母が娘の命を守ったけんか
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年1月16日 04:50
親子ゲンカ、兄弟ゲンカ、夫婦ゲンカ
日常、どこの家庭でも起こっている風景…
そんな喧嘩が、親子の生死を分けたという、悲しい体験を持つ女性の話を目にした。
或る新聞に掲載されていたものだが、阪神・淡路大震災で、お母様(当時33歳)を亡くされた女性(当時6歳)の話を知り、胸の奥が詰まる想いをした。
その女性はいま、風呂あがりにそのお母様と一緒に髪を乾かし合った子どもの頃の想い出から、美容師になる夢を叶えたそうだ。
あの日…
いつもなら一緒に寝ていたのに、震災の前夜は叱られたことに拗(す)ね、ふすま一枚を隔てて別々に寝たとのことであった。
ここまで話して女性は言葉が出なくなった。
母の話になると、どうしても、こうなってしまう…と。
それでも、しばらくの時を空けて女性は当時のことを語り始めた。
2階建ての自宅が倒壊し、「ママ、ママ」と泣きながら何度も何度も叫んでも返事はなかった。
ママが見つからないまま、姉に背負われ、がれきの中を歩くと「助けて!」という叫びが、崩れ落ちた家々のあちこちから聞こえたそうだ。
何日経ったか記憶にないが、対面したママは冷たくなっていて、眼を閉じさせてあげようとしても、硬くてそうしてあげられなかったという。
話しを聞いた記者が尋ねる
そんな辛い日のことを、なぜ話してくれるようになったのか
それは、「私が震災の記憶があるギリギリの世代、やはり忘れてほしくない」という想いが込められていた…
明日、阪神・淡路大震災から20年の節目を迎える。
「節目」と一言で括(くく)ってしまうが、同じ記者の質問に別の男性がこう答えている。
被害に遭われた方々、遺族の方々には「節目」などという、時間の「区切り」はない…と。
車掌長は、何か心の奥の痛みを感じた…
凄惨な天災や災害における「節目」というのは、傍観できる者や第三者が口にできる、区切れる、整理できる「時間」なのだと…
明日も、あの朝がやってくる。
多くの人々が寝たまま亡くなった5時46分という時間が…
尊い命を失われた方々の御冥福をお祈りするとともに、車掌長も該当者であるが、直接被害に遭わなかった者こそが、決して忘れてはならない誓いや意志を確かめる日としなければならない…
この女性が話してくれたように、「忘れない」ことが大切なのだと思う。
そして、あの親子ゲンカはきっと、お母様が娘の命を守ったのだと…車掌長は思った。