E4系MAXお別れ乗車と感動の再会

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2021年9月22日 05:22

秋晴れの三連休最終日、車掌見習の誕生祝いに恒例の「鉄博」へ行った。

往路は10月1日を以って定期運行を終了する、E4系MAXのお別れ乗車をした。
東京駅9:28発の列車であったが、自由席ゆえ、念のため30分ほど前に乗車口に並んだ。
列先頭から8人目くらいであり、大半は親子連れであった。

次第に列も延び、ホーム上も人が増え、明らかにMAX目的の賑わい…
清掃終了後、無事に2階席に座れ安堵したが、車内は1階席も含め満席状態であった。

大宮までの25分ほどは、車掌見習もお別れを意識して車内のE4系の特徴をカメラに収めていた。
これで新幹線の2階建て車両は全て引退…
思えば、東海道新幹線100系デビュー時、車掌長もまだ学生だったが、その高い目線から車窓を眺めるのが大好きであった。

鉄道博物館は入館が予約制となり、混雑もなく、ゆったりと見学することができた。
本館から南館を見て、再び本館へ戻ろうとしたとき、高い所から呼びかけてくれる声を耳にした。

声の御主は、エスカレーターから降りてくる親子であったが、そのおふたりに吃驚!
こちらも思わず、驚嘆の声を上げてしまった…

今春、カシオペア乗車の際、車掌見習と仲良くなり、ツアー中も他の子と一緒になって楽しく過ごさせてもらった、ひとつ年上のお兄ちゃんと母上であった。

聞けば、鉄博のイベントでEF64を屋外展示することを知り、訪れたとのこと。
そこからは、子ども同士で鉄話で盛り上がって館内を巡り、大人もそれに付いてゆく流れで行動を共にした。

また、つくづく、その不思議なご縁に改めて驚きと喜びを感じながら、専務車掌も母上も「ママ鉄」同士で近況などを話し交歓を楽しんだ。

双方、元々鉄道趣味は皆無であったが、子どもの「鉄オタ」に付き合わされ、だいぶ鉄分が増えてきたという同じ境遇も、話題に事欠かないようであった。

また、母上はお話を伺う中で飛行機好き、いわゆる「空美さん」であることも判明!
当車掌区所属員は、鉄道以外の乗り物も好きなので、色々お話が広がりそうで楽しみが増えた。

車掌長は、車掌見習が通う学校やクラス以外での交友関係を歓迎する。
しかも、同じ趣味同士であれば、クラスメイトに「テツ」はいないようなので、普段できない同好の話も思う存分できるし、狭いクラスの人間関係が全てではないことも実感できる。

学校での勉強はもちろん大切だが、今後生きてゆく上で「趣味」や「好きなこと」を持ち続けることは、何か困難な境遇があった際、それらが自分を助けてくれることも、経験上知っている。

今後とも、末永くお付き合いできることを願い、鉄博を後にした。
 

コメント(6件)

きのたくさんからのコメント(2021年9月28日 21:09投稿)

はじめまして。アーカイブから飛んできました。
私も正則→90年福祉大2部入学の乗り鉄です。
一応在来線26000Kmは全線踏破しました。
国鉄時代の時刻表を幾らか所有していますので、資料等入り用でしたら、ご連絡下さい。

車掌長さんからのコメント(2021年9月29日 04:32投稿)

きのたく様

このたびは、「哲×鉄」にご乗車いただき、誠にありがとうござました。

アーカイブは各駅(各月号の読みどころ)の工事中ですが、今後もゆっくりながら進めてまいりますので、時折、御覧いただければ幸いです。

国鉄時代の時刻表もご所有とのこと。
大変不躾ではございますが、いつ頃(年代)のものをお持ちでしょうか。

もし、当方に無いものでしたら、お問い合わせさせていただきたく存じます。

それにいたしましても、高校のみならず大学も出身校が同じという御方には、初めて出会い、大変驚きました。

ぜひ、機会がありましたら、お会いいたしたく存じます。

また、在来線の全線踏破も、素晴らしい功績ですね!
いまは廃線になってしまった線区も、相当含まれていることとお察しいたします。

大変貴重な「想い出」だと思います。

末筆ながら、今後ますます、きのたく様の「乗り鉄」のご活躍をご祈念申し上げます。

取り急ぎ、「哲×鉄」ご乗車のお礼まで

きのたくさんからのコメント(2021年9月29日 15:26投稿)

国鉄の時刻表は1985年から87年のものですね。
あとは1970年代の鉄道ピクトアルなどの雑誌もあります。
バラしてある本はありませんが、片面であれば、ご指定の路線をスキャニングして画像でお送りできます。
また、メアドにご住所等連絡いただければ、ご指定の頃のものを1冊お送りさせていただきます。
ただ保存状況はあまりよくありませんので、その点はご了承ください。

ちなみに日福大では、某うたごえサークルに足かけしていた、学館族でした。

車掌長さんからのコメント(2021年9月30日 04:37投稿)

きのたく様

再度のご乗車、ありがとうございます。
1985~87年と、申されますと、ちょうどきのたく様が正則生になる前後になりますでしょうか…

もしかいたしますと、「鉄研」にもいらしたとか…

某うたごえサークル、お察しがつきます。
「学館」も懐かしい言葉ですネ。

キャンパスも、いまはだいぶ変わったように耳にしますが、あの土地での生活は、何かと人生の糧を得た貴重な時間だったと思います。

また、そんな想い出話もできることを楽しみにしております。

きのたくさんからのコメント(2021年9月30日 06:46投稿)

こんにちは。
87年の分割・民営化時まで、中学生の時のものです。

小学校から一筆書き乗車をはじめ、中学生の時北海道と九州、東北は周遊券のワイド周遊券と冬季割引を駆使して、完全乗車しました。駅で寝袋で寝る生活、当時でいうカニ族ですね。
世代は、ぎりぎり旧客現役世代ですね。常磐線にも上野発仙台行きの旧客列車がまだ残っていました。
思い出は、普通夜行寝台「山陰」に乗れたことですね。12系+10系ハネだったと思います。

高校の時はC顧問のルポ部(旧学習クラブ)とPG顧問のアマチュア無線同好会でした。
毎日のように汐留に通い、日々解体されていく汐留の記録もどこかにあるはずなので、もし出てきたら、ご紹介させていただければと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

車掌長さんからのコメント(2021年10月 2日 05:45投稿)

きのたく様

旧型客車…車掌長もその素晴らしき旅情を求めて、「乗り鉄」していました。

想い出深いのは、門司から福知山まで、当時の最長距離鈍行列車”824”に乗ったことです。

日本全国が国鉄という、ひとつの鉄路で結ばれていた頃は、「一筆書き」切符の旅も楽しかったですネ。

いまや、新たな新幹線が開通するたび、第三セクター化され、もはやそのようなキップの旅の醍醐味は無くなってしまいました。

また、かつての在来線特急が駆け抜けた「本線」も、見る姿もなく、ローカル線化してしまったのは、日本の鉄道の「宝」を失ったような寂しさを覚えます。

これは感傷に浸る意味合いだけでなく、災害時等の非常事態における物資輸送等で、スムーズに有効な路線網を運用できず、支障を来す予感もいたします…

いずれにいたしましても、同じような時代に鉄道旅行の醍醐味を体験した者同士、「鉄話」ができることを楽しみにしております。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

6件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!

コメントはこちらからお願いします

名前

電子メール

コメント