Santa Claus

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年12月10日 05:02

この時期になると耳にする「クリぼっち」。

世の中、何でも略しすぎて滑稽だが、クリスマスを独りで過ごすことのようだ。
車掌長は、子どもの頃から独りが好きなので、これをポジティブに受け止めてしまう…

ふと気付けば、12月に入り街では色々なクリスマスソングが流れている。
車掌長のお気に入りは30年ほど不動で、山下達郎の「クリスマスイブ」とユーミンの「恋人はサンタクロース」だ。

一方、クリぼっちになりたい時は、「ひとりぼっちのクリスマスイブ」という曲がある。
これは実は副題で、主題は「MIDNIGHT FLIGHT」。
学生時代によく聴いた浜田省吾の曲だ。

この曲は、歌詞の情景が目に浮かぶようで大好きだ。
冒頭、空港で飛行機が飛び立つシーンは秀逸…

そして、今冬はもう1曲好きなものが増えた。

それは、クィーンの「サンク・ゴッド・イッツ・クリスマス」。
秋に希望者挙手さんに戴いた「クィーン詩集完全版」を少しずつ楽しんでいたところ、クリスマスに由来する曲はないか探したら見つけた曲だった。

早速、検索した動画で聴いたみたが、1回聴いただけで心に残る曲となった。

ところで、サンタクロースの存在を、子どもはいつ頃まで信じているのだろうか…

車掌見習は小学1年生だが、今年もお手紙を書いて欲しいものをお願いしている。
こうした微笑ましい光景は、あと何回あるのだろう…

実在しない人物や物事を、子ども自身の想像を膨らませて夢を持てることは、幾つになっても、大人になっても大切にしてほしいと願う…

お恥ずかしいことながら、大人になりきれていない車掌長の心には、いまだサンタクロースは存在している。

もちろん、八十を過ぎた親に何かをねだるお手紙など、したためることは無い。

どんな存在かと言えば、それは思いもしなかった出来事があったり、不意に予想もしないモノをいただいたりしたことがあると、サンタクロースや神様、仏様のように自身の意志では為し得ない御方からのプレゼントなのだと、受け止めている。

そして、歳を重ねた昨今は、車掌長自身が誰かにとって、ささやかながらであっても、そんな存在になれたときに喜びを覚えるようになった。

それは、偶然であっても、意図的なサプライズであっても、何か日常的でない出来事を、車掌長自身も楽しみながら届けたい…

この先の人生、そんなSanta Clausになれるような、歳の取り方をできれば本望だと思う。

追伸
希望者挙手さん、遅ればせながらその節はありがとうございました。
戴いた詩集、少し早いXmasプレゼントになりました。
希望者挙手さんが、中学時代に読んだことを想像しながら楽しみたいと思います。
この場をお借りして御礼申し上げます。

 

榛色の季節

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年11月 1日 05:18

今朝の新聞、或る記事で見慣れない色の表現があった。

榛色と書いて、「はしばみいろ」と読むのだそうだ。
一瞬で、その音に魅かれる想いがした…

「はしばみいろ」とは、どんな色彩なのか…気になり調べてみた。
ヘーゼルナッツの実のような色、柔らかい黄土色、黄色がかかった薄茶色etc

当該記事には、逆光に輝くススキの草地が添えられ、イメージが膨らんだ。
このような色合いを「はしばみ色」とも解釈できるのか…

齢(よわい)、幾つになっても、新たなことを知る喜びは新鮮だ。

車掌長はススキがすきだ。
自身の姓に似ているのも、更に親しみを覚える。

ススキ野原で思い浮かぶ風景は、箱根の「仙石原」や山口県の「秋吉台」。
観光地でなくとも、美しいススキの風景が身近に存在する御方も、日本中に多くいらっしゃることであろう。

日当たりの良い場所に群生する光景は、今の季節、とくに日が傾き始めた頃の黄金色は、ひときわ美しい。

標高の高いところから、紅葉が見頃を迎えているようだ。
その色彩も疑う余地が無いほどに綺麗であり、自然の芸術作だと思う。

ふと、彫刻家ロダンの言葉が頭を過る…
「自然の一切は最も美しい釣り合いをもって建てられている」と。

若い頃、この言葉に出逢い感銘を受けたのを記憶している。

しかしながら、今秋は素直にその言葉が胸に響かず、むしろ「自然の脅威」に胸が痛む思いがしてしまう…

つい、「自然の脅威」としたが、それをもたらしたのは、近年の地球温暖化による気候変動であることは、多くの方が気付いている。

冒頭の「はしばみ」、花言葉を調べてみた。
「仲直り」「和解」「調和」などが並んでいた…

人間も自然との「仲直り」が問われていたり、必要なのだと思う11月幕開けの朝であった。

 

