学歴とは?
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年3月30日 05:57
今朝の新聞に滑稽な記事が載っていた。
それは「学歴フィルター」なるものの存在。
最近は個人的な実感はないが、景気が良くなりつつあると言われ、就職にも明るい兆しが見え始めたと言われている。
しかしながら、それは全ての学生に当てはまるわけではないようだ。
それが、上述の「学歴フィルター」にも、一因があるという。
具体的には、大手企業の会社説明会に参加するためにはエントリーが必要だが、その時点で、本人の学歴によってその門戸(もんこ)は開かれたり閉ざされたりするらしい。
また、仮に説明会やセミナーに参加できたとしても、その後の展開には明らかに学歴による差を感じざるを得ない場面が続くことが多いようだ。
冒頭の言葉を繰り返すが、何と「滑稽」であろうか。
これは、一所懸命に就職活動をしている学生本人への、特に一般的に名高くない学歴の学生に目覚めてほしいエールの言葉だ。
車掌長はやや高血圧だが、高学歴の持ち主ではない。
そもそも、何をもって「高学歴」と言わしめるのか、その根拠がよく理解できない。
学歴とは、それを誇示するものではなく、そこでどんな人間に成れたかを示す「人歴」だと考える。
また、日本の学歴などは、成田から一歩「一個人」として国外へ出れば、その人物の本質的な価値を表現するには至らないことを、二十数回の海外旅行や居住で体験したように感じる。
そして、車掌長が痛感したことは、国外に持ち出して自分を示せるペーパーは、日本固有の履歴書などではなく、日本人であることを証明するパスポートのみ、ということだ。
お恥ずかしい話ながら、車掌長は転職を7回経験している。
年齢を重ねるごとに、そのハードルは高くなったものだが、自分自身の価値観には正直であったように思う。
もうだいぶ前になるが、或る大手宿泊予約サイトの中途採用がトントン拍子で進んだことがあった。
おそらく、自己PRとしていた国内500軒以上のホテル・旅館・ペンション、民宿など様々な宿泊施設に泊まった経験が、ある程度評価されていたのだと察する。
しかしながら、車掌長は選考結果が出る前に「お断り」をした。
「申し訳ございませんが、今回はご縁がなかったということで…」と。
最大の理由は、車掌長が描いていた自分の経験を活かす魅力がないと思われた。
フレキシブルな勤務時間や、能力に合った昇給や昇格など、細かな話を沢山していただいたが、その言葉の裏には、膨大なノルマがあると理解できた。
そして何よりも、その幹部らしき採用担当者の言葉や人物に魅力がなかった。
それはつまり、そういう人を配置する会社の考え方や最終的に目標とするビジネスのビジョンに、車掌長の価値観が合わなかったと言える。
したがって、結論的なものになるが、学生時代は自分の好きなこと、信じることを大切にして、世間一般の目や価値観は参考程度に留めて就職活動をすれば、いつかお互いに合致する会社に出逢えるのだと思う。
ある程度の年齢になると、そんな言い分はなかなか通用せず、背に腹は変えられない諸事情もあるからこそ、若い人にはエキサイティングに、広い視野でチェレンジ的に就職活動を楽しんでほしいと願う。
もしかしたら、他人があまり関心を寄せない業種や会社、規模にこそ、本当の佳き巡り逢いがあるのかもしれない。