未年に思う
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2015年1月 9日 04:31
中学1年の春、或るTVドラマの主題歌のフレーズにこんな歌詞があった。
♪おとなしい羊の群れから 飛出したいのだ
これは人気ドラマ金八先生に続いた新八先生こと、岸田智史さんが歌う「重いつばさ」の一節。
1980年4月といえば、車掌長が時刻表を毎月買い始めた時期。
当時は、徐々に高まりつつあった「自我」というものを、自分でも意識し始めた頃でもあり、自然にこの曲や歌詞に深く共感した時でもあった。
羊は英単語において、複数形の存在しない動物として知られている。
理由は、一匹ではなく「群れ」で行動するので、数える対象にならないと聞いたことがある。
なるほど、漢字においても「群」という字には「羊」が入っている…
また、現在朝日新聞で連載されている、夏目漱石の「三四郎」においては、「ストレイ シープ」という言葉が登場する。
これは「stray sheep」、つまり"迷える羊"として、この小説のキーワードになっている。
このように話を進めてしまうと、羊とは何と主体性のない動物かのように囲いこんでしまう。
しかしながら、一方でこの動物は、その群れをなして行動する習性から、「家族の安泰」や「平和」をもたらす縁起物としても、人々から愛されている。
車掌長も今や、こちらの意味合いで「羊」や「未年」を眺めながら、目を細めるようになった。
羊年といえば、車掌長の同級生の多くは「年男」「年女」である。
車掌長は早生まれのため、学年は一緒だが、干支は1つずれて来年が「年男」だ。
干支(えと)はご存知のように12年で一回りするが、細かく言うと「十支(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」の組み合わせで60年周期となり、その一周がいわゆる「還暦」となる。
車掌長の同学年はこれで十二支を4周し、いよいよ5周目、自分たちが生まれた「丁羊」や「戌申」となる"還暦"を視野に見据えた12年間を過ごすこととなる…
しかし、さすがに12年というスパンは長いので、目先の50歳にまず目が向いてしまう。
孔子曰く、「五十にして天命を知る」とのこと。
果たして五十歳になった時、天から与えられた使命を悟れるようになっているのだろうか…
現時点でそのようになれる自信はないが、まずは、いま頭の中で想い描くことを、日々一歩一歩積み上げてゆくことが大切なのだと思う。
それも、最短距離ではなく、さんざん寄り道や回り道、行き止まりを経験してきた人生の教訓として、"急がば回れ"の心持ちで歩んでゆきたい。