冷房車

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年8月 2日 05:28

半月前の梅雨寒から一転、異常気象による猛暑が今年も列島を襲っている…

いまや、エアコンは命を守るために使用が必須となっている。
熱中症予防のため、就寝中も入れておいた方が良いそうだ。

今朝の新聞、或る記事のくだりで鉄道の冷房について触れていた。
それによると、国鉄で初めて「冷房」が導入されたのは1936年(昭和11)、特急「燕」の食堂車とのことだった。

当時、冷房は展望車(1等車)や食堂車など特別な車両の利用者のみが享受できる、大変贅沢な設備であった。

また、同記事によれば、庶民の通勤電車での初登場は、1970年7月31日の山手線とのこと。
車掌長も子どもの頃、乗った列車が「冷房車」だと、望外な歓びであったことを思い出す。

非冷房車は、窓を開放してホームに入ってくるが、冷房車は窓が閉まっているので、一目で判別できたし、一般家庭にもエアコンが普及していなかったので、その快適空間の印象は殊更であった。

そして、列車の冷房で懐かしいのは、夏休みに新幹線や特急に乗ったとき、あの独特な「冷房の香り」がしたことであった。
 
あえて好意的に「香り」としたが、この臭いの形容は、体験した者でないと上手く伝わらないかもしれない。

油のような…消毒液のような…カビ臭さでもあるような…、換気も充分ではなかったと思うが、それでも蒸し暑い外気とは違う、快適な冷たい空間の懐かしい香りであった。

いまや、地下鉄でも冷房が当たり前となり、快適この上ないが、子どもの頃の普通列車や急行列車の窓を全開にして、首振り扇風機の風にもあたりながら、窓側の小さな物置に付いていた栓抜きで、瓶のコーラやファンタの清涼飲料水を頬張ったことも懐かしく思い出した。

便利、快適な「今」の生活が当たり前になってしまったが、不便であり、快適でもなかったはずの当時を美化してしまうのは、年をとったせいなのであろう…

 

催涙雨

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年7月 7日 05:43

「催涙雨」(さいるいう)…

七夕の日に降る雨を言うが、なんとも切ない文字の組み合わせに思う。
一年に一度、織姫と彦星が出逢うことを許される舞台の天の川…

その舞台の天候が雨の場合、再会は翌年へ順延される。
そんな切ない妄想を地上から見上げた先人たちは、この言葉を作ったのであろうか。

当の御本人はたちは、雨のない宇宙空間で逢瀬を喜びあったかもしれないが…

それは、さておき、七夕というか、7月7日という日に思い出すことがある。
1995年7月7日というとピンとこないが、和暦に直すと「平成7年7月7日」になる日。

そう、車掌長も大好きな、同じ数字が並んだ日であった。
今からもう24年も前になる頃、世の中、殊に就職活動をする学生にとっては、「就職氷河期」という時代の荒波に揉まれた頃であった。

バブルが弾け、一斉に採用を中止または縮小した企業が、多くの学生を露頭に迷わせた。

その当時の雨が、まさに「催涙雨」と言った方が相応(ふさわ)しいように思う…

その頃、車掌長は某専門学校のトラベル学科で教師をしており、その年は就職活動に勤しむ2年生の担任であり、旅行業における国家資格取得の授業をする傍(かたわ)ら、専門学校の生命線でもある「就職指導」もしなければならなかった。

書店では「面接の達人」(メンタツ)なるハウツー本、マニュアル本と呼ばれるものが売れ、その手引きに沿った行動を実現できれば、就職できるかのような妄想を抱かせた時代の幕開けでもあったように回想する…

車掌長も当時は、職務上、そのような媒体を貪(むさぼ)るように読み耽(ふ)け、学生のために模擬面接なども本番さながらに幾度も試みた。

しかしながら、やはり、就職活動をする学生の全員が全員、マニュアル本と同じようなことを真似すれば、採用する側にしてみれば「誰も一緒」と目に映ることに、車掌長も早々に気が付いた。

