シロツメクサ

カテゴリー:⑤番線:feel the season方面 2017年6月14日 20:28

♪シロツメクサの花が咲いたら さあ行こうラスカル
 6月の風が渡る道を ロックリバーへ遠乗りしよう

子どもの頃、「世界名作劇場」という番組があった。
ムーミン、アルプスの少女ハイジ、フランダースの犬…

車掌長が小学生だった頃、日曜夜7時半からは決まってこの番組を観ていた。

冒頭の曲の出だしは「あらいぐまラスカル」だ。
この作品の前がフランダースの犬や、母をたずねて三千里だったので、明るい作風に子どもながらに戸惑いがあったものの、これはこれで爽やかな物語であった。

子どもの頃から動物が苦手な車掌長だが、アニメで見ている限りは、こんなあらいぐまなら可愛いな…などど思っていた。

と、こんな話をしたかったのではなく、今日は久々に夕方早い時間に家に帰れたので、専務車掌と車掌見習とともに夕食を楽しんだ。

そのとき、今日公園で専務車掌と車掌見習がシロツメクサを摘んで、ブレスレットを作ったと聞き、それを見せてもらったのだった。

今月は出張でほとんど東京におらず、あっという間に半月が過ぎた感慨だが、留守中も日々こうして穏やかにノビノビと過ごしていることを知り、ふと癒される想いであった。

今更ながら、専務車掌には日頃の車掌見習とのかかわりに感謝したい。

車掌長もいまが年間を通して最も忙しい時期だが、それを裏方で支えてくれているのは専務車掌だからだ。

とくに、今年の6月はお祓(はら)いをしてもらった方がよいのでは…と思うほど、仕事上のトラブルに複数見舞われ、閉口の日々であった。

ゆえに、そんなこととは無関係に、日々を精一杯遊んでノビノビ育つ車掌見習の話を聞くと、一服の清涼剤というか、癒しというか…ほのぼのとした気分に浸れる。

専務車掌のこうした関わりは、決して金銭的な対価としての報酬がどこからかあるわけではない。

しかしながら、体力的にも、精神的にも、日々子どもと向き合う時間というものは、労働のようにキツイものだと理解している。

そうした労力は、時給や月給というカタチにはならないが、いつの日かきっと、そうしたものとは換算できないほどの喜びや報いがあるのだと思う…

なかなか照れくさくて、日々の会話の中で口に出しては言わないが、改めてお礼を言いたい。

いつもどうもありがとう

シロツメクサは、クローバー。
きっと、いつの日か、こうした同じような日々の中に、ふと四つ葉に出逢えるときがあるのだろう…


 

「夢ハウス・あずさ号」乗車

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年5月 4日 04:47

夢は叶う…そんなことを実感させてくれる体験をした。

風薫る五月、GW後半突入前日が車掌見習の通う幼稚園の開園記念日で休みだった。
ならば…と、車掌長も急遽代休を取り、以前から体験してみたかった宿の予約を取った。

その名は「夢ハウス・あずさ号」
2年ほど前、列車として泊まれる宿(施設)を探していた折、見つけた宿だった。

しかしながら、その頃はまだ車掌見習が小さすぎて、連れて行っても記憶に残らないだろう…と機会を探しながら温存しておいた。

当日は6時半に車掌区を出発、関越・上信越道を通り、9時過ぎに上田城に着けた。
昨年「真田丸」で賑わった余韻を感じながら、藤が見頃となった城跡を散策した。

上田駅で車を置き、北陸新幹線に1区間だけ乗車。
3月から車掌見習と始めた「鉄道ふたり旅」信州版ミニを、専務車掌も加え敢行した。

佐久平で小海線に乗り換え小諸へ。
ディーゼルカーの車窓からは、遠くの山々の頂には残雪が光り輝き、手前の山々では新緑が芽吹き、淡い緑や濃い目の緑がパッチワークのように混在し、まさに「山笑う」春の到来を楽しませてくれた。

小諸到着後、駅前の食堂で昼食をとり、懐古園へ向け跨線橋を渡った。
懐古園入口となる三の門は、小学6年の移動教室で来た際に集合写真を撮ったが、当時とほとんど変わらない光景に懐かしさが込み上げた。

三の門を潜(くぐ)り本来であれば、城下町よりも低い位置にある全国的にも珍しい「穴城」の城跡を見学したかったが、さきほども上田城に行き、車掌見習に我慢を強いたので、ここは車掌長が譲って隣接の児童遊園地に足を向けた。

