味の新幹線

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年11月 3日 13:03

"新幹線を世界遺産に"…と、支援を呼びかける飲食店があることを知った。

今朝の某新聞に掲載されていたそのお店は、その名も「味の新幹線」。
「新幹線発祥之地」として知られる小田原市鴨宮にあり、そこのご主人が世界遺産登録への提唱を掲げた。

車掌長はもちろん、そんな"Dream"に共感し、「支持」「賛同」を表明する。
"夢"としないで"Dream"としたのは、その方が実現する気がしたからだ。

日本が世界に誇る「SHINKANSEN」は、高速鉄道の礎を築き、今もなお進化を続けている。
そんな新幹線の原点が「0系車両」であり、開業前にモデル線が敷設(ふせつ)され、全国から選りすぐりの技術者や運転士が集い、試験走行を繰り返していた土地が「鴨宮」であった。

新幹線0系車両は、既に「未来技術遺産」と「機械遺産」からのお墨付きを得ている。
前者は国立科学博物館、後者は日本機械学会がそれぞれ選定や認定、登録をしているものだ。

となれば、次は「世界遺産」か!と、ついつい心が急(せ)いてしまう。

もちろん、そのハードルは高いであろう。
また、世界遺産は文化遺産、自然遺産ともに動かせないもの、つまり「不動産」がその対象となっており、0系新幹線のような車両は、保存場所を変えるために移設も可能である。

しかしながら、諦めることは早計だ。
世界遺産には、スイスのレーティッシュ鉄道や、インドの山岳鉄道群という先例がある。

世界に強烈なインパクトを与え、いまも現役で人々の高速移動を担う「東海道新幹線」そのものを、その技術力の歴史や安全性を確保した運行システム、全線立体交差を実現したトンネルや橋梁などの構造物など…、世界遺産にする方策が、何かきっとあるのではないか…と思う。

何はともあれ、一度「味の新幹線」に足を運び、「0系カレー」や「ひかり定食」などを賞味してみたい。

「味の新幹線」のご主人、素敵な"Dream”をありがとうございました。

 

 

コメント(6件)

団子鼻さんからのコメント(2014年11月11日 08:00投稿)

ひょんなことから 新幹線に興味を持った そば屋の おやじです

この度は、ありがとうございます。

ご来店くださる 鉄ちゃん・鉄子さん達は 皆さん すばらしい方達です 優秀な方が多いのに驚きです。

しかし 皆さん おとなしい方が多いです。

哲ちゃん と お知り合いになれたことを うれしく思います。世界遺産に対する 哲ちゃんの ご見識には、まったく同感で、心強い同士を得た感を強くいたしました。 ありがとうございます。

東海道新幹線の開業前に 鴨宮基地に全国から選抜された乗務員の研修が行なわれましたが その2期生(30名)の皆さんの内 健在の約10名が当時のインストラクターと
本日11月11日 山口県で同期会を行なっております。  5期のうち2期生が現在まで同期会を続けているそうです。   今は 皆さんの ご長寿を 願っております。

さて、
哲ちゃん  ご来店を お待ちしております。 普段は 米山店長が 1人で頑張ってますので 必ず 御声をかけてください。  近くにいれば 参上いたします。

今後とも 宜しくお願い申し上げます。

車掌長さんからのコメント(2014年11月12日 04:04投稿)

団子鼻 様

このたびは「哲×鉄」ご乗車ありがとうございます!

