17歳

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2020年3月15日 05:15

最近、高速道路で遠出をした際、森高千里さんの「17歳」を不意に聴いた。

カー・オーディオのハードディスクに入っていたものが、ランダムに流れただけのことだったが、繰り返される「♪私はいま 生きている」のフレーズが、やけに耳に残った。

ほぼ、時を同じくして、最近探しものをしていた際、17歳の時の車掌長の写真が出てきた。

35年前の自分に図らずもの再会…
粋がって背伸びした服装や髪形が、懐かしくもあり、滑稽でもあった。

鉄道研究部に所属し、末期の国鉄時代の鉄道旅行を謳歌している時であった。
そして、まさに今頃の時季に、クラスメイトの男5人組で13泊14日の北海道旅行に出かけたことを思い出した。

ふと、懐かしくなり、大切に保存している当時作成の手書きの「行程表」を見た。
今は自分でも読めない字を書く車掌長だが、17歳の自分が書いた字は他人の書いた字のように綺麗で読みやすく、昔の自分に感心した。(笑)

1985年3月8日(金)、乗車列車は上野発の夜行列車となる急行「八甲田」。
19:10発だが自由席のため、2時間以上前から一夜の座席確保のため並んだようだ。

翌朝、青森駅到着後、今は無き青函連絡船で渡道。
甲板上で寒く荒涼とした海を見つめ、「津軽海峡冬景色」を口ずさんだのを思い出す。

以降の行程は省くが、35年前の今日となる3月15日(金)はサロマ湖に居たことが判明。
そして、この旅行の宿泊の大半は、YH(ユースホステル)利用だったが、3/14のホワイトデーにこのYHで企画された氷上運動会に参加したのを思い出した。

その参加者は自分たち以外は皆大学生で、大学生の自由な姿に漠とした憧れを抱いた。

そして、3月15日はサロマ湖から富良野への移動日となっており、旭川駅では途中下車し、荷物をコインロッカーに入れて旭川ラーメンの「蜂屋」で昼食と書かれていた。

富良野もYH泊だが、ここで3泊し、スキー三昧の日々を過ごした。
当時、「北の国から」というドラマで注目を集め始めていた町だが、今でいう「聖地巡り」をしたのが懐かしい…

「北時計」という喫茶店にも行ったのだが、YHで知り合った女子大学生の御方たちと行き、そのうちの御一人とは、旅行後もしばらくの間、文通を続ける仲となり、いまも年に一度、年賀状を交わす間柄が続いている。

車掌長自身が大学生の時、一度だけ再会したが、以降は会うことも写真等で見ることもないが、五つ年上だったので、昔の思い出のままでいる方が、お互いに良いのかもしれない…

行程表の最後は、旅の費用も書かれており、YH10泊(2食付)で27,050円とあった。
また、持ち物リストには、UNOやトランプと記されており、娯楽の少なかった時代だったけれど、むしろ、その方が今よりも楽しかったようにも思う…

さらに、レターセットという名目もあり、そういえば、旅先で手紙を書くなんてことも、していたんだなぁ…と、忘れかけていた、何か大切な時間の過ごし方を思い出した気がした。

そんな懐かしくも、ある意味、幼気(いたいけ)な17歳の自分との再会ができた時間旅行だったが、そんなことを懐かしめるのも、冒頭の歌の歌詞ではないが、「私はいま 生きている」からに他ならない。
 

 

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