或る痛車

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年7月18日 05:26

「痛いな…」

その列車を見た感想だ。
100年以上前に造られ、ほとんど営業運転されず「幻の豪華客車」を蘇らすと聞いた当初は、ロマンがあって良いなと思った。

しかしながら、いざ公開された写真やコンセプト、乗車料金を見ると、それは落胆に変わった。
「なんだ、また金持ち相手の列車か…」と。

乗るのに何十万も必要とする豪華寝台列車や、金ピカの車内で軽食(おやつ)を摂るのに2万円以上するとは、鉄道も随分と敷居が高くなったものだ。

「世界に誇る」とは「世界はカネ」だ…とも聞こえてしまう。

これだけ物質的に豊かになった時代に、更に貪欲に「豪華さ」を求めたいという、心の貧困さが通底しているようにも見受けられる。

内装は特注品で制作に何億円かけたとか、拝金主義の臭いが拭えない。

また、この外観の車両が沿線を走る情景に馴染むかも疑問だ。
この手の列車なら山手線を何周も走った方が、注目度も高く乗る者の優越感をくすぐってくれるように思う。

と、冒頭から酷評したが、運行する鉄道会社や手掛けたデザイナーに嫌悪しているわけではない。

こうしたものを「有難がる」風潮が、残念なだけだ。

話は飛躍して申し訳ない。
白紙に戻った新国立競技場建設しかりだが、かけた金額や見栄えの豪華さが、その施設の良さではないのだと思う。

国の威信を発揮・高揚させるためのシンボルよりも、そこを実際に使うアスリートや観客である国民に愛される施設としての普遍性を大切にしてほしい。

願うならば、今後新造される鉄道車両というのも、将来を担う子どもが実際に身近に乗れて夢を与えるような…そんなコンセプトを大切にしてほしい。

短絡的に「いまカネを持っている」年齢層や富裕層を相手に、短期的な売上や収益、話題をビジネスライクに目論むよりも、子どもという柔らかな心を持つ大地に、ひと粒ずつ種を蒔いたり、1本1本の苗木を地道に植え、やがて見事な花が咲いたり、林や森になって多くの人の心を潤すような…そんな時間や手間のかかるビジョンや理念で事業を進め、やがて世界的に評価されるような「尺度」や「価値感」があってもいいと考える。

話を元に戻そう。
車内で食事を摂りながら、車窓や移動を楽しめる「ダイニングトレイン」であれば、昨年乗車したJR東日本の「TOHOKU EMOTION」は素晴らしかった。

決して華美ではないが、気品のあるインテリアや沿線の海に溶け込むような、白亜の灯台を思わせる車両外観も乗っていて清々しい気分に浸ることができた。

料金的にもリーズナブルで、このような列車に乗る乗客や沿線の皆さんとの交流が、その地域を明るく元気にしてくれるのだと感じた。

このたびの「或る痛車」の運行が、その地域の人々や乗客とどのような交流が生まれ、双方にどのような「心の恩恵」をもたらすのか、期待したい。
 

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