サイクルトレイン運行

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2018年1月 5日 07:01

子どもの頃、旅先のローカル線で大きな袋を積むお兄さんを、しばしば見かけた。

帆布製の「輪行袋」と呼ばれるものに入っているものは、自転車であった。
コンパクトに分解、収納された袋口には昔の荷札のような手回り品切符が結わいてあった。

お兄さんたちは景色の良い沿線の駅で降り、再び自転車を組み立て、駅から颯爽と清々しいロケーションの中へと溶け込んで行った。

子どもながらにそんな姿を見て、「移動の自由さ」というものを具体的に見た実感があった。

時を経て今朝の新聞で、JR東日本千葉支社が「B.B.BASE」という列車を運行する記事に目が留まった。その略称は、「BOSO BICYCLE BASE(房総バイシクルベース)」だそうだ。

自社通勤電車の209系をリメークし、6両編成に座席数と同じ99基の自転車ラックを搭載しているとのこと。しかも、そのラックは自転車をそのまま立て掛ける仕様になっており、分解や組み立てをせずに固定できるという。

運行路線は房総方面へ4コースあるそうだが、発着が両国駅というのが素敵だ。
かつて、房総方面へのターミナル機能を有していた頭端式ホームのある駅。

頭端式ホームは私鉄ターミナル駅では、お馴染みの光景だが、ことJRの都市部においては希少な存在だ。

このサイクルトレインを利用するには、通常の乗車券では乗れず、旅行商品として販売される形になるが、このような列車の運行には拍手を送りたい。

とかく、株主の顔色重視、富裕層向けの豪華列車に投資、効率及び都市部優先の事業開発という印象が否めない鉄道会社だが、こうした列車を利用する人々の喜ぶ顔を見れたり、夢を乗せる列車を走らせられるなら、印象も変わってくる。

願わくば、日本を代表する鉄道会社の1つとも言える事業規模だからこそ、都市部でぜひ実現していただきたいささやかな車輛や列車もある。

それはやはり、通勤時間帯における妊婦、高齢者、ベビーカーや車椅子利用者の専用車両を設定していただきたいこと。

女性専用車両が既にあるのだから、これも実現できないものだろうか。

人口減少が始まっているとはいえ、まだまだ都市部の通勤ラッシュは悲惨な状況だ。
そんな過酷な時間帯に列車を利用せざるを得ない、上記のような利用者がいることは、車掌長も日頃通勤時に目にし、案じている。

待機児童問題も同時に抱える都市部において、自宅近くでない保育場所へ送り迎えするため、止む無く通勤時の列車に子連れで乗る親子も沢山いる。

また、妊娠期の辛い時に座席を確保できず、周囲から押し合い、圧(へ)し合い、もみくちゃにされるのは、その人の身になってみれば苦行に尽きると容易に察する。

車掌長は専務車掌の妊娠時にその辛さを理解できたし、何度か席を譲っていただいた恩返しに、今では見かければ席を譲るようになれた。

それは、「席を替わりましょうか?」という発想ではなく、さりげなく「どうぞ」というアイコンタクトで、その席や車両を離れてしまう方法だ。
ほぼ、その譲りたかった人がそのまま座ってくれるが、中にはそれでも遠慮してなのか座っていただけず、意中でない人が座ってしまうオチもあるが…

もちろん、優先席などという、譲り合いの幻想を謳う貧相なスペースもあるが、日本には「マイ・プレジャー」の文化も思想も乏しきゆえ、女性専用車両のように、「制度」として設けなければ解決しないと思う。

話は戻るが、サイクルトレインのような列車は、実は上信電鉄など地方の鉄道会社では既に行っているところもあり、形はもっとシンプルかつ日常の「足」として運用されている。

本来はそんな形が望ましいが、先ずはJRが試みとして運行を開始したことを嬉しく思い、勝手なことを綴ってしまった。

株主の顔色やら、富裕層相手等、不躾なことも書いたが、事業の対象となる圧倒的多くは、その広い事業エリアにおいて日常の通勤・通学・ビジネス・旅行・趣味等で鉄道を利用する、ごく一般的な人々だ。そして、それらの人々の中でも仕事以外であれば、身銭を切って利用する庶民だ。

そうした圧倒的多数の多様な一般利用者の喜ぶ顔や安心して乗れる、時に日常を離れリフレッシュできる旅も楽しめるような、鉄道事業者であってほしいという、願望や期待を込めて綴っていることをご承知いただければ幸いに思う。