ここは市営とあって入園料も不要で、幼児向けのアトラクション利用時のみ、のりもの券を買うシステムで、メリーゴーランドやミニSLなどがお客さん待ちの貸切状態だった。

のどかな時間が流れ楽しかったが、個人的には敷地中央に鎮座していた長野県警航空隊のヘリコプター「初代やまびこ」に目が留まった。
この機体が、日航ジャンボ機墜落事故の際に生存者発見に尽力したことを知った。

再び小諸駅に戻り、次のしなの鉄道の列車まで時間があったので、車掌長単独で駅周辺を散策。
長野新幹線開業で東京を結ぶメインルートから外れ、寂れた印象は否めないが、昔ながらの駅舎の佇まいやラッチ(有人改札)を見ると、心が和んでしまう。

また、駅前の路地裏には飲食店が肩を寄せ合うように並び、往時の活気が想像できた。
こうした路地が形成する独特な「街」の造りや空気は、アイデアや活用次第で人が訪れる仕掛けになり得るなぁ…と感じた。

そんな感慨に耽(ふけ)り115系電車で上田に戻ると、チェックインの時間が近づいた。

上田駅の駐車場で宿の住所をナビに入れてみると、3㎞弱、10分足らずと算出された。
千曲川を渡り、左方向に車を走らせると、ほどなく看板が現れ右折、宿に到着した。

宿の入口横には、「あずさ」の先頭車両がガラス越しに見えた。
胸高鳴る瞬間であった。

玄関の引戸を開け、ご挨拶をすると駅長の鈴木さんが出迎えてくれた。
そして、外観からは想像がつかない広い空間と、1両の列車が目に飛び込んできた。

家屋内にあずさ号が停車している…
ちょっと、現実と夢想とを錯覚してしまうが、今宵の宿であることを次第に認識した。

車掌長がこのように段階的に目の前の現実を受け入れる心の準備をしたのと裏腹に、車掌見習はそういう面倒な思考のプロセス無しに、本能的にあずさ号の中へと消えて行った…

その姿を見て、鈴木駅長が早速、車掌見習を運転席に案内してくれた。
マスコンキーを運転台に差し込み、幾つかの操作方法を教えて下さった。

宿泊中は、運転席に上がり放題、車内放送や鉄道唱歌のオルゴール音、自動ドア開閉も可、そして滞在のシメは翌朝の警笛を一笛鳴らせる…
このようなことを含め、1車両丸ごとを貸切で滞在できるのであった。

車内は畳敷きであるが、座席の一部はオリジナルなまま残され、走行こそしないものの、どこかの駅に停車中であるような楽しみ方はできる。

この183系の座席は車掌長も子どもの頃に乗ったときに、簡易リクライニングシートの背もたれのスライド感が、子どもながらにも不自然で好きではなかったが、それも今こうして座るとノスタルジーという味付けが加わり、なかなか良い座り心地であった。

1時間ほど、車掌見習とノンストップで遊び、お風呂をいただいた。
こちらは家庭用の大き目の風呂だが、目的が温泉ではないのだから問題無し。

そして、風呂上りの食事までに再び車両での運転ごっこや、ホームに無造作に置いてあった近江鉄道の方向幕操作に夢中になった。
とくに、車掌見習は幕回しが好きで、色々な行先を自身で自在に操れるようになった。

やがて夕食の刻を迎え、食事処へ。
アツアツの釜飯と手打ち蕎麦が美味であった。

翌朝6時過ぎ、車両にメイン電源が入ると、車掌見習が早速運転台に上がりたいとせがむので付き合った。
制帽をかぶり朝から車内放送や乗降ドアの開閉を楽しんだ。

チェックアウトの時刻が迫ると、いよいよあずさ号滞在のハイライトである警笛体験。
車掌見習は大きな音が苦手だが、今日はさほど驚かずに喜んでいた。

親子ともども、素敵な滞在を楽しませてくれた「夢ハウス・あずさ号」。
鈴木駅長がこの車両を手に入れ、民宿として営業をしていることは、多くのマスコミにも取り上げられ、ここでの詳細は省かせていただくが、その夢を叶えたエピソードには感銘を受けた。

