旅立ちはいつも夜行列車

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年12月 5日 05:09

今朝の某新聞の別刷特集版に、尊敬する松本零士氏のエピソードが掲載されていた。

毎週土曜、この欄には「みちものがたり」として、様々な道とゆかりの人物を紹介し、楽しみにしている。
今回の道は「大銀河本線」として、長編SF漫画「銀河鉄道999」と同氏を紹介していた。

記事は、松本零士氏が少年時代を過ごした福岡県小倉市での想い出が中心。
当時、自宅だったオンボロ長屋の眼の前を通る鹿児島本線の蒸気機関車が、銀河鉄道999の着想だったようだ。

そして、メガロポリス駅を旅立つ999が、宇宙へ駆け上がるレールの傾斜角度は、自宅から見えた足立山の稜線であったことも書かれていた。

氏いわく、「旅立ちは、夜行列車と決まっている」と…

これは車掌長の心の琴線に触れるフレーズだ。

銀河鉄道999も、旅立ちは午前零時。
この出発駅「メガロポリス中央駅」は、もしや、門司港駅がモデルか…と妄想を膨らませた。

そして、漫画においては地球を離れ「宇宙トンネル」へと入るシーンがあるが、それは関門トンネルと重なっているとのこと。

この話しの設定は、まさに前々回の乗務日誌にも記した「結界」そのものだと実感した。

氏は、高校卒業後すぐに上京し、東京駅に降り立ったのは、出発から24時間後だったと…
そして、その旅立ちや車内の道中で、「成功するまで、戻らない」との決意を胸にしたそうだ。

夜行列車というのは、今日では、もはや幻の列車になりつつある。

車掌長も少年時代に、周遊券や一筆書きの片道乗車券を手に、いつも夜行列車で旅立った。
まだ、寝台列車など「高嶺の花」的な存在で、自由席で一夜を過ごす座席を確保するために、出発の数時間前からホームで並んで待った際、先行するブルーの車体の長い編成は眩しく憧れだった。

そういえば、先日、某JR社が2017年から運行する豪華寝台列車の話題を新聞で読んだ。
その列車のツアー代は、1人約60万円~だという。

車掌長は、富裕層相手にそういう列車があっても良いが、一般の人が普通に駅で切符を買って乗れる、夜行列車や寝台列車との共存を望んでいる。

そして、乗車券一枚で未知な世界へ自分を運んでくれた「夜行列車」こそ、お金に換算できない「価値」があったと思う。

それは、自分と向き合う時間や顧(かえり)みる心、乗り合わせた客との狭小スペースの分かち合いや譲る思いやり、一期一会の出逢いと別れ…

己だけが快適空間を求め、それを阻む他者を排除する思考や言動とは、正反対の価値観があった。

豪華寝台列車とは、60万円以上の大金を払える人が、その対価として「当然のおもてなし」や「過剰なサービス」、「お仕着せの観光コース」を、客とクルーが金銭的な主従関係で触れ合えたという、満足や錯覚に浸れるだけのことなのだろう。

過去、巷の夜行列車には、豪華寝台列車では享受できない経験や時間、人々とのやりとり、教訓、学びを乗せて、日本中の闇の鉄路を駆け巡っていたと思う。

願わくば、いつの時代でも、夜行列車の経験を子供たちが味わえるよう、残してもらいたかった。

きっと、そんな夜行列車の体験は、将来の日本を複眼かつ俯瞰的にとらえ、世の中を担い、時代を築く世代の、貴重な心の礎や価値観になったはずだ…

松本零士氏の言葉に共感し、夜行列車復活の願いを託す朝であった。

 

JAPAN RAIL PASS

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年11月29日 06:43

先日、たまたま見ていた情報番組で「ジャパン・レイル・パス」を取り上げていた。

このパスは聞き慣れない方もいらっしゃると思うが、訪日外国人が利用できるJR周遊券。
「のぞみ」や「みずほ」に乗れない等の例外はあるが、基本的には全国のJRの新幹線や特急を、一定期間乗り放題となる切符だ。

この切符は国鉄時代からあり、車掌長もそんな切符を買える外国人が大変羨ましかった。
今まではさほど話題にならなかったが、近年の訪日外国人増加に伴い、今回取り上げられたのだと思う。

番組内容は、外国人観光客は「移動時間の長さを厭(いと)わない」という趣旨。
そして、そんな外国人を誘客し観光してもらいたいという、某自治体の取り組みの紹介だった。

具体的には、フランスでワインを作っている或る外国人を例に、取引先の招待で訪れた日本で、仕事を終えて帰国までの時間を北海道へ足を延ばし、地元ワインを楽しむというものであった。

