薫風
カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2013年5月28日 04:26
一昨日、敷島公園のバラが見頃と知り、専務車掌と車掌見習と出かけてみた。
敷島公園は群馬県前橋市にあり、松の生い茂る広大な敷地の一角にばら園がある。
混雑することがわかっていたので、朝早く家を出て8時前には無事に正門駐車場に入ることができた。
お天気にも恵まれ、朝の少しヒンヤリする空気が清々しかった。
園内に入ると様々な品種のバラが咲き誇っていた。
風が吹けばバラの良い香りが漂い、なんとも心地良い穏やかな気分になった。
車掌長はバラと言うと、キャンディキャンディの「アンソニー」を想い出す。
子どもの頃によく見たアニメだが、アンソニーはバラを愛し、丹精込めて育てる心優しい少年。
キャンディとアンソニーとの出会いもバラ園だった。
ニールとイライザに意地悪され、バラ園で泣いていた際に「泣いている顔より、笑っている顔の方がかわいいよ」と優しく言われた。
折しもその言葉はキャンディが幼い頃、憧れの「丘の上の王子様」にかけてもらった言葉とも一緒だった。
やがて、容姿も似ていたアンソニーに心を惹かれてゆく物語の始まりだった。
話が脱線して恐縮だが、再放送も含め何度も見た好きなアニメの場面を思い出し綴ってしまった。
キャンディと言えば、エンディングに流れる「あしたがすき」という曲も良い。
♪あしたはどこから生まれてくるの わたしはあしたが あしたが好き
素敵なことがありそうで わたしはあしたが あしたが好き
キラキラ光る風の向こうで あのひとがわたしを わたしを呼んでいる
当時、山口百恵の「いい日旅立ち」という曲も流行っていたが、「日本のどこかで私を待ってる人がいる」というフレーズに、子ども心ながらに"出逢い"への不思議な憧れを抱いたものだった。
早朝の敷島公園のバラの薫風が、そんな遠い記憶を呼び覚ませてくれた。
ふと、現(うつつ)の我に戻れば、専務車掌と車掌見習の笑顔
この出逢いに感謝…
春一番
カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2013年3月 1日 21:27
気象庁は本日、関東地方などで「春一番」が吹いたと発表した。
暦に合わせたように、三月初日に春一番とは、季節もなかなか心憎い演出をしてくれたものだ。
昨年は吹かずじまいであったから、今回は久々に季節感があって不思議とウキウキしてくる。
特に、今年は寒さが厳しかっただけに、「春」を待ち侘びる人はきっと多いことだろう。
ところで、春一番と言って車掌長が思い出すのは「微笑みがえし」。
そう、キャンディーズ引退のラストシングルであり、車掌長はこの曲(歌詞)が大好きだ。
♪春一番が 掃除したてのサッシの窓に
ほこりの渦を 躍らせてます
冬の間、寒くて開けることもなかったであろう部屋の窓…
別れの春の時を迎え、
窓を開け放った瞬間に、
春一番が過去の時間を、シャッフルした悪戯のようにも思える光景だ。
車掌長がこの曲の歌詞で最も好きな部分は、ここだ。
♪アンドゥトロワ 三歩目からは
アンドゥトロワ それぞれの道
わたしたち 歩いて行くんですね
歩いて行くんですね
人の出逢いには、しばしば枝別れがある…
別れ方にもよるが、それは概ね悲しさや寂しさが募るものであろう。
しかしながら、車掌長は悲しみよりも、その出逢いや共に過ごした時間に感謝したいと考える。
また、枝分かれした行く末の幸せや成功を祈っている。
そして、これもいつか必ず訪れる「己との別れ」の時、
そんな最期に、自分との出逢いに感謝できるような…
こんな自分と共に過ごした時間が楽しかったなぁと、「微笑みがえし」ができるような生き方をしてゆきたい。
3000年の時を超えて
カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2012年10月21日 18:22
今宵、オリオン座流星群が夜空を駆け巡る。
この流星群は国立天文台のHPによれば、約3000年前にハレー彗星から放出された塵とのこと。
お天気が良ければ、3000年の時を超えたロマンに浸れるかもしれない。
ところで、ハレー彗星といえば1986年に地球に最接近したことが記憶にある。
この年は正則高校を卒業した年であり、卒業アルバムにもその妖艶かつ華麗な写真が裏表紙にある。