新聞で団子鼻さんの「味の新幹線」さんのことを知り、これは本当に夢のある話だと直感しました。

今回の団子鼻さんのご乗車、大変嬉しく思います。
ぜひ、近いうちにお店に伺います!
会って色々な話をお聞きしたり、貴重な資料を拝見させてください。

車掌長も0系が大好きです。
今の新幹線も高速運転に不可欠なデザインへと進化し、カッコイイと思いますが、全てはこの団子鼻「0系」の子孫です。

つまり、0系の当初からの優れた理念や培われた技術、それらを蓄積し継承し続ける信頼のDNAが生きています。

そしてこれらは、世界に誇れる高速鉄道の礎だと確信しています。

つきましては、改めまして東海道新幹線の世界遺産登録への意義に賛同し、微力ながら何かお手伝いができれば幸いです。

余談ですが、この乗務日誌上では「車掌長」を自称しておりますが、団子鼻さんが呼んでくださった「哲ちゃん」は、私の名前そのものでありまして、ほのぼのとした嬉しさも感じました。

こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

団子鼻さんからのコメント(2014年11月17日 01:21投稿)

遠いところ、ご家族で鴨宮に ご来店いただき 誠に ありがとうございました。 哲ちゃんの ブログを いくつか読ませていただいて 思っていた通りの お方でした。私の世界遺産登録への思いは ロウソクの火ですが 哲ちゃんの太い松明の火で 世界遺産登録への道筋を照らしていただければと願っております。 よろしくお願いいたします!!

車掌長さんからのコメント(2014年11月17日 05:12投稿)

団子鼻 様

こちらこそ、突然お邪魔したにもかかわらず、所用を中断してお店に戻って来てくださり、ありがとうございました。

昨日は、専務車掌もぜひ「味の新幹線」に伺いたいとのことで、車掌見習も連れての訪問となりました。

車掌長は、団子鼻さんを新聞掲載の写真で拝見していましたが、お会いして予想は的中!
とても温かみがあって、ユーモアのあるお人だなぁ…と。

勝手ながら、初対面のはずなのに、何故かそうは思えない親しみを覚えました。

ちょうど昼食時でしたので、「ひかり定食」「こだま定食」を注文し、美味しくいただきました。
メニューに「0系」とついたものは、或る「トッピング」であったことも楽しかったです。

ところで、今回驚きと共に大変嬉しかったのが、開業前に鴨宮で行われた新幹線運転研修の第2期生であったKさんが、団子鼻さんと一緒にお見えになったことです。

もう80歳に近いと仰っていましたが、さすが開業前の突貫の猛訓練をされただけあって、筋金入りの精神力の強さを感じました。

また、その当時の色々なエピソードを生の声で聴けたことにも感銘を受けました。

この場を借りてお礼申し上げます。
ありがとうございました。

東海道新幹線の世界遺産登録、その行程は右も左もわからないような状況ですが、団子鼻さんの粋な意志表明が新聞に掲載され、まずはその第一歩が踏み出されました。

あとは、地道にその活動を広報的にアピールしたり、賛同してくださる方を増やしてその気運を高めることが、オーソドックスで鈍行列車のような歩みとなりますが、不可欠だと思います。

もちろん、鈍行ではなく新幹線のように、一気にトップダウンで推し進められるのも望むところです。

しかしながら、このたび「味の新幹線」へ向かう前に訪れた小田原城の近くにある、報徳二宮神社も立ち寄りましたが、ここに大きなヒントがあったようにも思います。

小田原が誇る「二宮尊徳」の教えと、東海道新幹線誕生之地を関連づけることは甚だ乱暴かもしれませんが、町おこしや世界遺産登録の気運を高める一助となる可能性を見い出した気がします…

またぜひ、お会いして色々な妄想を広げたいものですネ。
今度はぜひ、お酒もご一緒できれば嬉しいです。

(車内放送)
哲×鉄「乗務日誌」をご愛読されている皆様の中で、もし東海道新幹線の世界遺産登録にご賛同いただける方がいらっしゃれば、簡単で構いませんので、こちらのコメント欄でもオユ10(メール)にお寄せいただければ大変嬉しく思います。

団子鼻さんからのコメント(2014年11月17日 11:30投稿)

さすが! 哲ちゃん 一味も 二味も 違いますネ!

私の人生の 教訓の中に " よい人の お友達は よい人 "

があります

哲ちゃんの車両に乗車された方々は 皆さん すばらしい方々

だと思います きっと 何か やらかして くれるのではと

期待しております!!

