震国のトルコに自信を持って売り込む精神が理解できない。

商売相手は海外にいくらでもいると言い、グローバル化を声高に叫んでも、自国の衰退を見て見ぬふりをするのは間違っている。

やはり、人口減少の解決は、目先の経済活動よりも優先して人口増加へ舵を切ることだと考える。
そして、そのために必要なインフラこそ、積極的に整備・増強すべきだ。

子どもを安心して産めて、育てられる社会が、実は持続可能な経済活動を支えられるのだろう。
いま、保育所が足りないというが、そんな中で新たなオフィスビルを建てる敷地はしっかり確保されている。

要は、目先のお金にはならないが、やがて「社会の財産になる」という共通認識があるかないかなのだと思う。

オフイスビルを建てて、スポット的にサラリーマン人口が増えるよりも、将来の日本を担う子どもの人口が増える方が、長い目でみればその地域の活性化につながるのだろうと、わが街を見ても抱く感慨だ。

来年の子どもの日に、少しは明るい話をこの乗務日誌で綴れればと願う。
そして、毎年の定点観測的に、この日は子どもから将来を見るテーマで世の中を見つめてゆきたい。
 

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