念願成就

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年10月22日 22:25

今日、長年欲しかったあるモノを手に入れた。
その感激の余韻に酔いしれながら、一筆…

それが何であるかと言えば、東海道新幹線0系において、ごく短期間使用されていた「サボ」とよばれる金属製の列車種別&行先板だ。
サボとは「サイドボード」の略称だが、今日の列車ではまず見られない昭和の遺物。

1964年(S39)10月の東海道新幹線開業当初、列車の乗降口付近には次のようなことを表示する金属板が差し込まれていた。
「超特急 ひかり○号 ○○行」 ※実際には「号」と「行」は印字されていない

なお、この金属板サボは脱落等の危険もあったようで、開業から3年足らずで全て姿を消した。

車掌長はこの金属板が、欲しくて欲しくてたまらずにいた。
そして、都内で数か所、売っている店を見つけては、たまに訪れショーウインドウ越しの面会を楽しんでいた。
値段はどの店も似たり寄ったりで、「片手では少し足りない万円」という感じであった。
もちろん、すぐに手に入れられるような値段ではなかった。

日頃、色々なタイミングで専務車掌には、サボの魅力を熱弁。
「時速200㎞を耐え、東京~大阪間をバタバタ言わせながら(?)行き来していた、このロマン…どう!」etc

あいにく、専務車掌兼財務大臣様には、この魅力があまり伝わらなかったようだ。
しかしながら、度重なるその陳情の熱意には折れてくれ、このたび購入認可の運びとなった!

そして、いよいよ今日。
いつもは遠い存在だったガラスの向こう側のサボが、店主によって開錠され、手にすることができた。
それは、想像していたよりも重かった。

金属板には細かな傷が散見されたが、それがまた上述の通り、高速走行によるものかと思うと、愛おしくてたまらなくなってしまった。

いくつか候補があった中、車掌長は「超特急 ひかり30 東京」と書かれたものを選んだ。
この「超特急」という言葉が、また素晴らしいではないか!

所用先へ向かう途中であったが、電車での車中はニヤケ顔だったので、結構アブなかったと思う。

家に帰って、まずは専務車掌にお披露目。
専務車掌は車掌長の子どものような喜び方のほうが、面白かったようだ。
鉄道に限らずどんなジャンルであれ、「ホビー野郎」の妻は大変だと思うが心から感謝…

その後、ひとりで観賞。
その御供は先日いただいた竹鶴21だ。

折しも、来年は東海道新幹線開業50周年…
時の流れを味わいながらの美酒であった。
 

車窓なきリニアに失望

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年9月24日 05:10

先週、JR東海はリニア中央新幹線の駅及びルートの詳細を公表した。

リニア中央新幹線(以下リニアとする)は、2027年に品川~名古屋間の開業を目指すという。
その賛否は、経済効果の算盤をはじく旧来の人々や、環境破壊を懸念する先駆的な人々、新技術に夢を描く人々など様々だ。

車掌長は、どちらかと聞かれれば、「反対」であり「不要」と考える。
その理由は、車窓のない旅になんの魅力も感じないという、子供じみた考えからだ。

上述の発表によれば、路線距離286㎞のうちトンネル部分が246㎞となり、実に86%が地中となる。
また、貴重な地上区間のほとんども、安全性の確保から"土管"のような構造物の中を走行するという。
そのため、その土管に小窓を多数設けて、高速通過する際の眼の錯覚を利用して連続した車窓が得られるか検証する案もあるらしい。

リニアの最大の命題は「時間短縮」。
そのため、品川~名古屋間をほぼ直線的なルートを描き、最速40分で結ぶ予定だ。
そして、そのルート上には、南アルプスを標高1000m級の地点で、長さ25㎞のトンネルを掘るという。

単に、来年開通50年を迎え老朽化する在来新幹線の代替、東海地震に備えたバイパス機能が目的であれば、多少時間は要しても北側の伊那谷ルートを通せば良かったと思うが、そんな余計な遠回りする僅かな時間すら惜しかったのであろう。

