哀悼・種村直樹先生

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2014年11月 9日 09:18

今朝、新聞で或る御方の訃報を目にし、驚愕した。

レイルウェイライター、種村直樹先生のご逝去であった。
享年78歳。毎日新聞記者を経て独立し、「レイルウェイライター」としてご活躍され、その呼称は先生が初めてお使いになったと記憶している。

車掌長がなぜ種村直樹氏を”先生"とお呼びするか…
面識はない。当然、なんの師弟関係もない。
しかしながら、車掌長は子どもの頃から一方的に、「鉄道旅行の師匠」として尊敬し、先生のような職業に憧れの念を抱いていた。

先生の著書に出逢ったのは、小学生の頃、阪急梅田駅から国鉄大阪駅へ乗り換える際に立ち寄った、地下街の小さな本屋であった。

「鉄道旅行術」という背表紙を書棚で見つけ、何気なく手にし、即購入。
東京へ帰る際の新幹線車中で、その面白さに押され、一気に半分ほど読んでしまった。

内容は鉄道旅行に必要な知識や情報で、いわば「ハウツーもの」的だったが、それまで時刻表巻末に掲載されていた「営業案内」では理解しづらかったことが、わかりやすく書かれていた。

また、種村先生の経験や教訓をふんだんに織り交ぜながら、旅の準備から旅行中のこと、旅行後のことなどの各章を疑似体験しながら読み進め、次に出る旅のイメージづくりに大いに役立った。

以降、「ブルートレイン全ガイド」「鈍行列車の旅」「ローカル線の旅」「旅のABC」「鈍行急行記者の旅」「種村直樹の汽車旅相談室」「時刻表の旅」「終着駅の旅」「新・国鉄2万キロの旅」etc…
いまも当車掌区の本棚を見れば、先生の著書が20冊ほど並べてある。

どれも、小学生高学年から中学、高校くらい迄の頃に読みあさり、何度も繰り返し読み耽った想い出の書ばかりだ。

特に、鈍行列車やローカル線の旅の醍醐味を覚えたのは、先生の著書によるところが大きかった…

車掌長の中学・高校時代までは、辛うじて「旧型客車」の鈍行列車や夜行列車が生き延びており、東北や山陰地方を中心に乗りまくったものだ。

中でも想い出深いのは、先生方が実践した当時の最長距離鈍行列車「824レ」乗車を追体験したこと。「824レ」とは、数字が列車番号で、「レ」は機関車に牽引される列車の意味。

この列車は九州の玄関「門司駅」から、京都府の「福知山駅」までを山陰本線経由で結んでいた。
門司を5:23に出発し、福知山には23:50到着という、18時間半の長旅であった。

当時はひとつの列車が、これくらいの長距離を走ることは珍しくなかったが、合理化・効率化で運転区間がぶつ切りになった今は、このような列車は存在しない…

しかも、こうした列車は大きな駅では必ず長時間停車があり、売店での飲食物資の調達や駅前散歩などが楽しめた。また、小さな駅でも急行や特急に追い抜かれる際は、時刻表ではわかりづらい停車時間の存在を体験し、タブレットの受け渡し光景を眺めていたりした。

いま思えば、鉄道旅行が最も楽しかった時代だったかもしれない…

種村直樹先生の訃報にあたり、そんな子どもの頃の想い出が蘇ってきた。

末筆ながら、先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。
そして、子どもの頃に鉄道旅行の面白さを沢山教えていただきましたことに、感謝いたします。
ありがとうございました…

どうぞ、その御出立はお好きな寝台列車で、安らかな眠りとともに、長い旅路を末永くお楽しみください…
 

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