GALAXY FLIGHT

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2014年6月 3日 21:19

GALAXY EXPRESS 999 は、車掌長がこよなく愛する夢の列車だ。

決して乗ることはできないが、TVや映画で観たり、その余韻の延長にある永遠の旅路のロマンに憑(と)りつかれてしまう…

列車ではないが、今夏、日本の夜空に「GALAXY FLIGHT」が運航される。

航空会社:全日空
行先:沖縄(那覇)
便名:ANA999
出発時間:零時

夏の繁忙期に、通常は深夜貨物便として飛ばしている機材を旅客扱いし、運賃を安くするというカラクリだが、その名称や便名は、車掌長の琴線に触れてしまった。

もう既に、満席の日も多いようだが、かつて1960年代~70年代に飛んでいた、飛行機の深夜便を体験できるのは貴重だ。
その当時の便名には「ムーンライト」や「オーロラ」、「ポールスター」という、魅力的なネーミングが付けられていた。

ちなみにこのGALAXY FLIGHT、復路はANA1000便として東京へ向かう。
1000便よりはダントツに、999便の方が痺(しび)れてしまう…
 

 

ジャンボジェット旅客機引退

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2014年3月24日 05:45

3月31日月曜日、ANAの羽田~沖縄線で唯一の満席便がある。

那覇12:35発のANA126便。
この便が日本のジャンボジェット旅客機のラストフライトであることを、ご存知の方も多いであろう。

ボーイング747は通称「ジャンボ」と呼ばれ、多くの人々に愛され親しまれてきた。
車掌長も数ある飛行機の中で、YS-11と並び大好きな機種だ。

車掌長が初めて飛行機に乗ったのは、高校2年の修学旅行であった。
鉄道好きが災いしたり、そもそもまだ航空運賃が高い時代背景もあり、搭乗デビューは遅かった。
そして、その時の機種こそがジャンボであった。

その時の記憶はいまだ鮮明だ。
横に3-4-3の座席配列の中央4席を、仲の良かった悪友と陣取り、離陸に向け興奮したのを覚えている。
その顔ぶれもみな飛行機が初めてであり、うち2名が吉川晃司の大ファンで、離陸の際は、当時流行っていた「You Gatta Chance」と決まっていた。

誘導路から滑走路へと機体は進み、カセットテープで聴くウォークマンを仲良く片耳ずつ分け合って、「初離陸」の瞬間を堪能した。

加速時に体が背もたれに押し付けられるようなGとは裏腹に、地上を蹴って飛び上がった瞬間が意外にあっけなかった印象がある。

しかしながら、生まれて初めて乗り物で地上を離れた感動は、今も色褪せることはない…

あれから、飛行機に乗る機会は幾度も訪れ、最盛期は仕事の出張やプライベートで年間70回(片道ベース)以上を、数年間乗ったクレイジーな時期もあった。

当時は座席指定など自分でできない時代であったが、予約時にオペレーターに座席番号で希望席を指名し、ひとときの雲上の旅を満喫した。

その際、ジャンボに乗る時は2階席の最前列、もしくは階段を昇りきってすぐの独立したような2席の窓側が「指定席」であった。この席は脇に荷物収容のボックスがあり、着陸後もスムーズに降りられるのが魅力であった。
それは確か89ABだったように記憶している。

ところで、このジャンボジェット機は、機体にクジラや海の生き物の絵を施した「マリンジャンボ」として、子ども達に空への夢も与えてくれた。

当時、公募で選ばれたお子さんの絵が採用されたものだが、そのANAの企画発案の柔軟性と、その産物であるクジラが空を飛ぶ姿には心から感動したことを覚えている。

他にもジャンボにはいくつも想い出はあるが、このたびの引退をつくづく残念に思いつつ、これまでの大活躍を労いたい。
どうもありがとう…

今後は、引退を見越して昨年購入した1/400及び1/500のディスプレイモデルで、その美しも飽きのこないスタイルを眺めながら、往年の時間旅行をともに楽しみたい。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年3月25日 01:32投稿)

こんばんは
皆様の夜間飛行のお供をするパイロットは私、希望者挙手です(ジェットストリーム風に・・・笑)