ハレー彗星は約76年周期だから、次回お目にかかれるのは2061~62年だろうか…
ハレー彗星のように、一定の周期で巡り逢えるのもロマンチックで素敵だが、日常の身近にあり、かつ、ブレない星もカッコイイ。
車掌長が好きなのは北極星だ。
北極星は地球から見ると天の北極に位置するため、不動の星と言える。
故に、古来から天測航行の目印となった。
北極星を地平線から見上げた角度は、いま自分の居る土地の緯度に等しいことも心強い指標だ。
時に今日、国内も海外も政治・経済ともに激動の世の中であるが、北極星のような確かな己の指標を持ち得たいと車掌長は考える。
その北極星たるものを探し出せれば、道に迷った際の軌道修正も容易だ。
では、その自分自身の北極星とも言える大切なものは何であろうか…
秋の夜長、車掌見習の育成に慣れぬ深夜業務に勤(いそ)しみつつ、そんなことを考えてみるのも一興だ。
蝉しぐれに想う
カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2012年8月25日 06:54
日本の夏の風物詩とも言える蝉しぐれ。
朝から宵の口までシフト勤務のごとく、時間帯によって種類の異なる蝉たちの大合唱が聴こえる。
クマゼミは午前、アブラゼミは午後、夕方はヒグラシ…
猛暑の折、この大合唱にイライラが募ることもしばしば…
しかしながら、蝉の一生を思い出すと、その活動に耳や心を傾けるのも味わい深いものがある。
正確ではないが、蝉の一生を象徴的に表すものとして「幼虫7年、成虫7日」という言い方がある。
つまり、幼虫として土の中で7年もの歳月を過ごし、成虫として地上に出現後、7日という短い時を過ごし生涯を終える…
そう思えば、7年前に幼虫として土中に潜り、今年になって現れた「生」の営みを、単に「ウルサイ」と片づけられない時間旅行的な想いが募る。
7年前の自分と、今の自分。
7年前の社会と、今の社会。
この時の流れの中で、自分や社会が得たものや失ったものは何か?
また、変わったことや変わらないことは何であったか…
人は誰しも、その日その日を生きるのに精一杯だ。
ゆえに、関心ごとも目先のこと、身近なことが中心となって当たり前だ。
だが、たまに、立ち止まり振り返ることも、この先を見据えて生きる上では大切なことだと思う。
歴史も未来も、全てが連綿とした「時の道」の上に存在する。
特に、隣国が突発的に起こした出来事には、一過性や部分的な感情で左右されない冷静さが必要だ。
蝉を引き合いに出しては蝉に申し訳ないが、残り少ない寿命を己の保身のために声高に叫ぶ姿は哀れに映る。
そんな想いを抱いた、晩夏の朝…
文月
カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2012年7月 1日 05:36
文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝(さら)す風習があったからだそうだ。
夏の夜風ほど気持ち良いものはなく、車掌長も大好きな時間だ。
清少納言も枕草子でズバリ「夏は夜」と申している。
7月は、変革の月であったとも言える。
アメリカの独立記念日、フランスの革命記念日がそうだ。
日本では多くの国民の意志に背いて、原発再稼働の「負の変革」の月となりそうだ。
変革と言えば、面白い会社が1つある。
明日7/2から、社内での公用語を完全に「英語」にする会社だ。
「英語公用語化」を表明して2年、いよいよ完全実施とのこと…
この会社の経営者の弁では「日本の大企業は英語ができず、世界のリーダーになれなかった」であった。
私見だが、これは当たっているようで、当たっていない。
今は単に、世界的に使用人口の多い言語が「英語」であって、経済のグローバル化やネット人口の拡大で、たまたま多くの人が使っているにすぎない。
「数が制する」という趣旨で、他社よりも手っ取り早くシェアを確保したいという私欲なら、「英語」を公用化するのも一理あろう。(使用言語の自由を奪われる社員の苦労は計り知れない…)
だが、車掌長とは考え方が違う。
車掌長は日本語ができる外国人を育てる方が、長い目で見たとき、日本の財産になると考える。
例えば、フランスは母語人口は約7,000万人だが、使用人口は約2.2億人とのこと。
日本は母語人口、使用人口とも約1.2億人だ。
この違いに着目したい。