先ず、東京から北海道まで鉄道で移動する。
来春になれば、北海道新幹線が函館まで開業し約4時間で結ばれるが、現在は東北新幹線「はやぶさ」を利用し、新青森で在来線特急に乗り換えても6時間は要する。

日本人の多くは、東京から北海道への移動手段に空路を選ぶだろう。
だが、このフランス人は、「鉄道に乗って景色を眺めながら、どれくらいの距離があるのか感じたい」と語っていた。

日本人の同行記者は、その移動時間を長く感じたようだが、そのフランス人は「行程を楽しめた」と満足そうであった。
そして、格安の周遊券を利用して浮いたお金を、レストランでの美味しい食事やワインに充てることができ、更に心が満たされたとコメントしていた。

そんな内容が、僅かな時間で過ぎ去った短い番組であったが、これは今の日本人が享受しがたい、とても豊かな旅の時間の使い方だと思った。

日本の国民性もあるが、移動時間は極力短い方が歓迎される。
それは、取得休暇や出張自体に、時間的にも精神的にも余裕がないことも一因であろう。

その結果、日本人の旅の楽しみ方は、概ねパターン化されたり、価値観が均一化されてゆく…
そのトレンドは、とにかく短時間で、移動も観光も宿泊、グルメ、土産…と、貪欲に慌ただしく時間を消費し、ほんの瞬きほどの物欲を充足させているのかもしれない。

そして、その充足感は持続性や賞味期間も短く、自分の栄養として取り込めないまま消化不良で、次の旅の消費欲へと意識が移ろいでゆくのだろう…

しかしながら、このフランス人の旅は本質的な価値観や目的が違う。

本来の「旅」は、移動時間という舞台装置があって、自分自身を「日常」から「非日常」へと、気持ちや思考を切り替えられるからこそ、旅行後の自分の栄養になるのだと、車掌長は考える。

言い換えると、旅の移動時間というものは、神社の「参道」のような存在なのかもしれない。
そのどこかに、鳥居のような結界点があり、自分自身を「非日常」へ誘う仕掛けだと思える。

今回の例を車掌長に当てはめれば、青函トンネルが「結界」と言える。

長いトンネルを潜(くぐ)れば、何か未知な景色や驚き、発見、出逢いがあるように思えてくる。

そして、移動時間が長いほど、その感動や実感は「旅」をリアルな自分自身に近づけてくれたり、認識させてくれることだろう。
「あぁ、自分はこういうことを考えていたり、心地良いと思ったり、心が満たされるのか…」と。

飛行機で1時間半ほどで着いてしまった北海道であれば、まだ「日常の自分」のままであり、日常と変わらない物欲や精神状態で物事や時間を消費してしまう。

それは、居住地や勤務先でしている行動を、旅先に移してやっているだけと変わりない。

旅の醍醐味や価値観は、もちろん人それぞれで結構なのだが、移動時間を楽しめる外国人の心持ちと時間の余裕には、共感するものが多々あった。

 

いざさらば、「国鉄色」特急

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年10月18日 06:10

先日、新聞で「国鉄色」の塗装を施した、定期運行最後の特急列車の引退を目にした。

その列車は「こうのとり」と「きのさき」で、最終運行は10月30日。
「国鉄色の特急」と言って、ピンと来たり懐かしいと思われるとしたら、一般的に30代後半以上の方々であろう。

クリーム色に赤いラインは、国鉄時代の特急列車を象徴する塗色。
「国鉄車両関係色見本帳」に則して言えば、クリーム4号・赤2号となる。

この色の組み合わせは、1958年に電車特急としてデビューした151系「こだま」に採用され、以降、電車及び気動車の「国鉄特急色」の歴史が始まった。

しかしながら、その歴史にもいよいよ幕が下りる…

車掌長が小・中学生の頃、東京や上野、新宿等のターミナル駅で、特急や急行列車が次々と出入りする光景は、興奮するほど楽しく飽きない時間だった。

JR発足後、各社オリジナルの塗装が巷に溢れたが、当初は既存の国鉄車両に無理やりド派手な化粧をされたようで、多くが奇抜だったり、チグハグな感じで、そんな塗装になった車両達が可哀想でならなかった。

やがて、車両自体も各社で製造されるようになると、人間工学を採り入れた新設計の下、座席改良やバリアフリー化も実施され、乗り心地、利便性、静寂性、加速性能は格段に良くなった。

