空想の間

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年5月13日 05:30

先日、車掌長が尊敬する人物の一人、伊能忠敬を特集する雑誌があり購入した。

特集とは関係ない巻末のページに、見覚えのある絵があり目が留まった。
この絵は誰かのお宅で目にしたもの…

その絵とは、マウリッツ・コルネリス・エッシャー作の「滝」

一見、高い塔から落ちる滝の水が、粉を挽くためであろう建屋の水車を回す絵だ。

しかしながら、その落ちた水を絵の中で辿ると、流れ落ちたはずの水が段差もない水路を、自動車教習所のクランクコースのように上り、再び上述の塔から滝となって落水している…

いわゆる「だまし絵」の手法だが、見る者の空想を掻きたてる絵であり、人間の視覚というものは、ありえないものを実在するように思わされる落とし穴があることにも気付かされる。

また、この絵の下方隅には、洗濯を干す女性と、少し離れたところで滝を見上げる男性がいるのも、幾何学(きかがく)的な構図の中で、何者なのかを想像できて面白い。

ところで、冒頭のこの絵を見たトイレは、たくちゃんさん宅であったことを思い出した。
こうした絵をトイレに飾っているのは素敵だ…
なぜなら、車掌長はトイレは「空想の間」だと思うから…

トイレと書けば、本来の語源である化粧や身支度をするフランス語の「トワレット」の意味合いになってしまう。

だが、日本語のトイレを指す単語は、便所以外にも幾つもあって興味深い。
厠(かわや)、憚り(はばかり)、雪隠(せっちん)、閑処(かんじょ)、手水場(ちょうずば)、思案所(しあんじょ)、ご不浄(ふじょう)etc…

本来の目的である排泄という行為を、直接的な言い方で表現しなかった日本人の奥ゆかしさを感じる。

なかでも、静かな場所を意味する「閑所」と「思案所」は良い名称だ。

日頃、喧騒と干渉に溢れる日常社会、せめて自宅のトイレは想像や物思いに耽(ふけ)る場にしたい。

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