そんなルートの産物が、車窓なき旅。
いや、もはや「旅」という概念に当てはめる対象にならないであろう。
単なる2地点間の移動手段だ。

今後人口も減り、日進月歩の通信手段の技術進化で、想定通りの旅客需要が確保できるのであろうか。
もはや、ビジネスとして、わざわざ人が物理的に移動して事を成す意義も、時代遅れというか、希薄な時代になっているかもしれない。

それでも、人が移動して得られるものは何かと言えば、移動時間は「インターバル」なのだと車掌長は考える。
インターバルとは、「間隔」や「合い間」の意味。
スポーツであれば競技中の休憩であったり、劇場であれば幕間(まくあい)と言える。

車掌長が考える旅の移動時間とは、日常から離れる「時間」に意義深さや価値があるということ。
その自由な時間さえ短縮化され、日常と何ら変わらない「暇潰し」的な時間の消費や、仕事の延長のような雑事に縛られては窒息しそうだ。

一方、その対極となるような、クルーズトレインの話題は朗報と言える。
時間をかけてゆっくりと移動する旅。
いまは富裕層相手の高額なものしかないが、その概念の広がりには共感する。

車窓とは、自分を未知な世界へ誘ってくれる入口、まさに「窓」だ。
それを失ったリニアに乗る人々に与えられるものは、「生き急げ」という指図なのかもしれない。

東京から名古屋への出張に、在来新幹線「のぞみ」を使ったら、「何をサボっているんだ」とお叱りを受ける世の中になっているかもしれない。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2013年9月28日 01:43投稿)

またスキンブルシャンクスに会いに来ました(笑

同感です。
リニアの移動には旅情のかけらも感じられません。
経済的理論が最優先のビジネスツールと割り切ってます。

リニアの停車駅に指定された地域では、観光収入の増加を見込んでいるらしいが、私は若者が都市部へ流出してしまうことを心配してしまう。

私自身が、田舎から都会に出てきた人間ですから。
鉄道唱歌のオルゴールが懐かしい、特急「しおさい」がなかったら、私は一生田舎暮らしだったかも知れない(笑

一時的に訪れる人に気を取られ、気付けば、一生地元で暮らしていたかも知れない若者がいなくなっていた、なんてことにならなければいいが。

徐々に日常から離れ、段々日常に戻ってくる。
そんなアナログな移動が旅なんじゃないかと思います。
(ちなみに、「徐々に」は加速度的に、「段々」は着実にというニュアンスで使い分けました。出かける時と帰る時の気分ってそんな感じがします)

100系が姿を消してからのJR東海は、残念ながら旅よりビジネスに目が向いているように感じられてしまう。

私が都市対抗野球で応援しているJR九州のように、少しでも旅に目を向けてくれるといいのだが。

車掌長さんからのコメント(2013年9月28日 04:57投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

希望者挙手さんの仰ること、共感します。
アナログ的な移動こそが「旅情」なのだと…

車掌長は、リニアには通勤電車と同じ「ロングシート」や「吊り革」がよく似合うと思います。
たかだか40分の移動、まして隣の駅までは10分くらいの時間、落ち着いて「座る」よりも、より沢山の人を乗せて稼ぎまくったら良いと考えます。

また、せっかく在来新幹線で着実に築き上げてきた省電力志向のエコな車両哲学も、リニアは膨大な電力を必要とし、原発稼働が大前提のような化け物になってしまいました。
運転席の窓もない顔つきは、温かみの欠片もないように見えます。

ところで、隣の駅と書きましたが、JR東海は途中駅には全く興味がないと実感します。
駅の造りを知って、その簡素さに夢のかけらもないことを知りました。きっと、駅の設置はリニアがその県を通る「通行税」ぐらいの認識でしょう。

日常からの脱却は"徐々に"、
日常への回帰は"段々に"…
とても素晴らしい表現ですネ

旅に出る際の、あのなんとも言えない心のときめき。
その高揚ぶりは、抑えようのない、正に加速度的な心情の移ろいがあります。

一方、旅を終えてからの充足感は、出立前の自分とは何かが違う満足感そのものです。
単に、疲れて帰ってきたのであったなら、それは日常と同じことを旅先でもしてきたのだと思うのです。
日常と同じものを求めたり、気を揉んだり、時間に縛られたりetc…

