進年を、美しき時の調べの中で

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2021年1月 5日 17:01

進年、明けましておめでとうございます。

「進年」は打ち間違いではなく、元日の新聞で見かけた某企業広告で使われていたもので、何かストレートに胸に沁み入るメッセージ性の言霊があり、車掌長も使いたくなった。

それはきっと、昨年一年間があまりに、何もかもが停滞した虚無感からかもしれない。

話は変わり、教え子たちから届く年賀状を見て、ハッとするものがあった。
彼ら、彼女らの歳も40代後半になっていたことだ。

自分の歳はわかっているつもりでも、自分自身が30年近く前に教えていた子たちが、そんな歳になり、その子どもたちも中学生や高校生になったことを知ると、あらためて車掌長自身の歳を正確に再認識してしまう…

そして、縁起でもないが、良い意味で前向きに考えると、明らかに今まで生きた時間よりも、今後残された時間の方が短いことに気づく。

ならば、その残り時間を有意義に過ごすことが肝要であると、年の始めに思う。

不思議な感覚だが、1年365日のどこかに、自身が生涯を終える日が必ずある。
毎年、毎年、必然としてあるはずの「その日」を、知らず知らず、無意識に通り過ぎているが、今日か!?今日か!?と、ロシアンルーレットのような緊張感を持って過ごした方がいいのかもしれない…

しかしながら、それはあまりに合理的でないし、それに縛られて日々を怯えて委縮して生きるのももったいない…
結果として、あぁ「この日」が自分の最期だったのだと、そのとき、わかれば良いだけのことなのかもしれない。

昨年、降って湧いたようにコロナという外来物が、世を席巻した。
車掌長もそうだが、そんなときに、人々はふと、思いがけないことを思い出すのかもしれない。

車掌長も、二十代の頃、時を隔てて二度、或る占いをしてもらったことがあり、そのことを思い出した。

占いなど全く信じていなかった人間だが、興味本位で日本と海外で占ってもらったが、奇遇にもどちらも共通して、五十歳台半ばの先が見えない…とのことだった。

その結果が、間もなく近づいてくる…
ちなみに、五十台初めまでのことは、概ね双方とも当っていた。
それだけに、少々気にかけている…

ただ、その占ってもらった結果は間違いなく「変えられない過去にみてもらった未来」ではあるが、それに縛られすぎると、「本来は変えられるはずの未来」が変えられなくなってしまわないだろうか…

奇(く)しくも、年末に車掌見習にせがまれて一緒に観た映画「ドラえもん」は、未来を変えるために、過去の「のび太」に寄り添い、しずかちゃんと無事に結婚することができた物語であった。

「変えられるはずの未来」…
それは、「過去に知った未来」どおりにならないために、努力したり、気を付けることなのではないだろうか…

そんな心持ちで、新たな年を過してみようと思う。
そして、それはできれば、美しき時の調べの中で…

依然としてコロナ禍ではあるが、人に喜ばれたり、人にサプライズをしたり…
また、今までにお世話になった方々へ、あらためてお会いしお礼ができれば…とも思う。
念のため、早めに。

末筆ながら、皆様におかれましても、どうぞ良い年でありますように…

 

 

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