ジャンボもラストフライトとは、寂しいですね。

私は国際線に乗ると必ずしていたことがあります。
それは、CA(当時はスチュワーデスですね)さんに、ポストカードとレターセットを頂いて手紙を書くことです。
これまで頂いたポストカードは大事にしまってあり、ジャンボはもちろんMD11もありますよ。

私はポケモンジェットで苦い思い出があります。
大阪に住んでいた頃、家族で九州へ飛行機で旅行へ行くことにし、娘たちの飛行機デビューのためにポケモンジェットを指定したのですが、トラブルのため機材変更となりポケモンジェットに乗れませんでした。

それでも(敢えて)スチュワーデスさんは娘たちにポケモンのおもちゃをプレゼントしてくれて、楽しい初フライトとなりました。まあ、乗ってしまえば、機体のデザインもわかりませんし(笑

私も家内とハワイで結婚式を挙げた際に乗った「リゾッチャ」のミニチュアを眺めて時間旅行を楽しんでおりますよ(笑

車掌長さんからのコメント(2014年3月25日 05:28投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

「ジェットストリーム風」とは、なかなか粋なご登場で嬉しいです!

ポストカードとレターセット、確かに機内で頂けるグッズですネ。
国際線は飛行時間も長く、普段とは異なる非日常な時間・空間ですので、多少窮屈であったり揺れもありますが、葉書や手紙を書くということに共感します。

最近は世知辛いご時世のため定かではありませんが、一昔前は書いた葉書や手紙をスチュワーデスさんに託すと、切手を持っていなくても空港到着後に切手を貼って下さり投函までしてくれたように記憶しています。

ところで、ポケモンジェットのエピソード、苦くも想い出深いものですネ。

マリンジャンボやポケモンジェットの素晴らしいところは、特殊フィルムのラッピングではなく「塗装」であることです。

マリンジャンボは新造機であったため、始めから航空機メーカー側による全面塗装ですし、ポケモンジェットは、ANAの機体工場で通常4色の全日空機を、27色の塗料を使ってペイントしているそうです。

全面塗装はあれだけの機体の大きさになれば、ペンキ分の重量も馬鹿にならず、当然燃費にも影響するため、アメリカン航空やジャルカーゴなど、ほぼ無塗装のエアラインもありました。

しかしながら、一生の想い出にもなりうる「夢」の塗装コストについては、いつまでも寛大であり続けてほしいと願うばかりです。

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南極観測船

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年11月10日 21:22

今年も南極に向けて観測船「しらせ」が晴海埠頭を出航する。
今回が第54次の観測隊は、空路でオーストラリアへ移動。そこから「しらせ」に合流し乗り込むそうだ。

車掌長はちょうど1年前、TBS開局60周年記念番組として放映されたTVドラマ「南極大陸」を見ていた。
敗戦国日本が、国際地球観測年に向けた世界的な南極観測において、戦勝国を驚かせる観測結果を持ち帰った功績と、観測の大切なパートナーだった樺太犬たちとの絆をテーマにした話だった。

1956年11月、第1次観測隊が「宗谷」に乗り込み、南極大陸に一歩を踏みしめてから50余年…
観測砕氷艦も「宗谷」、「ふじ」、「しらせ」と受け継がれ、しらせは現在2代目だ。

ところで南極観測船と言えば、バンダイの大人の超合金シリーズ5作目が「宗谷」であることを知った。
来年1月の発売予定だが、これも新幹線0系に続いてかなり良い出来のようだ。

さすがに今回は買えないが、日本の一大プロジェクトを担い、世界を圧倒させた感動を部屋にディスプレイできることはとてもロマンがある。
(車掌長はもしも、このシリーズで青函連絡船が出たら迷わず買ってしまうだろう。天賞堂からも出ているが残念ながらバンダイのクオリティには遠く及ばない)

余談だが、わが日本丸は今日の「難局大陸」をどう砕氷し進んでゆくのだろうか?
隊長はコロコロ変わり、結氷した海面で身動き取れない状況にも見て取れる。

比喩としてはふさわしくないかもしれないが、経済も人情も冷え込んだ極寒社会の中、国民を樺太犬のように置き去りにし、犠牲にするようなことだけはやめてもらいたい。

話は戻るが、今回の南極観測は厚い海氷で昭和基地への接岸が困難な状況で、無事に物資を届けられるかが懸案となっているそうだ。

明日からの「しらせ」の航海の無事を、心から祈っている。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2012年11月11日 16:51投稿)