旅とは自分を「解放」することとも言えます。
また、そうであるならば「日常の自分」とは、しばしの間お別れしなくてはなりません。

旅行に出てまで、行列待ちにイライラしたり、サービスの不備に憤ってみたり…
そんな日常と同じ価値観を持って旅に出るのは、モッタイナイです。

そもそも「サービス」とは、主従関係のある概念です。
金を払ったから、当然受けるべき行為として無意識に要求しがちではないでしょうか。

一方、最近話題になっている「おもてなし」は、語源とも言われる「表なし」のように、表も裏もない関係なのだと思います。

だからこそ、人々は「おもてなし」に金銭に換金できない喜びや感謝を胸に刻み、デジタル信号に変換できない「人間の営み」に価値を見い出すのではないでしょうか。

間もなく運行を開始する豪華列車も、そんなお客の品位が求められます。
また、運行会社も大金を払った乗客にへりくだって自分を卑屈にして対応するのでは、「一流」なもてなしとは言えません。

双方に主従関係のない、心の通ったやりとりのある時間こそが、プライスレスな時間を味わえるのだと感じます。

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幸福駅(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年8月24日 08:49

哲×鉄車掌区慰安旅行の記録も、これが最終回。

4泊5日の最終日は、早起きして「雲海テラス」にチャレンジした。
これがトマム滞在中の2つ目の楽しみであった。

いまやトマムと言えば、この「雲海テラス」をイメージするほど有名になった。
もともと雲海の発生しやすい地形や、気象の条件が重なった時に、神秘的な自然の芸術を目にすることができる。

しかしながら、毎日見られるわけではないし、ついさきほどまで見えていたのが一瞬で見られなくなってしまうなど、自然相手だけにまさに運次第…
実際、前日もチャレンジしようと早起きしたが、未明に雷注意報が出たとのことで、ゴンドラ自体が運休であった。

この日は定時(5:00)からゴンドラこそ運行していたが、部屋で確認できるインフォメーションでは「雲中」とのこと。つまり、上がっても雲の中で何も見えない状態…

しばらく、タイミングを見計らっていたが、せっかく来たのだし、ダメならダメでも良しとして6:15頃にシャトルバスでゴンドラ乗り場まで行ってみた。

既に乗車待ちの行列ができていたが10分ほどで乗れ、7時前に山頂駅到着。
この時点でも「雲中」に変わりはなかった。

山頂駅付近は眺望を楽しめるカフェやデッキが整い、大勢の人で賑わっていたので、別の展望デッキへ続く山道を歩き始めた。
しかしながら、しばらく待っても「雲中」で視界ゼロ…

今回は諦めかなぁ…と思っていた。
ツアーで来ていた人は、バスの出発時間があるようで、早々に帰路のゴンドラ乗り場へと向かっていた。

こちらは、今日は帯広空港に行くだけなので、チェックアウトも特に決めていなかったが、さすがにお腹が減ってきたので、8:00にはここを出ると決めもう少し待つことにした。
幸い車掌見習も眠り始めたので良かった。

間もなくして、誰かが発した「あっ!」という声につられ、その方向を見ると、雲の合間からリゾートの施設群が見え始めた。
高層タワーのホテル棟や、周囲の山々が顔をのぞかせた。
イメージしていた"雲海”とは違うが、これはこれで幻想的な光景であった。

森の中のレストランで朝食を済ませ、ノンビリ10:30にチェックアウト。
3日間の快適な滞在は、あっという間に過ぎ去った。

それにしても、この星野リゾート・トマムは、宿泊した部屋はもちろんだが、レストラン他どこの施設も子供連れを意識したハードやソフトが整っていた。
例えば、この日の朝食をとったレストランでは、乳幼児連れの場合は専用の靴を脱いで入る個室があり、その中央で子どもが遊べるスペースや絵本、おもちゃが置かれ、大人はその周囲に配されたテーブルで遊ぶ姿を見守りながら食事を取れるスタイルだった。

