こころを読み終えて

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2014年9月25日 05:39

子ども時代の読書感想文のようなタイトルが懐かしい。

本日付で朝日新聞に連載されてきた「こころ」が終着駅に到着した。
そのホームに降り立った車掌長の心情は、明治という1つの時代の終焉が、漱石自身の「何か」の区切りでもあったというものだ。

それを、「私」であったり、「先生」であったり、「K」という友人に、自身の思いの丈(たけ)を代弁させたのであろう。

今回の「こころ」の連載は、1914年(大正3)4月20日から8月11日まで、当時の朝日新聞に連載されてからちょうど百年を迎えたことを記念し、時同じくして本年4月20日から再度連載されたもの。

毎朝、紙面を順番に読み進めて、読者の「声」や社説と同じ頁にあるこの連載小説に辿り着く頃には、飲み始めたコーヒーが半分ほどになっていたものだ。

連載が始まった頃、新聞に目を通す頃は夜が明け始め、コーヒーもアイスであったが、最近はまだ夜も明けず、つい先日からはホットに変わり、季節が移ろいだのを感じた矢先でもあった。

明治という時代が、どのような世の中であったり、人々の精神的な生き様を、少し垣間見れたような心持ちになった。

一方、自分自身に置き換えてみると、「昭和」という時代から「平成」という時代を、40代後半という歳で生きている意味を、ふと感じてしまった。

過ぎた時間は輝きを増して回顧されるというが、不便だったことや、不幸な出来事も含めて、「昭和」の頃は良かった…などと、感慨に耽ってしまうのは早計だろうか…

しかも、「昭和」とは言っても、車掌長は戦争という暗黒な時代を知らない世代。

世の中が経済的に発展し、多くの人々が自由を享受、謳歌する「昭和」を、子どもから学生時代まで過ごした。

このたび、「こころ」が終着駅に着いたところで、車掌長自身の「昭和」にも、何か区切りをつけねばならない…という心情になった。

なんとも、とりとめのない中途半端な感想だが、率直な想いでもある…

 

 

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