最新版広辞苑を予約

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 3日 05:37

今朝の新聞で、広辞苑第七版の予約開始を謳う広告が目に入った。

最近、多くの新聞で来年1月に岩波書店が出版する広辞苑が、10年ぶりに改訂されることを伝えていたのは記憶していたが、今日がその予約開始日だと知った。

車掌長は時刻表はもちろんだが、辞書も大好きだ。

辞書との出逢いは、小学4、5年生くらいの時に授業で辞書の使い方を習ったとき、たまたま図書館にいた上級生の図書係の子からも、辞書の引き方を実演で教わったことだった。

そして、その子が「じゃ、○○という言葉の意味を調べたかったら、こうして…」と、無作為の如く辞書を二つに開いたと思ったら、ズバリ、その調べたい言葉が載っている頁を指さした。
その動作に感動しカッコイイと思ったことが、辞書との出逢いであった。

そして、時をおいて車掌長自身が辞書と深く関わるようになったのは中学2年の時。
父が勤める会社の創業35周年記念に、会社から全社員へ「広辞林」を贈呈品として配ったものを父がそのまま車掌長に譲ってくれた。

父の真意は未だ不明だが、時刻表ばかり見てないでこういうものも見ろ、と言いたかったのであろう…

車掌長は、それまで家にあった小さな国語辞典よりも、大きく、分厚く、重い辞書に、大いなる興味を抱き、思い付いた語句を引いては納得し、疑問を持った言葉もなるべく早く調べる癖が付くようになった。

その広辞林は、高校進学時も使い続け、大学生になっても進学先の愛知県に引っ越す際、梱包物にしのばせておいた。
そして、時刻表同様に、暇な時はランダムに色々な言葉を調べ時間を潰すことが多かった。

そんな辞書との出逢いや付き合い方をしてきたが、最近は「辞書を引く」ということから、いささか離れていたように思う…

今回、広辞苑改訂の報に触れ、かつ、ちょうど50歳を迎える節目の年に出版されることも重なり、手に入れたいなぁ…と言う想いが、湧くのを感じた。

よし、高価な買い物だが、価値ある想い出にしよう、と予約することを決めた。

言葉の海に溺れ、言葉の森を彷徨(さまよ)い、道なき広い平原に己の針路を見定める道具になり得るよう、人生後半の「佳き友」として付き合ってゆきたい。

これは車掌長自身の経験則だが、結局、人間の思考や言動の発端は、「言葉」によって脳がそれらを司っているように感じてしまう。

人と同じことをやるにしても、そこに至るアプローチの方法や工夫、面白さは、語彙の差が行動や結果に如実に現れる。

また、「感情」という厄介なものも、言葉の力で制御、自制できるようになったと、この歳になって気付くようになった。

"ことばは、自由だ。"

上述の目にした広告にあったフレーズだが、スマホ全盛の時代、大体のことは掌(てのひら)で済んでしまう便利過ぎる世の中…
ややもすれば、スマホという薄っぺらい物体に、自分自身の時間や行動というものを、無意識のうちに束縛、支配、順応させられている懸念もある。

もちろん、IT社会の今日、それ抜きでは仕事が成り立たない御方が大勢いることも承知している。

ただ、一見不便そうで、面倒くさそうで、武骨な…そんな世相に抗(あらが)うような、アナログ的な楽しみや悦びが、意外にも、自身が主体となって、自身の人生や生活を自由にプランできる時間的な或いは精神的な「のりしろ」として、有用なのかもしれない…と思うのである。

 

日本は島国

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年11月 2日 05:20

 昨日、休暇を取った。

理由は、5年に一度、小型船舶操縦士免状の更新手続きをするためだ。
国から免状更新講習代行を認可された、麹町にある某事務所で簡単な身体検査や講習を受けた。

この免状は、25年前に広島県尾道市で取得した。
動機は、旅行会社勤務時代に公私ともにお世話になった先輩友人と、「ボートで日本を一週しよう!」という軽いノリだった。