このあたりは、全国各地にある星野リゾートの「大人の寛ぎ」をコンセプトにした経営とは違い、良いなと感じた。

名残惜しいトマムに別れを告げ、帰路の飛行機に乗るため帯広へと向かった。
時間に余裕があったので、空港近くにある「幸福駅」に立ち寄ることにした。

ここはJRへ民営化される直前の1987年2月に廃線になった、旧国鉄広尾線の無人駅。
そして、ここを全国区で一躍有名にしたのが、40年前に放映されたNHKの番組「新日本紀行」であった。
駅名の縁起の良さが着目され、近隣の愛国駅とのカップリングで"愛国から幸福ゆき"の乗車券が爆発的に売れた。

車掌長も中学1年の頃、郵送で上記の乗車券や入場券の購入をこの駅にお願いしたことがある。
今思えば、この幸福駅が「縁起切符」の先駆けであったと思う。
当時は他にも、四国に「学」という駅があるが、そこの入場券を買うと券面に「入学」と印字される部分があり、受験生に大そう喜ばれた。

話を戻すが、この幸福駅も今では恋人の聖地として認知され、この日も多くのカップルを目にした。
車掌長にとっては、残された木造駅舎やレール、ディーゼルカーが往時を偲ばせてくれる聖地に他ならない。
一面一線の単式ホームに置かれたキハ22が、なんとも愛らしい…

賑わう駅前の売店で、その日の日付の入った「愛国から幸福ゆき」の切符を購入し想い出の品とした。

 ここから空港までは10分足らず。
復路は13:45発のJAL1154便。

東京から到着した同機は、お盆の帰省客で満席のようであったが、折り返しとなる東京行きの搭乗便はガラ空きであった。
これもイメージ通りで良かった。

往路同様、搭乗前に離乳食を済ませ、待合室のイスでさんざんハイハイをさせて、専務車掌と共に難関への準備を整えた。

羽田と違い地方空港は、ターミナルを離れればすぐに飛び立つので、タイミングを見計らってミルクを飲ませた。やがて、車掌見習の眼がトロォ~ンとし始め、専務車掌と顔を見合わせてニンマリ。

だが、事は起きてしまった…
離陸後、水平飛行に差しかかったタイミングで、なんか異臭が…
もしやと思い確認すると、紙オムツからハミ上がらんばかりの軟便が目に飛び込んだ。

すぐさま、専務車掌とともに最後部のトイレへ駆け込み、オムツ交換へ。
だが、このトイレに設置された交換台の向きが非常に使いづらく難儀であった。
しかも、手間取っているうちに車掌見習が大泣き状態…

キャビンアテンダントのお姉さんも、「危ないですのでドアを閉めさせていただきます」と物腰柔らかに言ってくれたが、相当泣き声がうるさかったのだと思った。

ドアを閉められると、ただでさえ狭い機内トイレに大人2人と乳児が閉じ込められ身動きもままならず、汗も吹き出し始め、それはそれで地獄絵巻の様相であった。

やっと落ち着き、席に戻ろうとすると、間もなく着陸とのこと。
往路便で経験したが、着陸の方が耳が痛くなるだろうと思い、周囲に誰もいない席を探して車掌長が車掌見習を預かった。

だが、いざシートベルト着用サインが出て身構えていたが、もともとの飛行高度が低かったのか、耳への違和感がなく、陸地が見えてきた。

かくして、北海道旅行4泊5日の珍道中は無事終えることができた。

末筆ながら、5回に渡る全くプライベートな旅行記にお付き合いいただき、お礼を申し上げます。
どうもありがとうございました。

今後、乳幼児を連れて旅行をされる方々に、どこか部分的にでも、少しでも参考になれたなら幸いです。
 

ナロネ22 153(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年8月18日 19:53

北広島クラッセホテルでの目覚め、部屋のカーテンを開けると鮮やかなグリーンのゴルフコースが眼下一面に広がっていた。時計を見ればまだ6時頃だったが、もうコースに出ている人もいた。
今日も天気は良さそうだ。

のんびりと9時半にチェックアウトし、一路帯広を目指した。
目的は世界唯一の"ばんえい競馬"だ。

通常の第1レースは11:30出走とのこと。
12時に到着し、第2レースから楽しもうと思っていたが、なんか場内が静かでレースを行っている様子が伺えない。すると、この日はグランプリがあり14:30からが第1レースとのアナウンスがあった。