よろしくお願い致します! 

では 再会を楽しみに

ありがとうございました。




団子鼻さんからのコメント(2014年11月24日 13:57投稿)

先日 お話した フジテレビ リアルスコープの 放映日が

11月29日に 決まりました。

「新幹線 vs ヘリコプター」 どっちが速い?

勝負の 見所を 話してほしい とのことでした

新幹線は 通常運行ですから 勝負 とは?

ちょっと無理な 企画と 感じつつ コメントしました

お時間が ありましたら ご覧下さい。

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祝・東海道新幹線開業50周年

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年10月 1日 05:07

1964年10月1日6:00
東京駅から「ひかり1号」、新大阪駅からは「ひかり2号」の一番列車が出発。

50年前の本日、今や世界的に通用する言葉である「SHINKANSEN」が開業した。
日本では「夢の超特急」と呼ばれ、その呼称は未知なる速度への憧れのシンボルでもあった…

いま乗務日誌を綴っているこの時間、当時の一番列車のハンドルを握る運転士の緊張や興奮、不安、プレッシャーは計り知れないものであったと思う。

車掌長はいま、そんな運転士の心情を想像し、感情移入しながら…
心静かに…
東海道新幹線の開業50周年を迎えた朝を祝福している。

今では当たり前になった、下りが奇数、上りが偶数を付される列車番号も、東海道新幹線に導入されたもの。
在来線にも取り入れられたのは、14年後の1978年。
歌手の狩人が歌った、新宿8時ちょうど発の「あずさ2号」が存在しなくなったのは、この時からであった。

そんな昔を懐かしむ、覚えている方も多くいらっしゃると思うが、今日の話題の主役は「東海道新幹線」なので話を戻そう。

新幹線が凄いのは、進化し続ける速度や快適性はもちろんだが、何よりも「安全」に50年間運行されてきたこと。衝突や脱線、火災などの列車事故による乗客死傷ゼロは、素晴らしい実績だ。

この輝かしい実績の源泉とも言えるものが東京駅にある。
「東海道新幹線この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」という銘板だ。

この言葉はとても力強く、心に沁みる「何か」がある気がしてならない。

そして、いまも受け継がれるその精神こそが、全国に広がる新幹線網の安全を担保し、世界中からの賞賛と信頼を受け、魅力を高めているのであろう。

ところで、新幹線の建設及び開業に尽力した方はたくさんおられると思うが、その中でも当時の国鉄総裁だった十河(そごう)信二氏と、国鉄技師長だった島秀雄氏の功績・功労は忘れてはならない。

両氏とも新幹線建設費が当初の予定を超過した責任を感じ、開業前年に国鉄を退職されている。
しかも、開業の記念式典には招待されず、お二人ともテレビの前でその様子を見ていたという…

島秀雄氏の名言に次のような言葉がある。

「新幹線は事故を起こしません。そのように作ってありますから」と。

どんな分野の仕事でもよいが、このような言葉を発せられるプライドは、凡人には持てない…
しかしながら、車掌長も東海道新幹線開業50周年を1つの節目として区切りをつけ、新しい「何か」を見つけたいという気持ちを抱くことができた。

次の50年間という時間の中で、もしかしたら開業100周年の新幹線の姿を、車掌長は見られないかもしれないが、ささやかなものでいいから、「何か」を残せれば本望だ。

開業50周年の節目、当車掌区に飾ってある大人の超合金「夢の超特急 新幹線0系」が、いつもよりひときわ輝いて目に映った。

 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2014年10月 5日 22:29投稿)

こんばんは
久しぶりの乗車です。

本日10月5日は、時刻表記念日だそうですね。
1894(明治27)年10月5日に日本初の本格的な時刻表「汽車汽船旅行案内」が発行されて120年目を迎えるそうです。

ところで、新幹線開業当時の国鉄総裁といいますと、石田禮助氏ですね。
私は城山三郎氏の著書「粗にして野だが卑ではない」を読んで、石田総裁の魅力に少なからず影響を受けました。
ただ、新幹線に対しては、かなり慎重だったようです。

