思いがけず日光へ

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2018年12月27日 04:25

昨日、思いがけず日光東照宮を参拝した。

車掌長の今年の年末年始休暇は26日からで、車掌見習の幼稚園と同じタイミングであった。
この日はちょうど、園の友達が大勢当車掌区に遊びに来るということで、元々どこかへふらりと出掛けるつもりでいた。

イメージとしては、相模湖でレトロゲームを楽しもう…などと、画策していた。

専務車掌と車掌見習と、車掌区総出で掃除を終えた後にふらりと旅立ち、最寄駅からいざ中央線に乗ろうとしたら、遅延が出ており高尾駅での乗り換えに間に合わないと判断し、行先を変えることにした。

偶然、駅前の金券ショップで、期限切れの近づいた東武鉄道の株主優待券が500円で売っており、突発的に「そうだ京都、行こう」ならぬ、「そうだ日光、行こう!」と相成った。

時計を見ると、浅草11時発の特急に乗れそうであった。

出発5分前に券売機で座席指定特急券を買い、駅弁も調達、発車間際のリバティけごんに乗車。
今日は曇りで気温も上がらない予報だったが、反して小春日和の穏やかな空模様に、心は日光へと一足早く向かっていた。

日光は幾度となく訪問し、東照宮もしかりだが、いつも団体や家族・グループ旅行のため、同行者のコンディションに合わせたり、そもそも時間に余裕がなく、独りで行くのは初めてであった。

今回はかねて訪れたかった、徳川家康公の墓がある奥宮宝塔に参拝することと、平成の大修復を昨年終えた陽明門を見ることに的を絞り、貴重な日光滞在の約2時間を有意義に過ごそうと、頭の中で色々シミュレーションを楽しんだ。

しかしながら、車掌長はスマホを持たないし、今日はそもそも手ぶらだ。
ゆえに、車掌長にとっては貴重な車内での移動時間を、検索という行為に縛られることはない。

それは、頭の中でイメージした予定や行動を現地で確認、調整すれば済むことであり、多少のハプニングも、その旅の大小に関わらず、むしろそれを解決することが愉しみなのであった。

次第に近づく日光の山並みを遠望し、下野(しもつけ)の平地から勾配を駆け上るモーター音の高鳴りと車窓を楽しみながら、ビールを飲み駅弁を箸でつつくことを堪能した。

13時前に東武日光着。
改札を抜けた観光案内所で、東照宮方面のバス時刻を確認し、今回の行程に見合うオトクなフリー切符を買った。そして、帰路の列車時刻も念のため確認した。
今日は17時過ぎに車掌区に戻らねばならなかった。

その際、東照宮参拝券も自販機で買えることを知り、平日ではあるものの、現地で参拝券を買う混雑を回避するために、事前購入を済ませ準備完了。まだバスの時間に余裕があったので、徒歩で2~3分のJR日光駅駅舎も眺めに往復し、13:15発の世界遺産巡りバスに乗車した。

東照宮参拝の表参道停留所へは、10分余り。
バス停を降り、いざ杉木立の厳かな参道を上り始めた。

お宮でありながら、仁王様が睨みつける山門をくぐり、まずは神厩舎で「三猿」を観賞。
こちらも修復を終えたばかりの、色鮮やかな彫刻美に見惚れた。

そして、人の一生を猿になぞらえ、小猿が大人になる間の様々な先人の教訓に想いを馳せ、車掌見習の成長にも重ね、参考及び留意しようと思った。

歩を進めると、陽明門が視界に入った。
前回訪れた際、素晴らしい建築物であるが、その色合いはくすんで見えた。
しかしながら、修復後の陽明門はまさに神々しく、絢爛豪華な美しさを目に映らせた。

他の参拝者は一様に、写真に自身を収めることに気をとられているが、車掌長はカメラすらないので、しっかりとこの目に焼き付け、しばし心を奪われるように、その彫刻美に見入ってしまった。

陽明門を潜り、右手へ進むと、家康公の墓がある奥宮へ向かう入口となる、東回廊の坂下門があり、そこに「眠り猫」が彫られ、これより先の神域を守護しているようであった。

いつも、この先に行きたかったが、なかなか来れず、齢(よわい)五十にして、初訪問。

神秘的な木立の中に設(しつら)えた、石畳に歴史を感じながら歩みを進め、最後に急な石段が現れるが、二百段余りの一段一段が、どれも一枚の石で作られているのだから、圧巻であり、登りやすい。

いよいよ、宝塔(墓)に手向け、車掌長の長年の目的を成すことができた。

帰りがけ、本殿を参拝し、鳴き龍が有名な薬師堂も立ち寄れた。
平成3年以降、龍の下で手を叩くことができなくなったそうだが、車掌長は手で叩いた記憶の時期と合致せず、自身の勘違いということで丸く収めた。

天井に描かれた龍の真下でのみ、拍子木で叩くと、澄み渡った音の響きと余韻に浸れた。

駆け足ながらも、充実した東照宮参拝を終え、再びバス停へ戻り、15時前に東武日光駅到着。
帰りは、JR直通のスペーシアきぬがわで、新宿へと向かった。

突発的なショートトリップであったが、車掌長の心は充分に満たされ、新たな年を迎える英気を養えたように思えた。

往路乗車のリバティは軽快な走りであったが、復路乗車のスペーシアは、1990年(平成2年)の営業運転から30年近くが経ち、まさに「平成」を駆け抜けた車両である。

今回、頑張って走るそのモーター音が、車掌長自身に発破をかけてくれているようにも聴こえ、何か不思議な力も授かったような感覚があった。

末筆ながら、東照宮の「平成の大修復」はまだ数か所で進行中であった。
そして、その完了は平成31年3月31日とあった…

着工した当初は、まだ改元のことなど話題にもなっていなかったと思うが、「平成」の終わりとともに、全ての修復も名実ともに完了することは、偶然とはいえ、何か「神業」を感じてしまった。

車掌長も「平成最後」の年の瀬を、このような形で過ごせ、有難く思った次第である。
 

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