JTB時刻表7月号の表紙

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年6月24日 20:13

 月末のお楽しみ、JTB時刻表7月号を書店で購入した。

今回の表紙も4月号に引き続き、とても良かったので一筆。

今回は、鉄道車両はなにも写っていない。
それでも、レールとホーム、田んぼ、山々に人がいるだけで、不思議な「旅情」が湧いてくる。

場所は小海線の青沼駅とある。
車掌長は中学から高校時代にかけて、まさにこのようなローカル線の駅に、気の向くままに途中下車し、次の列車までの1~2時間くらいを平気に過ごしていた。

何するわけでもない。
周りの風景に自分自身を融かし、吹く風の音や色、香りを想像しながら、日常からの解脱を楽しんでいた。

今まで来た道を振り返ったり、これから進む道を悩んだり、期待したり…
ただ己と向き合う、誰もいないような時間と空間が、その当時は無性に好きだった。

そんな昔の自分に、今回のJTB時刻表の表紙は再会させてくれた。

また、右側に縦書きで"そろそろ「青春」の季節です"という、一文があるのも、旅心を揺さぶられてしまう…

最近のJTB時刻表の表紙は、担当者が変わったのか知る由もないが、車両が主人公のJR時刻表よりも「物語」性を帯びていて、詩的でもあり、センスが良い。

中学・高校時代、時刻表7月号の発売は、期末試験前の憂鬱な気分に、一幅の憩いを与えてくれたことを懐かしく思う。

夏の時刻表は、「夏休み」という子どもの特権を、この手にできる担保のような「形」あるものの一つでもあった。

そんなイノセントな過去の時間に、合掌。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年6月28日 22:42投稿)

こんばんは

今月号の表紙は私もとてもいいなと思います。

私の大好きな1978年10月号~1985年1月号の表紙に回帰してくれたとしたら、大変うれしいことです。

人、時間、日常、非日常、出逢、惜別、門出、節目、季節、祭、故郷、憧憬、郷愁、友情、愛情、青春、夢、絆・・・

この頃の表紙には人がいましたね(写っていなくても人が感じられました)

車掌長さんからのコメント(2014年6月30日 05:24投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんの仰る通り、その当時の日本交通公社時刻表の表紙は秀逸でしたネ。

「旅」の主人公は言うまでもなく「人」です。
そして、更に踏み込んで言えば「自分」こそが主人公だと思うのです。

「旅」に出る動機や理由は、人によって様々です。
私用、出張、冠婚葬祭、訃報etc…

出張や冠婚葬祭、訃報であれば、できる限り速く目的地へ到着したり、家路につきたいのはもっともなことであり、新幹線や飛行機が最適だと思います。

しかしながら、私用の場合に出る旅は、移動手段や時間帯、ルートを選ぶ楽しみや、車内で過ごす列車ならではの醍醐味が極めて寂しくなってしまった昨今です。

夜行列車や急行列車の廃止
食堂車、車内販売の廃止
新幹線開業による在来線の各「本線」の分断化
JR各社間をまたぐ周遊券の廃止
などなど

希望者挙手さんが挙げてくださった時期は、そうした意味で鉄道を利用する旅行者にとって、自由な時代であったと感じます。

現在は、時間のある旅行者、安く移動したい者は「高速バスをどうぞ」と言わんばかりに、高速道路網の異常な発達で、大都市と地方都市がダイレクトに結ばれました。

車掌長は、高速バスのアメニティ向上も評価する一面はあるものの、定時運行の不確実性や、狭い車内での不自由さ、何よりも事故への不安があり、一片の旅情も感じることができません。

また、時刻表表紙に「人」が登場していた当時は、他人と「話す」ことがコミュニケーションの最大の方法でした。

スマホのなかった時代、自分の世界に閉じこもれるのは、読書か居眠り、せいぜいウォークマンで好きな曲を聴く程度でした。

そんな状況は、不便で、退屈な時代だと、今の多くの人は感じるかもしれませんが、車掌長は逆に、とても心豊かな佳き時間だったと回顧します。

そして、旅行者も地元の人も、他人を気遣い、もてなし、もてなされる、「対価によるサービス」ではない、「無償」の心のふれあいが、数多くあったように思います。

そうした時代背景が、当時の時刻表表紙にもあるような、誰でも自分が心を開けば体験できる「旅」の光景だったように感じます…

長々となってしまい恐縮でした。

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