夢は叶う…
Dreams come true…

車掌長は欲張りだから願いは幾つもあるが、もし何か1つだけ叶うとしら、車掌見習が「自分の力」で「自信を持って」生きていけるように育ってほしい。

既にカミングアウトしている通り、車掌見習には発達障害がある。
発語の遅れもあるが、幼稚園に入ってこの1年でだいぶ語彙も増えたし、発語できる言の葉も増えた。

だが、それはまだまだ親が贔屓(ひいき)目に掛け値なしで、言ったことを聴き取る努力をしていることも否めない…

他人が聞けば、まだまだ不明瞭で意思疎通が難しい場面も少なくない。

また、この障害に特有なこだわりや行動パターンもある。
それは、悪いことではないが、やはり事情を知らない他人が見れば、奇異に目に映るだろう…

しかしながら、「奇異」と「特異」は紙一重で、如何様にも見方や評価は変わる。

車掌見習の特異的なことは、記憶力だ。
一度通った道や行った場所は、いつも覚えていたり、どこで何をしたかを彼なりに記憶の引き出しから出し入れできることに、専務車掌と驚かされることも少なくない。

そんな部分的に秀でた「力」は、トコトン伸ばしてあげたい。
そして、その興味を後押しするような「体験」を惜しみなく作ってあげたい…と思う。

車掌見習は「夢ハウス・あずさ号」を後にするとき、「また来るね~」と言った。

その願いは必ず叶えてあげるし、その時にどれだけ成長しているか…
そんなことに目を細めながら、今回の旅を終えた。

末筆ながら、夢ハウス・あずさ号の皆様には大変お世話になりました。
この場を借りてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
 

城の日

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2017年4月 6日 20:34

今日は城の日

4月6日の語呂合わせで、1991年に姫路市が制定したとのこと。
朝、仕事に向かう車で聴いたラジオが、そんなことを言っていた。

車掌長も城は好きだ。
特に、小学生の頃はプラモデルの城を作るのに夢中だった。

ちなみに最初に作った城は、小学2年生の時の岐阜城。
現童友社の「名城シリーズ」で、山城を再現した情景に惹かれ、思わず親にねだってしまった。
たしか、1,300円だったように記憶しており、子ども心にも高額だったと思った。

なお、一人旅で訪れた最初の城は、中学1年生の松本城だった。
これも小学生の頃にプラモデルで作ったが、松本城内堀に架かる朱塗りの橋が印象的で、ここを渡ってみたいと憧れていた。

以降、色々な城を訪れたが、城は桜も美しい場所が多い。
中でも、弘前城の桜を初めて見た時は、圧巻の想いであった。

以前勤めていた病院のO医師と一緒に出張で訪れたが、O医師は弘前大学の出身で弘前城の桜の美しさを、かねてより聞いていたが、夜桜がこれほどとは…と舌を巻いたものだった。

今度、訪れてみたい城は「備中松山城」だ。
天守の現存する山城としては、標高が最も高い場所にあることで有名で興味がある。

ところで、昨日4月5日は「哲×鉄」開設6周年であった。
本来は昨日、このテーマで乗務日誌を綴ろうと考えていたが、仕事の超繁忙期のため、全く気持ちも時間も余裕がなかった。

時刻表アーカイブ各号の紹介を完遂させるには、まだまだほど遠い「哲×鉄」だが、今後とも、気ままに、気ながに、お付き合いいただければ幸甚だ。
 

時刻表神社創建1周年

カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2017年3月26日 04:57

今朝、時刻表神社のおみくじは「吉」であった

車掌長が日課としていることの1つに、時刻表神社の「おみくじ」を引くことがある。
手前味噌で恐縮だが、この「おみくじ」がなかなか巧妙にできており、良い結果が出るとその日のテンションが上がってしまう。

本日、時刻表神社は創建1周年を迎えた。

これまでに「大吉」が出たのは、わずか2回…
ゆえに、「大吉」をひくと何か本当に佳き出来事が起こりそうな期待が身を包む。

とは言うものの、結果として何か佳きことが起きたことは無かった。
しかしながら、日々の生活にプチな楽しみや抑制を与えてくれるのは非常に面白い。

車掌長は中学生の頃から、旅先で神社仏閣を訪れるようになった。
それは、観光としての意味合いももちろんあったが、その頃の自身の心の乱れや不安を打ち消してもらいたい想い、或いはそれらを誘因する災いを無くしてほしい…そんな願いがあった。