それは、圧倒的多数の人々にとっては喜ばしいことであり、それが時代の進歩というべきだろう。

だが、多感な小・中・高校時代に、最も鉄道旅行を楽しんだ車掌長にしてみると、そういう実利的な車両よりも、日本の風景に自然と溶け込む秀逸な色合いの「国鉄色車両」や、決して速くもなく、振動やノイズもそれなりにあったが、「頑張って走っている」という、何か人間的な感性や共感に値する魅力が当時の列車にはあった。

内装や装具も金属丸出しで、武骨で美的ではなかったが、そこに乗り合わせる人々には、気遣いの温かみや一期一会的なひとときのコミュニケーションを楽しむ、心の余裕というものが、ごく普通に存在した。

現代の「個」の時間や空間を優先するあまり、他者への関心や配慮を「なおざり」や「おざなり」にしてしまう世の中とは、明らかに違う優しい時間が流れていたと思う…

しかしながら、そのような感慨は、時を経て良い面だけが自分の中で美化され、記憶の引き出しに収納され始めたことの現れなのかもしれない。

思い返せば、その頃は、駅や列車を取り巻く環境に負の一面もあった。
それは、前述の車内の温かみが確かに存在した一方で、車内にゴミは散乱し、駅の便所も汚く、ホームから捨てられたタバコの吸い殻も酷い状態だったからだ。

国鉄色の特急は、これで定期運行から姿を消すが、それは思考的にも、1つの時代が終わる、区切りをつけることを余儀なくされる、可視的なセレモニーなのかもしれない。

今後は、夜行列車や寝台列車とともに、国鉄色の車両も、美化された記憶の中で、車掌長の脳裏を永遠に走り続けるのだろう…

いざさらば、「国鉄色」特急

さらば、少年時代の愛しき日本の「原風景」…

アンパンマン列車初乗車(哲×鉄車掌区慰安旅行)

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年8月 4日 05:11

今夏の哲×鉄車掌区慰安旅行の行先は四国・高知。

慰安旅行の手配開始は、例年3月頃。
概ね半年前に立案するが、当初は山口県萩市で行われる花火大会を軸に考えていた。

それは、車掌見習に「初花火」を見せてあげたかったからだ。
実際、花火を真正面で見られる宿も早々に予約していた。

しかしながら、GW前後に急遽、行先を高知に変更した。
それは、車掌見習のマイブームが、「アンパンマン」であったからだ。

花火は翌年以降でもどこかで見るチャンスはあるが、アンパンマン大好きの「旬」は来夏も続いているとは限らない…○○レンジャーとかに興味が変わっているかもしれない…

専務車掌と相談の上、旅のテーマは「アンパンマン」に変更&決定した。

せっかく取った花火特等席の宿をキャンセルするのも惜しかったので、母が毎年行っている旧友との旅行を企画し、譲ることにした。

行先を高知にした理由は2つ。
1つ目は、アンパンマン列車の「アンパンマンシート」乗車。
2つ目は、アンパンマンミュージアムと隣接ホテルの「アンパンマンルーム」宿泊。

そして、これら旅の「目玉」は旅程初日にセットして、車掌見習の「旅心醸造」を画策した。
何事も、初めが肝心…

初日でいきなり飽きられたり、つまづくと、2日目以降に影響を及ぼしたり、ひいては来夏の旅行にも影を落とすことになりかねない…と判断した。

7月30日(木)、羽田空港から岡山空港まで飛行機で移動。
飛行機も大好きな車掌見習は、空港で沢山の飛行機を目の当たりにしてハイテンション。

いよいよ"哲×鉄車掌区慰安旅行2015"が始まった。

ANA651便は、最後尾の2人掛を事前指定。
車掌見習と飛行機に乗る際は、ここが定席となった。

岡山空港には定刻の8:40着、ここからは9時発のリムジンバスで岡山駅へと向かった。
今朝は起床が早かったので、車中で専務車掌と車掌見習はZZZ…

岡山駅には9:30に着いた。
アンパンマン列車乗車までは時間があったので、コインロッカーに荷物を預ける。
さて、どこに行こうか…?と思案し、駅前から出ている市電に乗って市内散策でも…と考えた。

だが、駅前広場に出てその考えは崩壊した。
とにかく暑くて暑くて…犬猿を連れた銅像の桃太郎さんもシンドそうに目に映った。

代わりに目に飛び込んだのは、アーケード街。
ここを通ることにし、アテもなく歩き始めた。

アーケードが終わり、小川を渡ると、左手に「岡ビル百貨店」という、昭和の雰囲気をヒシヒシと感じさせる建物を発見。迷わず、そちらへ進路を変更した。

まだ時間が早かったせいか、あまり店が開いておらず、外観を眺めてレトロさを味わった。
すると、近くに野田屋町公園があり、気の利いた木陰もあったので、そこで車掌見習をしばし遊ばせた。

