後写鏡
カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2016年6月28日 04:56
♪さよなら バック・ミラーの中に あの頃の君を探して走る
学生時代に浜田省吾さんの曲をよく聴いた。
中でも、このフレーズで始まる「ラストショー」は大好きな曲だった。
「バック・ミラー」という和製英語も、なかなか奥深い単語で好きだが、法令上は「後写鏡」というそうだ。
今朝、そのバック・ミラーを無くした「ミラーレス車」実現の記事を新聞で知った。
国土交通省のルールが改正され、車外カメラと車内の映像モニターで代用できるようになるという。
実用化に向けては、メーカーによる安全性の確保が必須条件となるが、今までバック・ミラーやドア・ミラーではどうしても発生する死角を軽減できる意味においては、有効な技術革新なのだと思う。
しかしながら、アナログ的な感覚が好きな車掌長にしてみると、バック・ミラーやドア・ミラーの方が、距離感を実感できることに慣れているので、ミラーレス車には不安を覚える。
また、機械やデジタルモノは「壊れる」ことがあり得ることも、忘れてはならない。
そうした技術に過度に依存することは、結局、自分自身の各器官の感覚を鈍らせてしまう。
軽自動車でさえ、バックアイモニターが装備され、車庫入れ等も後方の車や壁ギリギリまで近づけることが容易になった。
車掌長は今でも、習慣的に右手でハンドルを握り、左手を助手席のヘッドレスト後部に回して、目視でバックしたり、運転席側のドアを少し開けて、微妙な距離感を確認してしまう…
しかしながら、若い世代の人が同乗した際は、そんな仕草はパロディチックかもしれない。
いずれ、ミラーレス車が実用化されるだろうが、バック・ミラーで過ぎ去った想い出のシーンを探すことができなくなるのは、いささか寂しい気もする。
♪さよなら バック・ミラーの中に あの頃の君を探したけど
さよなら ボンネットを叩く雨 もう何も見えないよ もう何も聞こえないよ
さよなら…
「あの頃の君」とは、すなわち「あの時代」と言い換えられるかもしれない。
せめて、世の中がどんなに変わっても、自分自身の心の中には、己の足跡を振り返られる「後写鏡」の設置を、マイルールとして義務付けたいと思う…