せっかく来たのに、あと2時間余りをここで過ごすわけにもいかず残念に思っていたら、別のアナウンスが流れた。
今日は特別に12:20から模擬レースを行うとの内容。
馬券を買うことはできないが、ばんえい競馬を観賞することはできる!
何はともあれスタンドへと向かい、2つある障害のうち、大きな2つ目の山の中央部前に陣取った。

間もなく、5頭のばん馬がゲートインし、いざ出走!
土埃を巻き上げながら、第1障害を乗り越え、眼の前にやってきた。
人馬一体の駆け引きが、1分半のレースに凝縮されているのを実感できた。

お昼は隣町の芽室で「コーン炒飯」を賞味。
手持ちの資料によると、十勝芽室はスイートコーンの生産が日本一とのこと。
そのスイートコーンをたっぷり使ったバター味の炒飯は、確かに美味しかった。

午後は次の目的地を目指し、国道38号線を富良野方面へ走る。
途中、狩勝峠の3合目で左に折れ、旧狩勝線の新内駅に到着。

ここは、昭和41年まで根室本線の難所"狩勝越え"の拠点になった駅。
今ではNPO法人の「旧狩勝線を楽しむ会」の皆様が、献身的な活動を通してユニークな取り組みや、貴重な車両の保存を行っている。

まずユニークなのは、トロッコ鉄道を敷設して体験乗車ができること。
具体的には、保線用軌道自転車でペダルを漕ぎながら、レールの上を走る趣向になっている。
車掌見習は専務車掌に抱っこ紐で抱っこされている状態で乗車。車掌長と専務車掌は並んでペダルを漕ぐ形だが、そこは車掌長が一人で頑張って漕ぎ続けた。

短いコースではあるが、トンネルや踏切、信号もあって本格的。
木立の中を風切りながら進む爽快感を味わった。

トロッコの後、日本で唯一現存する貴重な車両「ナロネ22」を含む寝台車3両とSLを保存しているホームへ向かった。

ここは以前SLホテルとして営業していたが、廃業後荒れ果てていた車両を前述のNPOの皆様が保存活動に立ち上がり、今もこうして昔の名車両に出会えるスポットになっている。

車掌長はこの20系車両が大好きだ。
1958年にデビュー。特急あさかぜ用に開発された固定編成の美しいフォルムと、全車冷房化等の豪華な車両設備は「走るホテル」と形容された。

中でも、ここにある"ナロネ22"は現役時代に8両しか製造されず、1人用個室は当時の総理大臣も乗車するほどの贅沢さであった。
車掌長はこの車両をぜひ一目見たいと、ずっと思っていた。

そして、その時がやっと訪れた。
同じ車両の半分が「開放型」と言われる上下2段のA寝台、もう半分が1人用個室という造りだ。
車両の中央に通路があり、その両側に開放型の寝台と個室が並んでいた。

1人用個室は、現在の北斗星のロイヤルなどに比べれば遥かに狭い。
しかも、座席状態からベッドにすると、そのベッドの上しか居場所がない状態となる。
それでも、お湯と水が別々に出るステンレス製の洗面台や、給仕係を呼ぶボタン、冷房を思うままに調整できるダイヤルを見ると、これらがいかに贅沢な装備であったかが偲ばれる…

手書きの説明が付してあったが、この個室で東京~博多間を乗車するには、サラリーマン1ヶ月分の給料に匹敵する運賃料金が必要だったそうだ。

外観の"青15号"と呼ばれる塗装は剥げた部分も痛々しいが、徐々に修復もされている様子がわかる。
今は北の大地で静かに余生を送っている名車両だが、いつまでも大切に保存されることを願う。

車掌長も何かできることを探して協力したいと思いつつ、今日から3日間滞在する"星野リゾート トマム リゾナーレ"へと車を走らせた。
 

カシオペア運休(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2013年8月14日 21:57

過日、哲×鉄車掌区で慰安旅行を行った。
メンバーは車掌長他、専務車掌、車掌見習の3名。
北海道4泊5日の珍道中であった。

先ずは旅立ちからハプニング!
乗車を楽しみにしていた寝台特急「カシオペア」が、上野出発時刻の2時間半前に急遽運休の事態。
原因は、北東北に”今までに経験のない大雨"をもたらしたその日、道南でも記録的な雨量を観測し、函館本線の某区間で線路の道床が流されてしまい不通となったこと。