駅に戻り、アンパンマン列車の待つ6番線へ向かった。
お目当ての特急南風7号は、既に入線していた。

車掌見習は列車を見つけるや、車体側面の大きなアンパンマンと目が合い、なんだか照れくさそうな表情をしつつも、次第にジャンプしたり喜びの舞い!?をし始めた。

前方1号車で記念撮影をしていたら、隣のホームにはアンパンマントロッコが入線!
車掌見習はすぐさまそちらへ駆け寄り、車体に描かれたアンパンマンやドキンちゃんにハイタッチをした。

こんなに喜んでもらえるなら、この瞬間だけで行先を高知にした目的が報われた想いであった。

乗車前にだいぶホームで楽しんでしまったが、これからがアンパンマン列車の醍醐味「アンパンマンシート」だ。
車内に入ると、1つ1つのシートにアンパンマンが描かれお出迎え!

車掌見習は頬ずりして座ったり、立ったりを繰り返し、自分の席以外でも同じようなことをしていた。

このアンパンマンシートは限られた席数で、1号車半分のスペースに16席しかない。
この16席の指定席は人気も高く、今回は懇意にしている旅行会社さんに取っていただき大感謝だ。

11:05にアンパンマン列車は出発。
瀬戸大橋も軽快に走り抜け、ほどなく四国入りをした。

JR四国の特急には、一部の特急の部分区間ながらワゴンでの車内販売が健在だ。
コンビニの駅構内台頭で、乗車前に弁当や飲み物を買い済ませる人が増え、車内販売が続々姿を消しているが、旅に出てまで日常と同じ看板のコンビニで、代わり映えのしない商品を手にし口にするのは、旅情も随分と貧しくなったと感じてしまう…

乗車した特急南風7号の場合、車内販売のワゴンが積み込まれるのは、11:47発の丸亀駅。
そして、12:05着の琴平駅でワゴンは降りてしまう。わずか22分間の営業だ。
車内販売が行われているのは嬉しいが、これでは全車両に回ることは困難であろう。

色々調べたら、ワゴンは1号車前半分のグリーン車から販売開始することがわかった。
アンパンマンシートは1号車後半分であるから、まずワゴンが来ないことはない。

あとは、今回お目当ての「アンパンマン弁当」と「げんき100倍アンパンマン弁当」が、買えるかどうか…
万一に備え、高松の販売業者に確認したら予約可能とのことで、1週間前に申し込んでおいた。

実際、ワゴンがアンパンマンシートに入ってくると、瞬く間に両弁当が眼の前で売れていき、自席は最後列の4列目だったので予約していなかったら、ヒヤヒヤであった。

両弁当を見て車掌見習は、パチパチと拍手をした。

食後、車掌見習は午睡…
寝息を立てる車掌見習を腕に抱えつつ、食べ残した弁当や他に買った駅弁を専務車掌と頬張った。

列車は山間部に入り、大歩危・小歩危の景勝地を走っていた。
切り立った急峻な渓谷をなぞるように走るので、ついつい車窓に目が釘づけになってしまう。

やがて、平野部に入り家屋の隙間が少なくなった。高架線になると高知駅も近い。
13:40、無事高知駅に到着した。
 

コメント(2件)

希望者挙手さんからのコメント(2015年8月 4日 22:46投稿)

ご無沙汰しております。

我家の娘たちが幼かった頃、キティちゃんホテルに宿泊したことを思い出しました。
ホテルの近くでクワガタムシを捕まえて喜んでいた娘は、今では虫が大嫌いですから(笑
子供心はどんどん変わっていきますね。

また、大分にあるサンリオの遊園地ハーモニーランドに飛行機で行った際は、ポケモンジェットを予約したにもかかわらず、急きょノーマル仕様に機材変更となり、がっかりした苦い思い出もありますね(笑

車掌見習くんが興奮している姿が目に浮かぶようです。
ぜひ、楽しい慰安旅行を!

