さらば、旧国鉄115系「かぼちゃ電車」

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年3月23日 05:02

一昨日、JR東日本が115系の最終運転を行った。

115系と聞いて、どのような車両か思い浮かぶ方は鉄道好きだと思うが、わからない方は、「哲×鉄」表紙の想い出に収蔵されている、湯田中2000さん投稿、2012年2月掲載分を見ていただきたい。SLと並ぶ115系が写っている。

この車両、旧国鉄時代の1963年に、湘南色と呼ばれる塗装を施され登場。
以来、通勤・通学の足として大活躍し、その色合いは「かぼちゃ電車」とも言われた。

車掌長は、中央線沿線に住んでいるので、同じ115系でも青白の"スカ色"の方が、親しみがある。

子どもの頃、通勤電車として見慣れたオレンジ色の国電101系のロングシートではなく、向い合せの4人掛ボックスシートに憧れた。それは、どこか遠くへ行けるイメージが漠然とあったからだ。

当時、山男たちに愛された165系アルプスは急行券が必要だったが、乗車券のみで乗れるセミクロス・シートの115系は、子どもにとって遠くへ行けることを予感させる大好きな車両だった。

そんな115系も、登場から55年が経ち、老朽化ももちろん否めなくなった。
今の電車に比べれば、加速も乗り心地も良くないが、モーター音を高めながら一所懸命に走っている乗車感が、スマートにゆかない人間のそれと似て、とても親しみがあった。

一方、目を北へ向ければ、キハ183-0系もこの週末(24、25日)でラストランを迎える。
トランス・ノーズと呼ばれる、その独特なフォルムは、個人的には芸術的な美しさを感じさせる。

その車両保存に尽力されている御方がいるが、車掌長もささやかながら、その保存に協力したく、クラウドファンディングというものを初めて体験した。

そのサイトを見ると目標金額にも達したので、来夏北海道へその勇姿を見に、車掌見習と専務車掌とともに行きたいと思っている。

あたりまえのことだが、旧国鉄時代の車両もいつまでも現役で走られるものではない。
こうして1つ1つ想い出の車両が消えてゆくのは残念だが、いつまでもその想い出を忘れないでいることが、大切なのだろう。

末筆ながら、上述の湯田中2000さんも、出逢った頃は幼稚園年長だったが、今は中学2年くらいだろうか…勉強にも忙しいと思うが、自身の目標に向かって頑張ってほしいと応援している。

またいつか、一緒に乗った電車に再会しに行くのも楽しみにしていたい。
 

夏至に向けて~日ごと陽が長くなる~

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2018年3月22日 05:23

昨日は春分の日

例年だと、春の陽気に包まれ穏やかな印象の日だが、今年の関東地方は降雪に見舞われ、真冬の寒さとなった。

本来であれば、彼岸の中日である昨日は恒例の墓参りをする日だったが、先週の天気予報で天気が崩れることを参考に、彼岸入りの穏やかに晴れた日曜日に済ませておいた。

春・秋の彼岸と、正月は墓参りをしている。
これは、車掌長の物心がついた幼少の頃から、祖父母や親に連れられ行なっているので、逆にこの時期に行けないと気持ちがすっきりしない。

それはさておき、春分の日を過ぎたということは、これから夏至に向けて昼の方が長くなる。
車掌長は日ごと陽が長くなるこの時季が好きだ。

とくに、朝起きる4時頃に明るいと、トクをした気分になる。
陽の明るさで新聞を読んでいると、清々しい気分にもなる。

2018年の仕事もいよいよ繁忙期に入る…

4~6月の最繁忙期は夏至に向けた陽の勢いも借りて、気力も高めて乗り越えてゆこうと思う…

末筆ながら、昨夏行った合同50歳を祝う会参加者で、今日50歳をお迎えになったアンカーの御方へお祝い申し上げたい。

またぜひ、なにか面白いコトを目論見ましょう!