新幹線50周年の節目である10月1日、私も新たな節目を迎えました。


車掌長さんからのコメント(2014年10月 6日 04:46投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

仰る通り、10月5日は「時刻表記念日」です!
ちょうど120年の節目にあたりますが、今年は東京駅の開業も100周年を12月に迎えます。

今年は周年を迎える出来事が多く、特に50年や100年と言った大きな節目が目立つのも特徴です。

時代的には、大正3年、昭和39年となりますが、どちらも明治からの移行期や高度経済成長期という、世の中が激しく動き、文化や価値観、生活様式が一変するような頃だったのだろう…と想像します。

未来になって、いま私ども暮らす時代は、どのように振り返えられ、語られるのでしょうか…そんなことを考えるのも面白いものです。

決して、暗い時代の幕開け…などとならぬ、平和な時代であることを願うばかりです。
そして、未来を担う今の子どもたちが温かく見守られる社会になることを切に希望します。

いつの時代から、赤ちゃんの泣き声や子どもの遊ぶ声がうるさいなどと、声高に言われる世の中になってしまったのか…
個人の快適性、利便性ばかりを追求する弊害が、現れているように感じます。

100年、50年前の世の中とは比較にならないほど、物質的には豊かになりましたが、精神的には逆に、傲慢になったり、貧困になったと思わされます。

これからの時代、心の「在り方」や「置き方」に、モノでは代替できない豊かさを感じるヒントがあるように気づき始めました…

余談ですが、JTB時刻表の創刊号となる「汽車時間表」は、1925(大正14)春の4月号から現在に至っています。

ところで、「祖にして野だが卑ではない」は知りませんでした。
城山三郎氏と言えば、すぐに「臨3311に乗れ」を思い出してしまいますが、ぜひ読ませていただきます。

ご紹介、ありがとうございました。

それにしても、希望者挙手さんには、色々なことを教わり日々刺激を受けております。
先日この乗務日誌で教えていただいた「孤独のグルメ」も、録画して毎回見るようになり、専務車掌と一緒に楽しく見ております。

末筆ながら、希望者挙手さんの「新たな節目」、お察しがつきます。
ぜひ、祝杯しましょう!

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湯るり揺られ緩みっぱなしの旅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年9月29日 04:46

これで直江津を通ったのは5回目…

直江津駅は新潟県上越地方の交通の要衝であり、JR東日本と西日本の境界点でもある。
現在は金沢・富山などの北陸方面と、首都圏ならびに新潟圏を結ぶ特急列車が頻繁に行き交い、ホームでは駅弁を売る姿も見受けられ、人の往来の多さを物語っている。

しかしながら、そんな光景も来春の北陸新幹線開業で様変わりしてしまうだろう…

9月最後の週末、車掌長が所属する温泉達人会の分科会「鉄&温泉委員会」主催の旅に参加した。
泉質の分析表とは別の「鉄分」が多い同好者の集まりで、年2回さまざまなテーマで鉄分を体内に補充している。

今回は、北陸新幹線開業で消えてゆくものを訪ねては、現風景を記録や記憶に残しつつ、沿線の湯も楽しむ旅となった。

全てを書き記すことは締りがなくなるので遠慮しておくが、訪れた箇所を列記しておきたい。

(鉄道関係)
①北越急行ほくほく線「はくたか」乗車と「美佐島駅」探訪
②北陸本線「筒石駅」探訪
③信越本線普通列車「妙高」乗車
⑤「二本木駅」スイッチバック
⑥「脇野田駅」駅舎と「上越妙高駅」
⑦快速「くびきの」乗車
⑧直江津駅弁調整元ハイマートの「鱈めし」ほか