船舶免状は船の総トン数によって区分され、車掌長が所有する「小型2級」の場合、岸から5海里(約9㎞)以内の海面において航行が可能だ。

つまり、この5海里以内であれば、日本は島国だからグルっと一周が可能となる。

そんな夢を抱きながら取得した船舶免状だが、実際には免状取得の実技試験で操船したのが最後で、取得以降は自動車で言うペーパードライバー状態であった。

理由は、当時ボートを所有したり係留等の維持費が言うまでもなく高価であり、またレンタルするにしても手続きが煩雑であったり、高額であった。

しかしながら、昨日受講した事務所にあったレンタルボートの宣伝パンフレットを見ると、小型であればレンタカーと同程度で借りられることを知った。

もちろん、いきなりは無謀だが、再度操船講習等を受講し、海洋リゾート地などで数時間レンタルしたりして操船経験を積み、ちょっとずつ航行距離を延ばすのもいいなぁ…などと、50歳を節目に新たなことにチャレンジしてみたくもなった。

とくに最近は、要所要所のマリーナに、「海の駅」というものが整備されているそうだ。
この海の駅を海に沿って伝っていくのもオツだ。

まぁ、まだまだ妄想の範囲なので、日頃色々なご心配をかけている専務車掌には、安心していただきたいことを、念のため申し上げておこう。
 

卵かけご飯の日

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年10月30日 05:19

 今日は「卵かけご飯の日」だそうだ。

島根県雲南市が制定した記念日で、2005年10月30日、たまごかけごはん専用醤油「おたまはん」のふるさとである同市でシンポジウムを開催したことに因むという。

雲南市というと、車掌長は中国の雲南省を連想してしまう。
やはり時刻表好きな者としては、三段式スイッチバックのあるJR木次線(きすきせん)沿線の旧町名、木次町や大東町と言われた方が、ピンとくる。

それはさておき、車掌長も卵かけご飯は好物。
とくに、学生時代は学生食堂で大変お世話になった。

大学が夜間だったため、昼間は17時まで働き、夜間1限目は18時15分からの講義であった。
仕事を終え車で10分の下宿に戻って着替え、更に車で20分ほどかけ大学へ。 

すると、大学に着くのは18時近くになった。
そこで、今でいう「ファーストフード」のごとく、白飯(大)・味噌汁・生卵の3品を素早くトレ―に載せ、レジで180円を払った。