 

30年前の未完のアルバムを開く

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年3月21日 08:44

 先日、50歳を迎え、ふと気になったアルバムを開いた。

それは、遡ることちょうど30年前の今頃の季節に作った一冊…
学生時代の1学年後輩、Tっちぃ氏(以下、T氏)と、彼が所有するワゴンタイプの550cc軽自動車"Acty"で、九州一周に出た時のアルバムであった。

旅の目的は、二人のメモリアル・ツアーであり、車掌長が20歳を迎えた春、T氏が4月に20歳を迎えるにあたり、十代最後の春を飾るものであった。

車掌長が学生時代に暮らしていた愛知県某半島にある町を出たのは、1988年3月11日(金)5時30分。夜明けにはまだ少し早い時分であったが、寒さも緩み春の訪れも感じさせる清々しい朝であった。

旅の期間だけ1週間と定め、どこに泊まるか、何を見るかは、行く先々で決め、なるべく高速などの有料道路は使わず、安く楽しく欲張りに九州を一周するイメージであった。

アルバムのメモを見ると、本州最西端の下関には874㎞を走り、約30時間を要し到達。
新幹線であれば、当時でも僅か4時間ほどの土地であり、はるばる辿り着いた感動があった。

そして、九州への上陸は、高速の関門橋や国道の関門トンネルという選択肢もあったが、やはり「上陸」というイメージを大切にするなら、「渡船」だと意見が一致し、彦島から小倉へと"Acty"を積んで関門海峡を渡り、九州入りを果たした。

今はこの渡船(フェリー)も廃止されており、アルバムにある車両積載船で関門海峡を渡る一枚は貴重だ。

この旅行中のガソリン代や有料道路代、観光代など、二人共通の出費を賄う便宜上の「旅行用財布」を用意し、食事代や土産代等は各自で払ったが、最終的に7日間に要した旅費の総額は、車掌長は4万円ほどだった。

リーズナブルに納まったのは、宿泊のほとんどが車中だったことが大きい。
閉店したガソリンスタンドや、繁華街の片隅、寝静まった住宅街の路上など…。もちろん、開店前や皆が起きる前、夜が明ける前にはその場を立ち去っていた。

今のように車中泊が簡単にできる「道の駅」のような洒落たモノは無かったが、どこからも通報されることもなく、とても長閑な佳き時代であった。

1泊だけ、たまたま或る飲食店で親切にされた人物の経営するサウナ施設で過ごさせてもらったが、ここがトンデモナイ悪しき想い出の場となってしまった。

また、通行料金徴収時間帯前の早朝のやまなみハイウェイを貸切のような状態で走行中、雄大な雲海を体験し、心が洗われる感慨が身を包んだ。

更には、気が付くと、ガス欠の恐れにも遭遇した。
現在のように、全て電子制御の車では不可能だが、昔の軽自動車ではエンジンを切って下り坂を自走することができた。

そして、スピードが出過ぎた時は、シフトギアをセカンドやサードに入れ、クラッチを上手く合わせると、バイクの押しがけのようにエンジンが始動してエンジンブレーキがかかった。そんなアナログ感覚は実に楽しく、ガソリン消費を節減する走り方もできた。

他にも、高千穂峡や日南海岸、桜島、天草諸島、長崎の夜景など、素晴らしい景色も堪能。
今思えば、旅行中の全てのシーンが、懐かしき佳き想い出…

移動の車中で過ごすのは、他愛無い会話やお気に入りの曲をダビングしたこのツアー専用のカセットテープで音楽を聴いたり、カラオケさながらに二人で絶唱することだった。

今の世知辛い世の中では、まず味わえない人情味あふれる旅先の交流や、何よりもT氏と共にした7日間は、車掌長の人生の中でも有数の想い出深い旅となった。

そんな想い出を刻んだアルバムだったが、冒頭にあるように何が気になって今頃開いたかと言うと、3月14日(月)で作成を中断しており、未完であったことを思い出したのであった。

当時まだ、作成途中とあって、台紙に貼る予定だった色々な領収書やメモが挟まったままだった…

しかしながら、肝心の写真やネガがどこにあるかが、今となっては思い出せない。
特に、その後あった家の建て替えの際、大掛かりなモノの移動や処分があったので、大切に保存されているはずだが、簡単に調べられる状況には無い。

