花の日に願う

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年4月 8日 05:24

本来であれば、一年で最も忙しい4月だが、今年は違う…

そう、コロナウイルス感染症の影響で、ことごとく予定されていた仕事が日延べとなり、異例の内勤が続き、その後処理に追われているが、本来の仕事で稼働したことに比べれば忙殺されるほどの内容ではない。

しかも、その内勤でさえ、3月中旬から始まったこの騒ぎに関わる事務仕事も、先週で概ね収束し、いまは時折入る、今後に向けた連絡や調整を行っている程度であるが、小さな組織ゆえ、誰かが出社して担わざるを得ない。

昨日、緊急事態宣言なるものが発令された。

それより前、都知事が「ロックダウン」という仰々しくも聞きなれない単語を発言したが、その印象もあってか、一体、どういう状況になるか、該当エリアに居住するものとして関心が高かった。

発令後、次第にその様相が明らかになるのであろうが、現時点で知りえる範囲では、生活環境が劇的に変化を強いられるものではなさそうだ。

ただ、ただ、外出を自粛せよ、という意味合いが強まったように受け止めている。

しかしながら、仕事のために通勤電車に乗らなくてはならない身においては、その要請は儚く、虚しくその笛の音は響くし、趣旨と現実社会や生活実態との乖離、首尾の一貫性の無さに戸惑うというか、呆れてもしまう…

テレワークが可能な大企業に勤める御方はまだ恵まれているが、そうでない人が圧倒的にこの国には多いことを、この国の偉い方々はリアルに見えていない、可視化できていないのだろう。

また、TVニュース等のメディアに登場する、「街頭の声」として現れる一般人も、他人事のようにコメントをする人をあえて抽出しているのか、本当に困窮している「声」は拾えていないように画面に映る。

もっと、インパクトをもって怒っている人や、困っている人もいると思うのだが、そういう人の映像や声は、もしかしたら誰かにとって都合が悪いのかもしれない…と穿(うが)ってしまう。

本来、休業補償や給与補償とセットで、一貫性を持った「要請」でなければ、それこそ「命を守る」ための基盤である「生活を守る」ため、人々は働きに外へ出ざるを得ない。

コロナウイルス感染症に罹患して「命」を失う前に、生活ができずに自ら「命」を絶つ、失う、脅かされる人の出現も合わせて心配になってしまう。

今日は花の日、お釈迦様の誕生日。
祖母は生前、毎年この日の前日、車掌長宅に前泊し、近所の御薬師様にお参りに来ていた。

百歳となる1か月足らず前に他界したが、白寿(99歳)の大往生であった。
そんな祖母に、この世の安寧を願い、手を手向けた朝であった。
 

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