25時間32分の遅れと1分の遅れと...

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2015年2月16日 05:30

先日、寝台特急トワイライトエクスプレスが、25時間32分遅れで大阪駅に着いた。

理由は東北地方の大雪。
この列車は、バレンタイン・イブとなる先週13日(金)午後に札幌駅を出発。

途中、青森駅で立ち往生し、およそ22時間後に再出発した。
長旅の末、終着の大阪駅には15日(日)午後14時25分に到着したという。
通常であれば、14日(土)の13時前に着く予定であった。

最近のトワイライトエクスプレスは、大雪で運行が困難になっても、その運行を支え続けるJR各社の社員や付帯業務に携わるスタッフの尽力で、極力目的地まで走り通している。

やむなく、途中駅での運転打ち切りや、運転そのもを取り止める日もあるが、廃止を目前に控えた今は、以前ほどたやすく休止にしていないように思われる。

安全には最大限の措置と配慮を講じ、別れを惜しむ乗客の想いとともに、走らせている姿は素晴らしく思う。

実際、この列車を最後まで乗り通した人は約90人と多い。
そして、その乗客たちのコメントは誰もが上機嫌で、「もっと乗っていたかった」という人も…

車掌長も、もしこの列車に乗っていたら、最後まで乗り通し同じようなコメントをしただろう。
その後の予定もあった人が多いと思うが、「何に」対して重きを置くかで、それに勝るものはない予定なら変更すれば良いだけのこと。

長い人生の中で、しかも世界有数の鉄道時間が正確なこの国で、25時間余りも遅延する旅を体験できたことは、きっと一生の想い出になるだろう。

こんな列車遅延の話を知った後、ふと思うことがあった。

それは、シチュエーションこそ「旅」ではないが、日常生活での「通勤」の列車遅延のこと。
たかが1、2分遅れただけで、車内でお詫びの放送が入る。

すると、「チッ」という舌打ちのような微音や、眉間にシワを寄せる人を目にすることがある。
車掌長は、こんな放送を耳にするたびに、この国の「余裕の無さ」や「心の貧しさ」を痛感する…

これだけ多くの人が居住し、働き、移動をしている東京で、1分の遅延もなく列車が動く、動かせるほうが「奇跡的」であるのに、それが「当たり前」としている感覚が恐ろしくなる。

それは「経済的な豊かさ」や「利己的な価値」を求め続ける果ての姿が、こうした「心の貧しさ」や「寛容性の無さ」を生み出しているようにも映る。

また、その延長線上に、お年寄りや妊婦、子連れ、障害を持った方々といった、交通弱者への配慮に欠ける意識や言動が存在するのだと感じてしまう。

誰もが旅に出られる事情でないことは、重々承知しているが、「旅」という非日常な時間や空間が、普段の自分の心を映す鏡になると思う…

そして、その旅という非日常性は、自分の言動を「省みる」ことや、世の中や時代を「顧みる」、そんな時間旅行にもなるはずだ。

「時間旅行」の醍醐味は、今の時代を生きる人々にとって、圧倒的に欠乏している「栄養素」のように感じる。

まもなく、暖かな春が訪れる。
旅心の芽を育めれば、きっと心の中で咲く花もあるだろう…
 

 

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