今となっては、お互いに仕事もあって、同じような旅行の再現も不可能だ…
とくに、T氏は重責な立場や仕事で日々忙殺な状況であることを、車掌長は察している。

7日間は勿論無謀だが、30年前の想い出を振り返られるような、そんな一献(いっこん)傾ける場を近々持てれば幸いだ。

また、いつの日かちょっと時間が創れそうなら、平戸で立ち寄ったピザの美味しい喫茶店も再訪したい。そして、まだその店があるのかも不明だが、健在であれば、当時と同じ場所で写真を撮り、お互いの「時」の流れを噛みしめたいものだ。

 

水間鉄道 素晴らしきマイ・メモリアル・トレイン

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年3月18日 04:52

大阪府貝塚市にJTB時刻表と同じ「時」を刻み、走り続けるローカル私鉄がある。

この水間鉄道(みずまてつどう)は、営業路線5.5㎞と短いが、その歴史は長い。
1925年(大正14年)開業、つまりJTB時刻表の創刊年と同じだ。

両者は以来、90余年もの長い歳月をそれぞれに歩んできた。
一方は参詣の足として、もう片方は旅の計画・立案に必携な書物として…

かような双方の偶然となる、開業や創刊の一致を知り得たのは、昨秋のこと…
僭越ながら、車掌長の全く私的な50歳イベントを、自身で考え始めた頃だった。

色々な案が頭の中で浮かんでは消えたが、現実的なものとして閃(ひらめ)いたのは、列車の「ヘッドマーク」というものだった。

ヘッドマークは、昔から列車の「シンボル」であった。
ちなみに日本初のヘッドマーク掲出列車は、戦後間もない「つばめ」と言われている。

その後、特別急行列車などの優等列車には、その列車を象徴する「顔」として、ヘッドマークが機関車前面に取り付けられた。

車掌長の年代では、「さくら」「あさかぜ」などのヘッドマークを掲げ、電気機関車に牽かれるブルートレインが懐かしくもあり、それらの列車に乗ることを夢見ながら、時刻表のスジを追いつつ憧れた。

そして、切符代を貯めてハレて乗客となれた暁には、寝台列車にもかかわらず、昂奮して一睡もできずに、その独特な旅情を子どもながらに満喫したものだった。

そんな憧れの「ヘッドマーク」を、自分のために制作し、営業運転の列車に掲出してくれることを知ったのが、昨年のJTB時刻表9月号に掲載された巻頭特集の頁であった。

その特集で、全国で数社の私鉄がヘッドマーク掲出列車を走らせていることを知り、それぞれの会社を調べていたら、上述の水間鉄道とJTB時刻表との偶然の一致点を知るに至った。

早速、「哲×鉄」保線区土木係にヘッドマークのデザインを依頼、同時に水間鉄道にもヘッドマーク制作及び掲出列車運行の申し込みを行った。

そして、何度か水間鉄道のヘッドマークご担当の方とやりとりを進めたが、この御方の対応が大変素晴らしかった。

きっと、このヘッドマークを申し込んだ一人一人の記念や想い出を大切にしておられるのだろう…と察した。

車掌長も頻繁ではないが、色々な鉄道会社へ問い合わせをした際、昔ほどではないにせよ、まだまだ"ぞんざい”であったり、表面的にはマニュアル通り丁寧な言い回しだが、心の籠っていないのが明らかな対応も珍しくないのを痛感していただけに、この御方の対応は大変印象に残った。

そして、迎えた50歳当日の2月19日…
貝塚駅で「マイ・ヘッドマーク」を掲出した電車を見たとき、胸に熱いものが込み上げる感動や感謝の念を覚えた。

水間鉄道とJTB時刻表の長い歴史の中で、10日間という瞬(またた)きほどの時間ではあるが、車掌長のオリジナルヘッドマークとともに、伴走してもらえる喜びを実感したものだった。

