人の尊厳

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年1月 3日 05:55

新たな年の始まり

昨年、専務車掌の父上がお亡くなりになり、賀状でのご挨拶ができなかった新年。
我が家のポストに、近隣のNPO法人からの会報が届けられていた。

そこは認知症の方々をご家族からお預かりするグループホームだが、車掌長は年1回行われる旅行のお手伝いをしているご縁だ。

15名の利用者とそのご家族、スタッフと合わせて40名弱の旅行だが、リフト付バスを仕立て「安心・安全・快適」をモットーに、楽しんでいただく1泊2日の一大イベントになっている。

車掌長がお手伝いするようになり、昨秋で3回目となったが、スタッフの方々のご苦労はかなりのもの…
事務局長のお話を伺えば、食べた瞬間、何を食べたか覚えていないし、どこへ連れて行っても、想い出にもならない…という。

しかしながら…と、続けて仰った。
その瞬間、瞬間に見せる、満足そうな表情や笑顔、発する一言、断片的に語り始める昔の話など…普段の生活では見られない一瞬に、全スタッフが喜びを見出したり、その人のことが、より深く理解できる意義が大切なのだと…

そして、そのきっかけになるのが「富士山」なのだと…
東京近郊に住んでいた人なら、あの山を見たことがない人はほとんどいないし、ご家族や昔の友達と眺めた記憶が呼び戻されるのでしょう…と。

また、普段はご家族と離れて暮らす利用者だが、この旅行で親子ともに過ごす時間が、お互いの絆を深めたり、置き忘れてきた時間を取り戻すのだ…と。

そんな話を思い出し、会報を眺めていたら、ホーム長の新年のご挨拶が別刷りで同封されていた。
そこには、ホーム長が大好きという「認知症の歌」「介護の歌」と呼ばれる詩が、載せられていた。
少し長くなってしまうが、とても素敵な詩だったのでご紹介し、本年の乗務始めとしたい…
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

(以下、引用)

手紙 親愛なる子供たちへ

年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても どうかそのままの私のことを理解してほしい
私が服の上に食べ物を溢しても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時
同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうか遮らずに うなづいて欲しい
あなたにせがまれて 繰り返し読んだ絵本の温かな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

悲しいことではないんだ
消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましの眼差しを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのを嫌がる時には思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり
様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ
旅立ちの前の 準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ 出来なくなるかもしれない 足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら
あなたがか弱い足で立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力のないのを知るのは つらい事だけれど
私を理解して 支えてくれる心だけ持っていて欲しい
きっと それだけで私には 勇気が湧いてくるのです

あなたの人生の始まりに 私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する 変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ 愛する子供たちへ

 

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