車掌長さんからのコメント(2015年8月 7日 06:01投稿)

希望者挙手 様

毎度ご乗車ありがとうございます

8/4から関西方面へ出張があり、昨夜戻ってまいりました。
お返事が遅くなり申し訳ございませんでした。

キティちゃん、良いですね!
キティちゃんも40歳を超え(というと夢がありませんが…笑)、子どもから大人まで、世界中で愛されるキャラクターになりました。

たしかに、子どもの興味や関心の移ろいは早いですよネ。
その時期、その時期、好きであったり夢中になっていたものが、他のものに変わってしまうのは、ごく普通なのだと思います。

しかしながら、何歳になっても、つまり子どもであろうと、大人であろうとも、何か「好きなもの」を持っていることは大切だと感じます。

子どもであれば勉強、大人であれば仕事というものは、あまり面白いものではありませんが、それらの息抜きとして「好きなもの」が支えになったり、励みになることは多くの方々にそんな経験があろうかと思います。

大人は嫌でも仕事をしなければ、食べてゆけませんから切実ですが、子どもは嫌いな勉強から逃避したり放置しても、とりあえず家にいれば食べてはゆけるので、親の心配は関知せず…という困った事態が起こります。

願わくば、子どもが「好きなもの」やその発展、延長にある大人の「趣味」という居心地の良い世界が、現実の厳しい日本社会や日常生活を、さほど苦にせず生きてゆけるような「力」に転化してもらいたいものです。

但し、その居心地の良い世界だけに留まるのは、本末転倒です。

あくまで、車の両輪と同じで、バランスよく両立しなくてはなりません。

たとえ話としてふさわしいかわかりませんが、子どもが「好きなもの」や「遊び」という栄養を、どのように与えると、どのように消化され、排泄されるのかを観察することが、涵養なのではないだろうか…と最近思うのです。

やみくもに色々な栄養(含む玩具)を与えても、子どもがそれを消化する具合や速度、栄養としての取り込みが、結果として親の許容したり望む「成長」になっているのかどうか…

そして、その排泄物は、他人や社会へ迷惑をかけるようなものでなく、自然に帰化できたり、何か再利用できるような好循環をもたらすものかどうか…

最近はそんな風に、子育てを楽しんだり悩んだり、心配しつつも、客観的に観察している自分に気づきます。

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或る痛車

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2015年7月18日 05:26

「痛いな…」

その列車を見た感想だ。
100年以上前に造られ、ほとんど営業運転されず「幻の豪華客車」を蘇らすと聞いた当初は、ロマンがあって良いなと思った。

しかしながら、いざ公開された写真やコンセプト、乗車料金を見ると、それは落胆に変わった。
「なんだ、また金持ち相手の列車か…」と。

乗るのに何十万も必要とする豪華寝台列車や、金ピカの車内で軽食(おやつ)を摂るのに2万円以上するとは、鉄道も随分と敷居が高くなったものだ。

「世界に誇る」とは「世界はカネ」だ…とも聞こえてしまう。

これだけ物質的に豊かになった時代に、更に貪欲に「豪華さ」を求めたいという、心の貧困さが通底しているようにも見受けられる。

内装は特注品で制作に何億円かけたとか、拝金主義の臭いが拭えない。

また、この外観の車両が沿線を走る情景に馴染むかも疑問だ。
この手の列車なら山手線を何周も走った方が、注目度も高く乗る者の優越感をくすぐってくれるように思う。

と、冒頭から酷評したが、運行する鉄道会社や手掛けたデザイナーに嫌悪しているわけではない。

こうしたものを「有難がる」風潮が、残念なだけだ。

話は飛躍して申し訳ない。
白紙に戻った新国立競技場建設しかりだが、かけた金額や見栄えの豪華さが、その施設の良さではないのだと思う。

国の威信を発揮・高揚させるためのシンボルよりも、そこを実際に使うアスリートや観客である国民に愛される施設としての普遍性を大切にしてほしい。

願うならば、今後新造される鉄道車両というのも、将来を担う子どもが実際に身近に乗れて夢を与えるような…そんなコンセプトを大切にしてほしい。

短絡的に「いまカネを持っている」年齢層や富裕層を相手に、短期的な売上や収益、話題をビジネスライクに目論むよりも、子どもという柔らかな心を持つ大地に、ひと粒ずつ種を蒔いたり、1本1本の苗木を地道に植え、やがて見事な花が咲いたり、林や森になって多くの人の心を潤すような…そんな時間や手間のかかるビジョンや理念で事業を進め、やがて世界的に評価されるような「尺度」や「価値感」があってもいいと考える。

話を元に戻そう。
車内で食事を摂りながら、車窓や移動を楽しめる「ダイニングトレイン」であれば、昨年乗車したJR東日本の「TOHOKU EMOTION」は素晴らしかった。

決して華美ではないが、気品のあるインテリアや沿線の海に溶け込むような、白亜の灯台を思わせる車両外観も乗っていて清々しい気分に浸ることができた。

料金的にもリーズナブルで、このような列車に乗る乗客や沿線の皆さんとの交流が、その地域を明るく元気にしてくれるのだと感じた。

このたびの「或る痛車」の運行が、その地域の人々や乗客とどのような交流が生まれ、双方にどのような「心の恩恵」をもたらすのか、期待したい。
 

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