終点の水間観音まで乗車し、折り返しの僅かな時間を使って記念撮影等を専務車掌、車掌見習と行ない慌ただしく貝塚駅に戻ると、新聞社の記者と合流し取材を受けた。

その場には、水間鉄道の鉄道部長T氏も立ち会って下さり、改めてヘッドマークに関する興味深いエピソードも聞くことができた。

その取材の模様は、朝日新聞夕刊(関西版)3月14日付に記事として掲載、ネット上でも一部分を見られるようだ。(※全文は有料記事のため会員向け)

末筆ながら、このような全く私的な50歳記念のイベントを支え、盛り立てて下さった、水間鉄道様と新聞社記者の御方に心より御礼申し上げます。

そして、その「顔」となるヘッドマークをデザインされた、「哲×鉄」保線区土木係のたくちゃんさんへ、深く厚く感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。

今後も、水間鉄道様におかれましては、色々な人々の「人生のひとコマ」を演出する"メモリアル・トレイン"として、大勢の方に愛される鐵道(鉄道ではなく、あえて鐵道とします)であられることを願っております。

 

新たな時を刻むプレゼント

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2018年3月 3日 05:27

先日、希望者挙手さんとお会いした。

場所は、JR中央線神田駅構内にある「神田鐵道倶楽部」。
希望者挙手さんの選定であったが、車掌長も行ってみたいバルで嬉しかった。
(バルとは、食堂とバーが一緒になったような店)

当日、時間厳守を信条とする車掌長にはありえない、待ち合わせ場所への到着時刻にあわや「遅延」の懸念が発生。それは、ここ1,2年の忙しさを象徴するような、仕事絡みが理由であった。

しかしながら、ウルトラC的な移動術と運で、ダイヤは「早期復旧」し、定刻に到着できた。

期待のバルは、昭和・国鉄時代の列車「愛称板」や行先表示「サボ」等の鉄道部品が所狭しにディスプレイされ、車掌長が鉄道(時刻表)三昧の生活を送っていた時代へ、一気にタイムスリップさせてくれた。

店内はカウンター席のみで、13名しか乗客になれない人気店。
だが、そこは希望者挙手さんがしっかり「指定券」を確保してくださり、湾曲したカウンター部分の店内を見渡せる上席、いわゆる「勝席」に案内された。

メニューを開けば、長距離列車にはなくてはならない旅の醍醐味である「食堂車」があった時代、供食サービスを担っていた日本食堂さんのお品書きが並び、注文が目移りした。

列車名等に因んだカクテルもあり、まずは「はやぶさ」で乾杯となった。

実は、今宵のセッティングは、希望者挙手さんが車掌長の50歳を祝う場を設けてくださったもの。
そして、乾杯後に小さな包みを手渡してくださった。

蓋を開けて上部から覗くと、鈍く光る金属が目に入った。
そして、それを柔らかく包んでいた緩衝材の木毛(もくもう)から優しく取り出しかけた途端、それが何であるかを理解できた。

それは、SEIKO製の鉄道懐中時計…
そして、本体を裏返してみると、「昭43 □ ○○○ 国鉄」との刻印…

車掌長の生まれ年である昭和43年から、同じ時を刻んできたものであることを実感し、思わず、その時計を掌(てのひら)で摩り、愛おしさが込み上げた。

また、時計本体には多少の擦り傷や汚れも否めないが、かく人間も50年生きていれば、叩けば出る埃もあるし、負った古傷も幾つかはあるもの…
車掌長にとっては、そんな経年の傷さえもが「美品」に思えた。

希望者挙手さん曰(いわ)く、昭和43年で、なおかつジャンク品ではなく、今もネジを巻けば動くものが、なかなか見つからなかった…と。

余談だが、精工舎(現SEIKO)が国産初の鉄道時計に指定されたのは、1929年とのこと。
以来、90年近く経った今も、鉄道懐中時計は、その視認性に優れたデザインもほぼ変わることなく、日本の鉄道が世界一時間に正確な運行を支える必須アイテムとして信頼の時を刻み、使われ続けている…