大変ご無沙汰しております。

バンダイと言えば、エクスプローリング・ラボという理工系プラモデルのシリーズから、11月23日に地球深部探査船「ちきゅう」のプラモデルが発売されますが、私はこのシリーズにも興味津々でおります。

最近のバンダイは、どうも私たち世代の心を上手く掴んでくれますね(笑

私は、大人の超合金シリーズの「宗谷」の次回作は「YS-11」ではないかと、勝手に予想したりもしています(笑

私も「南極大陸」観てました。
南極犬と言えば、車掌長の母校のご近所にある東京タワーの真下に、なぜか「南極ではたらいたカラフト犬」の像がありましたね。
調べてみますと、東京タワー開業直後にあのタロー、ジローとの再会があり、この悲劇の教訓から動物愛護のシンボルとして、動物愛護協会が開業直後で注目を集めていた東京タワーの下に作ったそうですね。

車掌長さんからのコメント(2012年11月12日 05:52投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます。

希望者挙手さんの予想「YS-11」がビンゴであってほしいです!
車掌長も戦後日本が初めて旅客機を製造したこの名機が大好きですヨ。

双発ターボプロップエンジンの独特なサウンドが、今も思い出すと胸が高鳴ります。

また、高度4000~5000mからの眺めは地図の上を飛んでいるようで、「ジェット機」では味わえない「プロペラ機」の真骨頂でした。
単なる移動手段ではなく、乗る喜びがありました。
(しかしながら、16列ある座席のうち半分が翼にかかるため、予約の際は必ず前方窓側のリクエストをしていました。)

引退間近の頃、丘珠(札幌)から函館へのフライトをお別れの目的で乗り納めしました。
当時、全日空が全国一律1区間10,000円(離島及び道内は7,000円)の「超割」というバーゲン運賃があり、羽田→那覇→千歳/丘珠→函館→羽田という旅程を楽しみました。
今はなき、かつての国内最長距離便「沖縄~札幌線」では、12月でしたが那覇は25℃、札幌は氷点下2℃で、海外旅行をしたような感覚でした。
この路線もぜひ復活してほしいものです。

ところで、エクスプローリング・ラボは初めて知りました。
希望者挙手さん、ホント色々ご存知ですネ。
またぜひこういう類のものがあれば教えて下さい。

早速、拝見しましたがまさに我々世代を狙い撃ちしたような意匠や意図が心憎いところです。

(追伸)
午後の昼下がり、たまたま別件で調べ物をしていたら、札幌~那覇線が復活していたことを発見しました。
5年ぶりの運航再開で、嬉しかったです。

つい先日の10/28からのようです。
運航はANAで1日1便。
面白いことに、那覇から札幌へ向かう便にはプレミアムクラスの設定がありますが、逆向きにはありませんでした。

それにしてもこの便であれば、ユーミンの「サーフ天国 スキー天国」も、1回の国内旅行で叶えられそうですネ。

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夜間飛行

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年9月11日 21:41

午前0時
羽田空港から那覇空港へ飛ぶ定期貨物便が、物流各社から脚光を浴びているそうだ。

この貨物便のダイヤは羽田0:00発、那覇2:35着。
これは本土から沖縄本島や離島各地へ、速く品物が届く話ではない。

那覇から国際便に積み替えて、アジア各地へ現地時間の朝に品物が到着し、午前中もしくは同日中に品物が家庭や会社に届けられてしまうのだ。
そんな、国内感覚の宅急便(クール便も)が、今年度中にもお目見えするのだという。

具体的には、例えば上海なら4:25着、香港6:50着、バンコクには11:25着(いずれも現地時間)。
この時間的なマジックを実現させたのは、那覇がアジア主要都市へ4時間以内という距離と、迅速な通関体制の整備、深夜の発着可能が功を奏し、那覇が国際物流の新たなハブ空港になったことが挙げられる。

それにしても、国内でも翌日には時間指定で荷物が届くことをスゴイと思っていたが、海外ともなると自分の感覚が追いつかない。

確かに一般的には便利で結構な話だが、「時は金なり」の対価がきちんと受け取れ、そこに従事する人々にも見合った報酬がなければ、この高価値のサービスがいずれ「あたりまえ」のことになるのが心配だ…

