蛙の卵
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年3月23日 05:36
46年余の人生で時刻表との出会いよりも早く、40年以上にわたって今も続けていることがある。
それは、お彼岸のお墓参り…
春・秋の年2回、記憶にある保育園時代から、祖父母や親、親戚に連れられて参ってきた。
途中、学生時代は愛知県の海辺に住んでいたので、春も秋もというわけにはいかなかったが、長期休みと折り合う春は暇(いとま)を見つけては、掌を合わせに上京した。
子どもの頃、祖父母が「おじいちゃんやおばあちゃんのおとうさんやおかあさんたちが、ここでねむっているよ」と言った言葉に、幼心ながらも時間が紡ぐ「つながり」というものを感じていた。
そして、そうした人々がいて、今の自分の存在へとつながっているという概念を、子どもながら理解していたと思う。
春のお彼岸は、楽しみなことがあった。
それは、池に無数に横たわっている蛙の卵。
その紐状の卵塊は、よくみると黒い粒々が不気味なほど詰まっており、それがオタマジャクシになることを祖父から教わった。
暖かな年は、既にオタマジャクシへと孵化(ふか)していることも多々あったが、先日参った際は、まだ卵の状態であった。
こんなことからも、今年は寒かったことがうかがえる…
いまは安らかに眠る祖父母の墓前で掌を合わせると、自然と感謝の念が湧きおこる。
そして、日々色々なことがありながらも、またここへ来るまでの間の無病息災を願う…