三日月と金星と木星と

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年1月 3日 05:19

未明の空、三日月のやや右上に金星、やや左下には木星が並んでいた。

金星は殊のほか輝き、木星も東京の空でも綺麗に確認できるほどに存在感があった。
偶然見かけたその並びがなんともチャーミングで、寒かったものの、しばし見入った。

三日月の傾き具合も、魔法使いサリーちゃんが腰掛けられるような、良い塩梅(あんばい)…
また、「クロワッサン」が仏語で三日月を意味することも、頷(うなづ)ける形だった。

ふと、星の輝きを「今」目にしていることの不思議さに想いを馳せる…

星の輝きや瞬(まばた)きは、過去の光が、それぞれの星から長い距離を、○○光年かけて届いた、いわば「見かけ」の姿…

その星と地球との距離にもよるが、いま、宇宙のどこかで光っている星が、やっと地球に届く頃には、もう車掌長はこの世に存在しないものが、沢山あるのだろう…と。

逆の言い方をすれば、車掌長が生まれる前のどこかにあった星の輝きを、「今」目にしているものも、多いのであろう…

気の早い話になってしまうが、地球からおよそ81光年離れた星が、「今」輝いている光を目にできるのは、22世紀になる…

「22世紀」という言葉は、まだ、あまり世の中で耳にしない節目であり、車掌長も当然ながらとっくに、存在しない時代…

19年前、21世紀を体験し「ミレニアム」を謳歌した車掌長であるから、西暦2100年を迎えられるはずもないが、もしも、車掌見習が平均寿命より少し長生きできたとしたら、彼は目にすることができる時代かもしれない…

ただ、心配も尽きない。
「平成」という僅か30年間で、人々の思考や行動、生活様式を、掌(てのひら)を返すようにひっくり返したのであるから、この先の80年余りの時間の長さを考えると、背筋が寒くなる感も否めない…

また、そうした思考や判断の選択も他者へ委ねたり、依存しようとする傾向が、今後ますます拍車がかかりそうで、懸念が膨らんでしまう。

今を生きる人々にとっては、まだまだ「世の中便利になった」と、成長著しい各種技術の進歩に対し、長閑(のどか)なことを言って済むかもしれない。

しかしながら、地球規模で進む環境破壊や気候変動、日本の少子化とは裏腹に爆発的に増える人口、世界各地の紛争etc…

これらの解決に対し、人類が時間をかけた叡智(えいち)ではなく、AI(人工知能)が活用され始めていることも、どのような「解」が待ち受けているのか、全く想像ができない。

庶民感覚では、身の回りの生活における節電や自然エネルギーの活用、不燃物の区分とリサイクルの徹底、子どもを育てやすい環境の整備や、それを補完する働き方改革による少子化の歯止め…そして、各国元首の独りよがりな、切った貼ったの博打のようなパフォーマンス外交ではなく、地道な交渉や対話…

単純ではあるが、これくらいしか、パッと思い浮かばないものの、AIであれば気の遠くなるような複雑な演算を駆使して瞬時に、凡人には想像も及ばないような「解」を導いてしまうのだろう。

果たしてその「解」は、神様なのか、悪魔なのかは、今は知る由もないのだが…

せめて、願わくば、車掌見習の生きる時代が、ひいては、その世代を生きる「今」の子どもたちが生きやすいようなバトンを、車掌長世代が次の世代へ引き継ぎたいと考える。

ふと、東の空に目を移せば空が白みはじめ、さきほど鮮明に輝いていた月と星が、朧(おぼろ)になりつつある。

しかしながら、上述の想いだけは、霞まないように、まずは一年一年を地道に生きなければ…と新年最初の乗務にあたり、想った朝であった。

【以下、車内放送】
皆様、明けましておめでとうございます。
本年も皆様におかれましては、佳き年(歳)となりますよう、お祈り申し上げます。

2019年も色々な節目を迎える年ではありますが、この乗務日誌で皆様とともに、時間旅行を楽しめれば幸いです。

 

コメントお待ちしてます!

コメントはこちらからお願いします

名前

電子メール

コメント