話は変わるが、午前0時に離陸する別便がもう1つある。
FM TOKYOの「ジェット・ストリーム」だ。

今年45周年を迎えた長寿番組であり、初代機長の城達也さんのナレーションがとても魅力的だった。
ジェット機の飛び立つ音で始まり、「夜の静寂(しじま)のなんと饒舌(じょうぜつ)なことでしょうか…」のオープニング。

一日の終わりに、静かに「夜間飛行」へ誘う上質な番組だ。
最近は全く聴かないが、大沢たかおさんが5代目の機長だそうだ。

物流におけるアジア諸国へのビジネスチャンスを担うフライトと、人々を夢路へ誘うフライト。

どちらも午前0時がdeparture time…
 

旅の安全を願う

カテゴリー:②番線:航空、船舶、バス方面 2012年5月 3日 05:55

GW初日、痛ましく赦(ゆる)せない悲劇の事故が起きた。
これは「人災」である。

目的地に向かう眠りの中で、そのまま逝ってしまわれた方々のご冥福を心から祈る。
また、大切な人を「奪われた」方々の悲しみや怒りは計り知れない。

車掌長も知人と後輩を夜行バスの事故で2名失っている。
一つは大学のスキー行事の際に、長野県で早朝の凍てつく川に転落した。
もう一つは東京~名古屋間の夜行高速バス乗車中の追突事故であった。
2つめの事故後、車掌長は夜行バスには乗らなくなった。

世の中「競争社会」だという。
だが、その「競争」とは一体何であろうかと疑問を抱く。
特に、今回の人災の背景にあった「価格競争」は、輸送機関が最も尊ぶべき「人命」を犠牲にしてしまった。
人の命を奪うような原因を生み出す競争など、絶対にあってはならない。

長引く不況で「安さ」が消費者や利用者から支持されるのは重々承知している。
今回、北陸から東京方面へ移動する手段として「ツアーバス」を選んだ方々は責められない。

だが、今後は北陸~首都圏を繁忙期に3,000円台で移動できる「からくり」が露呈したように、他の区間の価格や運行体制などにも注視し、あまりに「安い」のは何かリスクがあると認識せざるを得ない。

「価格競争」「過当競争」というものは、採算割れの仕事であっても、稼動しないと運転資金が回らない、雇用を維持できないという理由で日常的に受注されているようだ。

企画側の旅行会社も、集客の決め手である「価格」にインパクトを与えるため、更なる値引きを要請するという。
しかしながら、その安さには必ず限界があり、その一線を越えた「価格」にはリスクが潜んでいることを忘れてはならない。

近年、総務省が行った夜行バス運転手のアンケート調査で、9割を超える人が「睡魔」によるヒヤリとした体験があることを浮き彫りにした。

また、今回の事故後、多くの運転手が自分たちの置かれている労働環境の不安や待遇の不満を訴え、「自分の家族はツアーバスに乗せたくない」という本音も新聞記事にあった。
そんなツアーバスが、夜間の日本中の高速道路を走っていると考えると恐ろしい実態だ。

車掌長は、全国に際限なく延びる高速道路が夜行バス路線を発達させたことに異論はないが、せめて鉄道との共存があってほしいと願う。
今回の北陸~首都圏間は2年前に寝台特急「北陸」や夜行急行「能登」が廃止となり、その後「能登」が臨時列車として週末や繁忙期に運行していたが、今冬で臨時運行さえも周知されることなく終了してしまった。

1本の夜行列車を走らせるコストは確かにバスより高いかもしれない。
また、JR発足後は他社間をまたがって運行する際は、運賃料金収入も分断され利益が出ずらいとも聞く。

だが、鉄道には多くの人やシステムがあり、安全運行を昼夜支えている。
「夜行」という、本来眠っている間に安全に目的地へ着ける当たり前のことに、不安を抱かせた今回のバス人災によって、「夜行列車」の社会的価値を、今一度再考してもらいたい。

その際「採算」「効率」は他でカバーし、社会的、公共性の視点から夜行列車という選択肢の復活を願いたい。