(温泉)
①門前の湯(直江津)
②燕温泉(河原の湯、黄金の湯、宿泊先の湯)
③寺宝温泉(長岡)
④西谷温泉(長岡)
⑤糸魚川温泉

と、このような箇所を鉄道を使って1泊2日で周ってきた。

この場で個々の列車や駅、温泉などの印象や感想は、またの機会としておきたい。
おそらく、名称を見ただけではどのような場所か想像がつかない方が多いと思う。
お手数をかけて大変恐縮ではあるが、ぜひネット検索等で追体験をしていただければ幸いだ。

それにしても、2日間好天に恵まれ気分も良く、列車に乗るごと、温泉に入るごとに、ビールや酒を飲む12名の一行が、緻密なスケジュールを消化できたことは良かった。

これもT委員長をはじめ同行者の一糸乱れぬ(!?)行動と意識の現れか…ということにしておこう。

この場を借りて、T委員長の各方面へのご尽力と、参加された同好・同行の皆様、そして何よりも毎度このような旅に出張許可を出してくださる専務車掌に、心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました
 

三笠鉄道トロッコ体験(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年8月20日 04:17

4時頃に目を覚まさせ、ある景色を楽しむために、12号車のラウンジカーへ向かった。

この時間帯は進行方向が変わり、12号車が最後尾となるため、後方展望が誰でも楽しめるからだ。
12号車の扉が開くと、既に10名ほどの先客がいた。

青函トンネルを抜けると、心配していたお天気は良好で青空が見えた。
ラウンジにいた客はみんな、後方展望を思い思いに写真に撮っていた。
北海道新幹線工事の進捗状況もうかがえ、新しい駅らしき構造物も確認できた。

昨夜の福島県内での大雨の影響で、1時間ほど遅れているようで、函館には6時過ぎに到着。
慌ただしく機関車を付け替え、すぐに出発。ここで進行方向が再び上野を出た時に戻る。
隣のホームには、後で追い抜かれる特急ス―パー北斗が出発を見送ってくれた。

函館を出て間もなく、朝食となる駅弁を車内販売で調達した。
朝日に輝く噴火湾を車窓に、3人で朝食。
個室内はまだベッドの状態とし、狭いながらも車掌見習がウロウロするには好都合であった。

専務車掌に昨夜は眠れたか確認すると、答えは「No」!
寝相の悪い車掌見習が、ベッドから落ちないようブロックするのに何度も起きたという。
朝食後、札幌へはまだ時間があるので、車掌見習と車内探検に出かけ、しばし眠れる時間をとってもらった。

10:45、遅れは取り戻せないまま、カシオペアは札幌駅に到着。
ここからは、レンタカーでの行動。
先ずは、今日の観光スポットを目指し、道央自動車道へ入った。

観光スポットとは言っても、市販のガイドブックに取り上げられるような場所へ行くことは稀だ。
日常が喧騒の中にいるせいか、旅行に来てまで人混みやモノを売ることだけに熱心な商業施設には、極力距離を置きたいと願っている。

そうなれば、「○○ぶ」や「○っ○る」などの大手ガイドブックに取り上げられるスポットは、自ずと対象外となってしまうことが多い。

特に、ここ10年ほど前からか…ガイドブックのクオリティの低下には目を背けたいものがある…
広告がメイン?!と思うような、いわゆる「PR誌」化だ。

自然景勝や歴史・文化的施設、伝統の味覚等といった、本来の旅の醍醐味は二の次のように肩身の狭い掲載スペースしか割かれず、流行り廃りの激しいグルメや新店舗、その土地との縁や由来とを、無理やりこじつけたようなキャラクター商品の紹介が幅を利かせている。

言い換えれば、それらが今の旅行者の「ニーズ」なのかもしれない。
しかしながら、「ニーズ」は流行と同じで、恣意(しい)的に作られるものだと常々思っている…

そのような、商業的に作り出される旅行の「楽しみ」や「目的」を、多くの人は同じ情報源(ガイドブック)を頼りに旅をしていることになるであろう。
また、巻頭で特集されるようなスポットには、人が偏って集まるという現象が起きるであろう。