当時はまだ消費税がなかったので、200円以内、5分以内で食べられるこのメニューは、車掌長の夕飯の定番であった。

現在も、卵かけご飯は急に食べたくなる時があり、休日の家での昼食時は専務車掌や車掌見習が別のものを食べているのに、わざわざ「卵かけご飯」を独り食べることがある。

上述の卵かけご飯専用醤油のような、そんな洒落たものは我が家にないが、ちょっと醤油を多めに垂らしてアツアツご飯と食べるのが至福だったりする。

そんな記念日があったのか…と懐かしくなり、珍しく乗務してみた。
今日は台風一過で好天のようだ。

仕事先のどこかで卵かけご飯を食べてみようかと思う。
 

いつか本選を夢見て

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年10月25日 20:16

 先日、某クイズ番組の予選に参加した。

子どもの頃から好きなクイズ番組の1つだが、現存する視聴者が出場可能な番組としては、唯一となってしまった貴重な人気長寿番組、「パネルクイズアタック25」だ。

ふと或る日曜の番組放送終了間際、テロップで流れた"出場者募集"にインスピレーションを感じ、ネット経由で応募。

すると、10日後くらいに葉書で予選の案内が届いた。
あれ?わりと応募者が少ないのかな…と思いきや、某サイトで調べたら、予選参加の倍率はおよそ150倍とのこと。

ちょうど、仕事も休みの土曜日だったので、勇んで参加した。

会場には約80名ほどいた。
さきほどの予選参加倍率を当てはめると、約12,000人が応募し抽選を射止めた人達となる。

最初に担当者からのガイダンスを受けながら、エントリーシートを30分かけて作成。
その後、筆記試験(記述式)が行われた。

出題は30問、制限時間は8分。
1問あたり15秒前後で解答してゆかなければならない。

出題はかなり広範かつ難題であった。
具体的な問題は、まだ予選が行われているので公言できないが、車掌長には苦手な芸能関係や話題も多かった。

手応えのないまま、予選落ち…
予選を通過できたのは10名ほどで、その御方たちは面接へと駒を進めた。

そういえば、予選担当者も筆記試験冒頭に気休めを言ってくれていたのを思い出した。

「皆さん予選に何度も参加して、本選への切符を手にしています。お手元の予選参加記念のボールペンは4色あり、本選のパネルの色に合わせてあります。4色揃えると本選に出れるかもしれません」と…

何はともあれ、50歳目前に憧れのクイズ番組予選に参加でき、とっても良い経験となった。
今度は還暦を迎えるまでに、リベンジして本選出場を果たす夢を見てみよう。

年明けのアニバーサリー・イヤーに向け、色々思い付いたことをチャレンジしているが、ギネスブックへの申請審査は、英国事務局から却下の連絡があった。

現在、あまりにも様々なジャンルからの申請が多く、新たなジャンルでの世界記録申請は受け付けていないとのこと。
つまり、「時刻表収集」というジャンルはなかったようだ。

たった一度きりの人生、何でも「アタックチャンス!」で、ゆこうと思う。

10月2日の想い出

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年10月 2日 05:26

 小学5年生の10月2日は想い出深い日だった。

当時、「ごお・さん・とお」と呼ばれた国鉄のダイヤ改正が実施された日。
それは昭和53年10月に因んだ、関係者や鉄道ファンらによる通称だった。

車掌長はその9月末、書店に並んだ日本交通公社10月号の時刻表がわからなかった。
それは、毎月楽しみにしていた表紙の意匠が、180℃変わったからだ。

「哲×鉄」の時刻表アーカイブをご覧いただければ一目瞭然だが、9月号までは国鉄の優等列車が日本の四季を感じる風景と織り交ぜて表紙を飾っていた。

しかしながら、10月号は真っ黒の表紙の中心に、女の子がアメを舐める姿を列車から撮影した構図になっており、主役が列車から人へと代わっていたのだ。

ジャンルは違うが、航空旅行パッケージツアー商品の「ジャルパック」が、「アイル」へと変わった際も、同様の驚きを抱いたものだった。

この10月ダイヤ改正以降、同一名称の特急・急行の列車が日に複数本運転される際に使われる○号という数字が、下りは奇数、上りは偶数となった。

そして、車掌長が好きな「あずさ2号」も、8時ちょうどの新宿発ではなくなった。

また、特急のヘッドマークも新設され、それぞれの列車愛称名にちなんだイラストが、その特急の顔として子ども達の人気を集めたものだった。

一方、急行列車が減り特急列車が増えたことは、当時の単に鉄道好き少年だった車掌長には嬉しいニュースだったが、その陰で国鉄衰退の歯止め策として取られた幾つもの合理化の影響など、幼い自身には未だ知る由もなかった。

昭和53年10月号の時刻表表紙の想い出から、平成3年に「ジャルパック」から「アイル」へと変わったパンフレットデザインの激変も思い出した。

どちらも共通するのは「黒の変化」だった。

降って沸いた衆院選も、緑色が急遽現れた。
しかしながら、その旗印も色合いも、なにやら斑模様になりつつある印象は否めない。

いっそ、裁判官が着衣する法服のように「何色にも染まらない」、黒色を旗印にした政党が出てくるかもしれない。
それは、時代の変わり目を暗示するような…

10月2日の時刻表の想い出から、そんな連想がふと浮かんだ。
 

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