早速、竜頭を引っ張りながら時刻を合わせ、ネジを巻くと、秒針が動き始めた。
そして、戴いた翌日朝、目いっぱい巻き、更に翌朝同じ時刻にも目いっぱいネジを巻くと、20回指を動かすことができた。

おそらく、24時間で20回巻けると察しがついた。
毎朝、同じ時刻に巻き、50歳を迎えたこれからの新たな「時」を、この時計と一緒に刻んでゆこう…と、感慨に耽(ふけ)った。

そして、思わず神田鐵道倶楽部のスタッフであるW氏が、お通しをテーブルに置いてくれた時に発する「出発進行!」をシャレた名フレーズが脳裏を過(よぎ)った。

新たなステージを歩む「時」の始まりを祝し、車掌長自身も「出発進行!」と指差し呼称。

末筆ながら、希望者挙手さんには、心からの御礼をこの場をお借りして申し上げます。
誠にありがとうございました。
 

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2018年3月 4日 17:16投稿)

こんにちは 久しぶりの乗車となりました。
ご誕生半世紀、おめでとうございます。

当日は神田駅開業99周年(車掌長のほぼ倍ですね…笑)とも重なり、限定メニューなど味わうことができたり、想定外で他のお一人様乗客と旅は道連れ的になってしまうハプニングがあったりもしましたが、楽しい時間を過ごすことができました。

私の50歳イベントのように大々的な企画でお返しできませんでしたが、このプレゼントは前々から考えていたもので、正直、入手には思った以上の手間と時間を要しましたが、車掌長に喜んで頂けて、苦労した甲斐がありました(笑

ただ、動作確認はできておりましたが、誤差がどれ程あるのかわかりませんので、しばらくはご注意願います(汗

実は私がこの2月に9社目となる転職をしたこともあり、お互いに節目の門出となり、まさにW氏の「出発!進行!」の掛け声のもと新たなスタートの時を共に過ごすことができてよかったです。

これから更にパワーアップして人生をエンジョイしていきましょう!

車掌長さんからのコメント(2018年3月 4日 21:50投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

改めまして、先日はありがとうございました。
神田鐵道倶楽部車内での相席も、旅情緒があり良かったですネ。

それにしましても、戴いた懐中時計を手に入れるのに、かなりご苦労されたこと、お察しいたしました。

また、その入手に際し費やしてくださった時間や手間も、希望者挙手さんのお心遣いが身に沁みて参りました。

プレゼントは、何を戴いても嬉しいものですが、心のこもった物ほど、その方のお人柄も滲み出るものです。

懐中時計は、時を刻み始めてまだ数日ですが、毎朝ネジを巻き、正確に動いております。
当車掌区にある中途半端な電波時計よりも、正確に時を刻んでおります。

やはり、時計もそうかもしれませんが、大切に使われたモノであれば、機械式の方が信頼性があることを実感いたしました。

次世代へ継承する媒体は、デジタルが主流であることは間違いありません。

しかしながら、車掌長は考え方が旧い人間で恐縮ですが、次世代以降の単位、つまり数百年後の継承であれば「紙」が優れていると考えます。

保存状態にもよりますが、全国各地の博物館や郷土資料館にある古文書などを見るたび、よくこういう貴重なものが、今まで残されているいるものだなぁ…と感心します。

車掌長も50歳を迎え、いずれ自身にも必ず訪れる人生の「終着駅」というものを、遠からず意識しおり、所有する厖大(ぼうだい)な時刻表もどのようにして、未来の人が過去を知り得る「遺産」としての在り方を、ボンヤリながら考え始めました。

話が脱線してしまい、申し訳ございません。

ところで、希望者挙手さんも先月は別の新たな門出とのこと。
転職回数は競うものでもありませんが、希望者挙手さんの方が多くなってしまいましたネ!

お話を伺った様子では、厚遇であり、希望者挙手さんの持てる力を存分に発揮できそうなので、良いタイミングだったと思います。

蔭ながら、今後益々のご活躍をご祈念しております。
体にだけは、くれぐれもご自愛ください。

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