「卒園」という名の乗り換え駅

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年3月22日 05:05

先日、車掌見習が通う幼稚園の修了式があった。

曇一時雨の予報も外れ、おひさまも顔を出す陽気に恵まれ、穏やかなお祝いの空気に満ちていた。
3年間過ごした園舎や園庭も、きょうは子どもたちを祝福しているように、輝いて見えた。

この幼稚園では、車掌見習にとって、かけがえのない時間や原体験をさせていただいた。

ひとりひとりの個性や存在が、他の園児同士や教職員から認められ、お互いに認めるということを、日常の園生活や数々の行事の中で育まれたように思う。

決して、小学校就学に向けた読み・書き・計算・英語のような知識的な教育の先取りではなく、今後の長い人生における「人として」大事にしたい、大切にされる原体験を学び、習得できたことは、とてつもなく大きな心の財産であったと思う。

3年前の入園当初は、車掌見習もそうだったが、発達障害や身体的障害など様々な事情・状況の子どもたちが集い、その集団に馴染めなかったり、多動や注意欠陥等でクラスを抜け出すような子も見受けられた。

公立幼稚園ゆえ、抽選で入園可否が決まる仕組みなので、私立であれば面接で容赦なく「除外」「排除」される子も等しく扱われ、色々な子が存在する中での集団として、この園の子どもたちは人間的に成長できたと痛切に感じる。

修了式では、みな見違えるほどの立派な姿で、ひとりひとり修了証書をもらい、お祝いやお別れの歌を合唱し、保護者席からはすすり泣きの美しい音も聴こえた。

来賓の近隣小中学校の先生方からも、1時間余りの式典の間、静かに人の話を聞けたり、みんなで声やタイミングを合わせて、歌や台詞が言えたことなど、みんな立派な小学生になれますよとお褒めの言葉をいただいた。

最近は、幼稚園や保育園から小学校へ就学する際、個々の状況をかなり詳しく連携を図ってくれることを実感していたが、それはひとえに、この幼稚園の園長先生のお力によるところが大きかったと思う。

そんな素晴らしい幼稚園での3年間、園児を乗せてを走ってきた列車も、終着駅に着いた。

ここからは、次の小学校に向けて、それぞれ違う列車へ乗り換えなければならない。

「春休み」という乗り換え時間に、専務車掌は苦楽をともにしたお母さん同士との思い出話や労いに勤しみ、子ども同士も子どもなりに遊びの中で、引っ越しや違う小学校へ進むお別れを意識しているようだ。

末筆ながら、専務車掌には3年間の送り迎えや、諸々の行事に取り組み関わった苦労に、感謝を申し上げたい。

天気の良い日ばかりでなく、猛暑や大雨、大雪の日もあったし、毎日のお弁当づくりも本当に大変だったと思う。

そして、毎日の幼稚園だけでなく、複数の療育機関にも幼稚園降園後に通い続けたおかげで、車掌見習も立派な小学生になれると感じている。

この場を借りて、心からどうもありがとう。
 

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