現在も旅先での神社仏閣巡りは続けており、地元の寺社を通りかかった際にも、手を合わせているが、そんな「想い」や「願い」は次第に変わり、ここ数年は「感謝」になった…

車掌長も凡人であるから、この歳になっても願い事が幾つもある。

だが、一方で、家族の平穏や世の中の平和に感謝するとともに、いまここに「ただある」だけの自分の存在への感謝の念を、神や仏に伝えているように思う。

最近は、この「只」や「唯」(ただ)という字や意味が好きだ。
「只」や「唯」を調べると、こんな意味合いであることがわかる。

ありきたり、ありのまま、普通、何事もなくそのままであること、それだけetc…

自身で創建した時刻表神社も、「ただある」ことに意味がある。

車掌長自身が中学入学時から毎月の購読を始めたJTB時刻表…
それ以降の日々、月々、年々をともに過ごした1冊1冊には、表現しきれない「感謝」の念がある。

また、それら1冊1冊の表紙をみると、当時の車掌長の生きざまがフラッシュバックのように蘇る。

今後、次第に時刻表神社に収められてゆく想い出の時刻表たちが、「ただある」形へと昇華してゆくことで、時刻表神社の歴史が深まってゆくだろう。

 

 

コメント(2件)

電車猫さんからのコメント(2017年5月 7日 14:05投稿)

はじめまして!
JTB時刻表だけでなく、my line 東京時刻表も時刻表神社に奉納していただきたいです!

車掌長さんからのコメント(2017年5月 7日 20:03投稿)

電車猫 様

このたびは、「哲×鉄」にご乗車いただき誠にありがとうございました。

電車猫さんのご要望、ぜひ時刻表神社にも奉納できればと存じますが、お恥ずかしながら車掌長は「my line 東京時刻表」は1冊も所有しておりません。

もし、電車猫さんが所有されているものがありましたら、どのような形で奉納(掲載)が可能か、社務所の担当者に確認してみたいと思います。

よろしければ、どれほど所有されておられるかetcお聞かせいただければ幸甚です。

電車猫さんも時刻表がお好きであることをお察しいたします。
電車猫さんは、「時刻表」とはどんな出逢いがあったのでしょうか…

また、最近は色々なジャンルの時刻表が発行及び販売されていますが、「my line 東京時刻表」の魅力はどんなところにありますでしょうか。

車掌長は、偏狭で大変申し訳ございませんが、自身の人生に大きな影響を及ぼした「日本交通公社時刻表」を敬愛しており、ゆえに、そこに崇拝の念を覚えたことから、僭越ながら時刻表神社を創建するに至りました。

もちろん、他の時刻表を愛読しておられる方々への共感もあります。

ぜひとも、今後佳きお付き合いができれば幸いです。

取り急ぎ御礼かたがたご挨拶まで

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鉄道ふたり旅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年3月22日 05:02

2月下旬に初めて車掌見習と敢行した、鉄道ふたり旅。

その成果と言うか、車掌見習の喜びように気を良くした車掌長。
結局、あれ以来毎週、ちいさな旅を続けている。

毎週というのも、頻度としては行き過ぎだが、車掌長がこんなことができるのも先週までのこと。
来週から数か月は、また一年で最も仕事が忙しい時期に入る。

しかしながら、ふたり旅をしている時の車掌見習は見ていて飽きない。
子供向けの鉄道本に出てきた車両を見つけると興奮し、テレビで観た旅番組をマネしながら、小さな旅は進行してゆく。

1本の列車に長く乗ることはない。
むしろ、乗り換えを沢山組み込み、色々な線や車両に乗ることが最優先だ。

こんなことをしていると、ふと、車掌長が小学3年だった頃を思い出した。
東京近郊や一部関東地方にも足を延ばしながら、ひとりで色々乗り歩いていた頃だ。

また、当時住んでいたアパートの隣の部屋に住む親戚がいて、年長組のはとこのN君の子守を頼まれることがしばしばあったが、車掌長はそんな時、N君を連れて東京近郊の電車を乗り歩いた。

今もそうだが、子供に同伴される幼児は運賃不要なので、車掌長自身の小人用切符で、子守を兼ねたちいさな旅ができた。

今思えば、小学3年生が幼児を連れて電車を乗り歩けるほど、とても大らかな時代だった。

そんな感慨にも耽(ふけ)りながら、車掌見習との旅を楽しんだ1ヶ月であった。
 

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