フランスでは随分前から、移民やフランスで働く外国人に対し、仏語習得に国を挙げてバックアップをしているそうだ。
それは仏語がフランス社会にとって、重要な道具だと広く深く認識されているからだろう。
今後40年間で人口が倍増するアフリカで仏語が使われ続けたら、使用人口は6億人になるらしい…
使用人口が増えれば、そこに多くの技術や優秀な人財が集まり、経済が活性化するのは言うまでもない。
日本もぜひ、母語である「日本語」を大切にし、世界中から学びたいと思われる言語になってほしい…
それは日本でしか学べない技術や文化、自然の美しさ、人の魅力、職場があってこそだ。
ところで、日本人は時間をかけて「育むこと」や「教えること」、「楽しむこと」を、いつの間にか忘れたり、ないがしろにするようになってしまったと思う。
そして、世の中が「即戦力」や「即効性」ばかりを求めた結果、自前で「育てる」「教える」力を自ら失い、働く者も本来はもっと他のことに時間を費やすべきだったり、楽しむべきだった「自分の時間」を犠牲にし、翻弄されている。
人間が一人前になるまでの時間や労力を惜しめば、結果的には一会社のことに留まらず、社会全体の損失になるだろう。これは学校教育にも言えることだ。
確かに日本の文化や国民性として、「順応性」は長(た)けているし、それが美徳とされる。
だが、それは見方を変えると「不自由」なことかもしれない。
己を黙して(殺して)、会社組織や集団に合わせようとする真面目さは、言い方を変えると「横並び」からの脱却という、個の意識変革が大切だと痛感する。
ときに、今日の働き盛りの世代が、メンタルヘルスで病んでいる状況を心から憂う。
きっととてつもない仕事のプレッシャーや、無理難題を抱えているのだろう。
気の持ちようで、色々な生き方があることを、旅に出て知ってもらえたらと願う。
時刻表片手に自由な旅出よう!
コメント(2件)
たくちゃんさんからのコメント(2012年7月 2日 06:31投稿)
車掌長の考えに激しく同感です。
様々な考えがあることは理解します。
グローバリズムなんていう言葉があることもわかります。
ベースになる考え方が、どこかにいってやしないかと
思うのは私だけでしょうか。
それは「ナショナリズム」
自国があってこその「世界」
外国に旅をする、ということを突き詰めて考えた場合、
自分が属する国があってこその「外国」であって
人類みな兄弟という考え方があったとしても
自分の生まれ育った国のことを
悪く思う人はいないと思うんですがね。
卑下することなく、驕ることなく
日本人であることを、
噛みしめるように
誇りに思うことは、大切なことだと思うんです。
車掌長さんからのコメント(2012年7月 2日 21:07投稿)
たくちゃん様
毎度ご乗車ありがとうございます。
たくちゃんさんのご意見、車掌長も共感します。
自国あっての海外…
まさにその通りです。
車掌長もこの日本が大好きです。
そして、だからこそこの乗務日誌で、昨今の日本の姿を嘆き、疑問を抱き、このままでは…と、憂うのです。
日本は本来、世界に誇れる国だと信じています。
ただ、「経済優先」で走り続けた弊害が、目に見えてあちこちで支障を来しています。
また、世界的な実態の掴(つか)めない経済の暴走に巻き込まれたまま活力を失い、採算性ばかりを追いかけ「効率的」「画一的」「平面的」な生産及び消費活動へと後退しています。
最近の商品やサービスは、相手が金持ちであることが露骨にわかり、「夢」がありません…
経済あっての生活とよく言われますが、順番がおかしくないでしょうか?
車掌長は1人1人の生活あっての経済活動だと考えます。
そうでなければ、働いても働いても生活が楽にならない矛盾がまかり通ってしまいます。
まして、働けるだけマシなどと思い始めたら、気づかぬうちに自分自身が職を失うトラップに陥るかもしれません。
大切なことは、自分自身や自分の国を大切にして、物欲的な豊かさではなく、少しでも精神的な充足を実感できることだと思うのです。
それは、人と過ごす「時間」であったり、大切な人に会うまでの「時間」などに、喜びや価値を見出すこととも言えます。
そして、その仕掛けや調味料的な役割を果たすのが、旅であったり移動の手段や方法だと思うのです。
なお、その教科書は言うまでもなく「時刻表」です。
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