そして、人々はそうした混雑するスポットを訪れて「安心」するのだと感じてしまう…
だが、渋滞や駐車場待ち、行列、人混み、喧騒etc…疲労感と引き換えに得た「想い出」の賞味期間が、いかほどのものかは疑問だ。

つまり、時間を消費しただけの観光というものは、記憶から消える時間も意外に短いのではないだろうか…

話が脱線したが、哲×鉄車掌区では、そのようなスポットとは無縁な三笠市を訪れた。
ここには、廃線となった旧幌内(ほろない)線の一部を、自分でトロッコの運転を楽しめる施設があり、以前から訪問を楽しみにしていた。

知る人ぞ知る「人気スポット!?」と思っていたが、哲×鉄車掌区以外に、別の親子3名の計2組しかいなかった。
待ち時間無しで、ワクワクする体験が始まろうとしていた。

哲×鉄車掌区では、受付場所からトロッコ乗り場まで500mほどあるというので、送迎をお願いした。(別料金)
これがまた愉快!
タイで三輪タクシーとして使われる「トゥクトゥク」であった。タイからの直輸入とのこと。

乗り場へ到着すると、トロッコ運転操作の入念なレクチャーがあった。
片道2.5㎞のコースには、勾配があったり、踏切が7ヶ所あるという。
特に、踏切ではトロッコ側に一時停止の義務があるそうで、必ず停まるよう何度も念を押された。

座席は前後2列で、前に同乗者、後が運転者となる。
運転操作自体はシンプルで、自転車に乗るような感覚で、ハンドル右手にアクセルレバーがあり、ブレーキは股の間に棒状のものがあって、それを上に引っ張り制止させる。

エンジンをかけてもらい、いざ出発!
徐々にアクセルレバーを開くと、ゆっくりと前進を始めた。
この感覚と、音、振動、視界、風…どれも想像以上に興奮してしまった。

1987年まで実際に使われていたレールの上を、自分で運転するトロッコで走る醍醐味は格別だ。
木立を抜けると1つ目の踏切があり、徐行開始。
ブレーキを早め早めにかけないと、停止線で止まれないという係員の説明を、実際の感触で確認できた。

車が来ないか左右確認し、再びアクセルを開く。
コース上の踏切がアクセントとなり、停止&出発の操作が楽しい。

なお、アクセルは最大でも半分ほどしか開かなかった。
それでも速さは十分で、これ以上は同乗者が怖さを覚えるスピードになると判断した。
おそらく、この揺れ具合も、実際のスピードよりも速さを感じさせたのかもしれない。

気温25℃前後のカラッとした空気の中、屋根が無く簡易な柵のみの「ムキ出し」のトロッコで、風を受けて走る…
単調なレールの音と振動が気持ちよかったのか、車掌見習は眠ってしまった。

折り返し地点では、可愛いターンテーブルがあって、トロッコを方向転換。
来た道を再び戻るが、復路はずっと下り坂で、更に慎重なブレーキ操作が求められた。

帰りは周りの景色を眺める余裕もあった。
炭鉱で栄えた頃の独特な集合住宅など、「ヤマ」の面影の断片を垣間見た。
このレールの上を、採掘された石炭を満載にした貨物が走り、北海道の主要港湾とを結んでいた歴史に想いを馳せた…

かくして、30分ほどの往復5㎞の夢のような体験は、あっという間に終わった。
このような廃線跡を活用しての施設運営には、様々なご苦労があると察するが、三笠トロッコ鉄道の皆様には心から感謝したい。

ちなみに、このトロッコ体験は自動車運転免許証が必要で、運転者は1,500円、同乗者は1,200円であった。
 

リベンジ・カシオペア(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2014年8月16日 19:25

8月8日(金)15:35分、上野駅13番線。

札幌行の寝台特急カシオペアが、展望スィート室を先頭に推進運転で入線した。
客車編成の列車ならではの、このような入線光景も、いずれ見られなくなってしまう…

それはそれで誠に残念であるが、目下(もっか)のところ、その姿を確認できた喜びの方が大きかった。
何故ならば、昨夏に大雨の影響で函館本線が不通となり、乗車当日直前に乗れなかった雪辱が晴れる想いに包まれたからだ。