また、現在もそうだが、紺や黒のリクルートスーツに身を包んだ集団は、まさに烏合の衆だと思った。

そこで、独自のアドバイスを学生にし始めたところ、書類選考や面接をクリアし、「採用」を手にする学生が出始めた。

そして、そのうちの一人が上述の「7」が3つ並んだ日に、内定を勝ち取った。
さらに、その日は彼の誕生日でもあったから、尚更、記憶に刻まれる日となった。

あれから二十数年が経ち、彼もどうしているか定かではない。
そして、世の中は空前の売り手市場とのこと…

就職氷河期を学生とともに闘い、乗り越えた車掌長にとっては、別世界のような状況だ。

しかしながら、その時代に翻弄された人々が40歳代となり、現在も就労や実生活の面で苦労している姿や話を散見すると、学生自身では為す術(なすすべ)も無く、企業も政治も世間も「自己責任」だと突き放した非情さが、車掌長も悔しく思われる。

「就労の自由」という考え方はあるが、「就労の機会」を閉ざされた多くの人々がいたこと、いや、今もいることを忘れてはならない。

そんな記憶を蘇らせた、七夕朝の「催涙雨」であった…

 

立夏

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2019年5月 6日 05:49

暦の上では「立夏」となる今日…

1年を24等分した「二十四節気」の中でも、立春、立夏、立秋、立冬を「四立」(しりゅう)と呼ぶそうだが、車掌長はこの4つが殊のほか、好きだ。

最近は、地球温暖化による気候変動の影響が、四季の移ろいを感じる場面や、それらをふと愛でる瞬間をも薄めつつあるが、それでもこの時季ならではのひとときを楽しめると嬉しくなる。

そんな立夏を迎える先日、天気予報を見ながら、思いつきで小田急ロマンスカーに乗った。

ロマンスカーと言えば、時折、仕事の車中で耳にする、午前10時にFM東京の時報CMで流れるひとときが大好きだ。

正確な文言は覚えていないが、「まもなく10時、小田急ロマンスカー発車のお時間です。新宿から箱根までどうぞごゆっくり」とアナウンスされ、ロマンスカー発車のミュージックフォンが鳴り、「今日、ロマンスカーで」のフレーズで有名な”ロマンスをもう一度”の曲がかかる…

♪あなたはいま この空をみているの

この時報CMを聴くと、ロマンスカーに乗りたくなるから、すっかりやられてしまっている…
そして、遠い日の思い出を手繰(たぐ)るような…そんな感傷に浸ってしまう。

出発時刻は8:20であったが、専務車掌と車掌見習と3人で秦野まで乗車した。

この駅で下車したのは、出雲大社相模分祠を参拝するため。
2月に島根県を訪れた際、美保神社と出雲大社のいわゆる「両参り」をした。

その流れで、次の御朱印も「出雲大社」で繋げたく、今回の分祠(ぶんし)参拝と成った。

今でこそ、大ブームの御朱印だが、車掌長が中学三年の修学旅行を機に始めた頃は、知る人ぞ知るもので、当時の小遣いでは御朱印帳を買えず、B5ノートに大きく認(したた)めて頂いていたが、今では貴重な1冊だ。

無事にお参りした後は、気の早い薫風(くんぷう)に誘われ、小田原城へ行くことにした。

10連休の晴天とあって、結構な人出ではあったが、城址一角にあるこども遊園地のバッテリカーなどに乗って遊んだ。

帰路のロマンスカーまで時間があり、3人で合議した結果、小田原駅の新幹線ホームに行き、「のぞみ」の通過シーンを見ることになった。

同駅ホームは、のぞみが豪快に通過してゆくシーンを堪能するには、ベストと思えるスポットであり、熱海方はトンネル、東京方へは弧を描きながら車体を傾け、待避線に挟まれた本線を疾走する光景を目の当たりにできる。

ホームドアもなく、大人もその走行シーンに見入ってしまう…

30分ほど居ただろうか…
ロマンスカーの発車時刻が迫り、新宿へと向かった。

帰路の車内では、短い旅のひとコマひとコマを、コンパクトカメラの小さなモニターで確認。
その中に、出雲大社境内の竹林で撮った数枚が面白かった。

「竹の子」と言うには、あまりに伸びすぎた黒々した竹が、車掌見習や専務車掌の背丈ほどもあり、やがては周りの大人の青竹のようになるのであろうが、車掌見習の成長に重ねて微笑ましく思えた。

 

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