実際、その前夜に出発した「トワイライトエクスプレス」や「北斗星」が、翌朝の途中駅で運転を打ち切りとなったことを予め知っていたので、もしかしたら…の予感が的中した。
旅行での天候や自然災害による交通機関の影響は、どんなに嘆いたり悔やんでも事態は変わらないので、早々に気持ちを切り替えた方がポジティブだ。

案の定、8/9(金)13:50頃、JR東日本が「カシオペア」・「北斗星」・「あけぼの」の運休を公表。
今回の旅行は、昔から懇意にしている旅行会社の手配だったので、直ちに連絡し、代替策として考えていた飛行機の予約と宿も手配していただいた。
いつもながら、迅速に手配を遂行していただき心から感謝している。

この日はお盆休みに入る週末とあって、どのフライトも満席ばかりであったが、辛うじて18:15発の札幌行JAL便に数席の残席があったのは幸いであった。

それにしても、このJR東日本の運休公表のタイミングは遅すぎたと言えないだろうか?
何故なら、同じ路線を走るトワイライトエクスプレスは、午前10時頃には既に運休を公表していたのだから、いくら会社が異なるとはいえ、情報提供の統制が取れていないのはお粗末だ。

きっと、上野駅や上野へ向かう途中の駅で、運休の知らせを目にしたり、聞かされた方々が多かったと想像する。
しかしながら、その時点では、他に手を打てる選択肢や可能性がほぼ喪失され、折角の旅行を取りやめにした方もおられたと思うと、誠に不憫でならない。
夏休みだけに、お子さん連れの家族もきっと多かったであろう…

そんなことを思いながら、カシオペア用にセットしてあった荷物を、専務車掌と一緒に飛行機用に作り直した。
今回の旅の主役は、生後10か月の車掌見習だから、とにかく荷物が多い。

また、車掌見習にとっては、初の飛行機…
専務車掌も車掌長も、帰路の飛行機への心の準備は整えていた。
つまり、授乳や睡眠のタイミングをイメージし、如何に狭い機内で泣かずに過ごさせるかを念頭に、利用便の時間帯も考えていた。

だが、降って湧いたような突然の"初フライト"には、正直なところ「体当たり」的な突入状態となった。
空港でチェックインすると、たまたま隣同士で用意できる席が1列だけあり、まずは一安心。
次に、ラウンジで車掌見習の食事を済ませ、いざ搭乗!

まずは、同じ列の左右の先客に「子連れでご迷惑をおかけします」と挨拶。
その後、滑走路へ向かう時間がとっても長く感じられたのは気のせいだろうか…(実際、羽田はいつも離陸の順番待ちで20分ほどかかる)
やがてエンジン音が高鳴り、滑走路を加速し始めた時、ふと車掌見習を見ればZzz…Zzz…
ホッとして力が抜けた瞬間であった。

着陸時は、高度を下げる際に若干耳が痛かったのか、寝ながら数回大きな声を出し、いよいよ泣くかと身構えたが、専務車掌がお尻をポンポン叩いて沈静した。

かくして、無事に車掌見習の"初フライト"は終わった。
幸い、機内で泣かれる事態は免れたが、大切なことを知ることができた。
それは、搭乗後すぐの周囲への一言。
これを「しておいた」か、「しなかった」かの違いは大きいであろう。

千歳空港に着いた際に、左右それぞれの隣にいたビジネスマンや女性の旅行客からは、「いい子でしたね」と。
こちらも「ご迷惑をおかけしてごめんなさい」と。
二言三言の会話も自然に生まれ、安堵感が増して人情も感じられとても嬉しかった。

荷物を受け取り、千歳市内のホテルへ向かうタクシーに乗るためターミナルを出る自動ドアが開いた瞬間、東京と10℃ほども違う空気に迎えられた。

これはこれで、想い出深い旅の始まりであった。
 

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