今回も嫌な予兆はあった。
台風12号の影響で2日前のカシオペアや北斗星、トワイライトエクスプレスが運休…
その後、台風11号がゆっくりと日本に近づき、前線を刺激するような予報もあった。

念のため、今回もカシオペアが運休になった時に備え、乗車前日に羽田発新千歳行の飛行機を予約した。
この時点で予約できるのは普通運賃の席しかないため、購入さえしなければ搭乗当日の直前に取り消しをしても、キャンセル料はかからないという普通運賃の利点を、安心のために担保とした。

カシオペアの出発時刻は16:20。
それまでの45分間に、やりたいことは幾つかあった。
最後尾、最前部での記念撮影、シャワーカードの購入など。

しかし、ここで想定外のことが勃発!
3号車でのシャワーカード購入に長蛇の列ができ、購入するのに30分も費やしてしまった…
これは痛いロスタイムであった。

そして、最後尾での記念撮影は諦め、先に今晩利用する個室へ入っていてもらった専務車掌のいる号車へ急いだ。
せめて、先頭機関車での記念撮影だけでも、と思って個室に入ったら、ブラインドが降りて室内が薄暗かった。

専務車掌に理由を尋ねると、なんと!
車掌見習の「電車嫌い疑惑」が浮上した…
電車が見えると、怖がるというのである。

そういえば…自宅最寄駅から上野駅へ向かう際、車掌見習を抱っこしてホームで電車を待っていた時のこと。
電車が入ってくると、車掌見習がパッと車掌長の手を自分の目のところへ持ってきて、目隠しのような状態にする仕草を目の当たりにしてしまった。

専務車掌に聞くと、電車で出かけると「いつもそうヨ」とのこと…

仕方なく、電気機関車のみを撮影に個室を出た車掌長であった。

16:20、定刻発車。
まずは、上野駅で購入したスパークリングワインで、専務車掌と乾杯!
電車では味わえない、「客車」の独特な乗り心地を楽しみながら、出発の余韻に浸った。

今宵は、ダイニングカーでの食事も予約してあった。
カシオペアの運命がもっと長ければ、今回は車掌見習も幼いので、慌てて利用することもなかったが、北海道新幹線開業と共に廃止となれば、乗れた時に食堂車も利用しておかなくては…と考えた。

ディナータイムは20:10スタート。これがまた、微妙な時間であった。
日常、車掌見習は20:30~21:00頃に寝るからだ。

ダイニングカーで眠くてぐずられたら、せっかくの時間も台無しになってしまう。
打つ手はディナータイムまでに眠らせることしかないと、専務車掌と事前に業務確認を行っていた。

かくして、先頭12号車のラウンジカーで、沢山歩かせたり、遊ばせることに時間を割いた結果、20時前に無事就寝。車掌長が抱っこ紐姿で粛々と、ダイニングカー入室を果たすことができた。

案内された席は、最奥の2名向い合せの窓側席。
メニューは二人とも「カシオペア懐石御膳」。

いまや日本で食堂車を連結する列車は、他に北斗星とトワイライトエクスプレスのみ…
この列車内で食事を楽しむという時間、シチュエーションが、JR民営化以降に廃(すた)れてきたのは、日本の鉄道文化の損失だと痛感する…

スピードや効率性、合理性、汎用性を追及しすぎた副作用だろうか、日本人の心に「遊び」や「余裕」といった「のりしろ」が、随分と擦り減ってしまったように思う。
食堂車での食事など、面倒で無駄な行為なのだという考えの人の方が多いのであろう。

食事を終えると仙台辺りのはずだが、ふと停車している駅を見ると、福島駅であった。
福島県内の大雨の影響で、先行列車が安全確認をしているとのこと。

無論、急ぐ旅ではないのでNo problemである。

 

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