一定の形式やテンプレートに当てはまらない利用者は、サービスの対象外という無用な印象を持たずに済むような…、そんなことを難しさも理解した上で望みたい。

末筆ながら、「B.B.BASE」が出発する両国駅までは、どうやって載せる自転車を運ぶのだろう…
そこまで運ぶために、やはり従来の輪行袋に入れて自宅最寄駅から携行するのか、それとも両国駅まで自走してくるのか…

一旦、輪行袋に入れてしまうなら、再度両国駅ホームで組み立てて乗せるよりも、輪行袋のまま乗車するか、そもそもそのトレインを利用せず、通常の列車で運んでしまった方がラクか…

自転車に関しては素人ながら、そんなことにもふと想いを馳せた。
 

「夢ハウス・あずさ号」乗車

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年5月 4日 04:47

夢は叶う…そんなことを実感させてくれる体験をした。

風薫る五月、GW後半突入前日が車掌見習の通う幼稚園の開園記念日で休みだった。
ならば…と、車掌長も急遽代休を取り、以前から体験してみたかった宿の予約を取った。

その名は「夢ハウス・あずさ号」
2年ほど前、列車として泊まれる宿(施設)を探していた折、見つけた宿だった。

しかしながら、その頃はまだ車掌見習が小さすぎて、連れて行っても記憶に残らないだろう…と機会を探しながら温存しておいた。

当日は6時半に車掌区を出発、関越・上信越道を通り、9時過ぎに上田城に着けた。
昨年「真田丸」で賑わった余韻を感じながら、藤が見頃となった城跡を散策した。

上田駅で車を置き、北陸新幹線に1区間だけ乗車。
3月から車掌見習と始めた「鉄道ふたり旅」信州版ミニを、専務車掌も加え敢行した。

佐久平で小海線に乗り換え小諸へ。
ディーゼルカーの車窓からは、遠くの山々の頂には残雪が光り輝き、手前の山々では新緑が芽吹き、淡い緑や濃い目の緑がパッチワークのように混在し、まさに「山笑う」春の到来を楽しませてくれた。

小諸到着後、駅前の食堂で昼食をとり、懐古園へ向け跨線橋を渡った。
懐古園入口となる三の門は、小学6年の移動教室で来た際に集合写真を撮ったが、当時とほとんど変わらない光景に懐かしさが込み上げた。

三の門を潜(くぐ)り本来であれば、城下町よりも低い位置にある全国的にも珍しい「穴城」の城跡を見学したかったが、さきほども上田城に行き、車掌見習に我慢を強いたので、ここは車掌長が譲って隣接の児童遊園地に足を向けた。

ここは市営とあって入園料も不要で、幼児向けのアトラクション利用時のみ、のりもの券を買うシステムで、メリーゴーランドやミニSLなどがお客さん待ちの貸切状態だった。

のどかな時間が流れ楽しかったが、個人的には敷地中央に鎮座していた長野県警航空隊のヘリコプター「初代やまびこ」に目が留まった。
この機体が、日航ジャンボ機墜落事故の際に生存者発見に尽力したことを知った。

再び小諸駅に戻り、次のしなの鉄道の列車まで時間があったので、車掌長単独で駅周辺を散策。
長野新幹線開業で東京を結ぶメインルートから外れ、寂れた印象は否めないが、昔ながらの駅舎の佇まいやラッチ(有人改札)を見ると、心が和んでしまう。

また、駅前の路地裏には飲食店が肩を寄せ合うように並び、往時の活気が想像できた。
こうした路地が形成する独特な「街」の造りや空気は、アイデアや活用次第で人が訪れる仕掛けになり得るなぁ…と感じた。

そんな感慨に耽(ふけ)り115系電車で上田に戻ると、チェックインの時間が近づいた。

上田駅の駐車場で宿の住所をナビに入れてみると、3㎞弱、10分足らずと算出された。
千曲川を渡り、左方向に車を走らせると、ほどなく看板が現れ右折、宿に到着した。

宿の入口横には、「あずさ」の先頭車両がガラス越しに見えた。
胸高鳴る瞬間であった。

玄関の引戸を開け、ご挨拶をすると駅長の鈴木さんが出迎えてくれた。
そして、外観からは想像がつかない広い空間と、1両の列車が目に飛び込んできた。

家屋内にあずさ号が停車している…
ちょっと、現実と夢想とを錯覚してしまうが、今宵の宿であることを次第に認識した。

車掌長がこのように段階的に目の前の現実を受け入れる心の準備をしたのと裏腹に、車掌見習はそういう面倒な思考のプロセス無しに、本能的にあずさ号の中へと消えて行った…

その姿を見て、鈴木駅長が早速、車掌見習を運転席に案内してくれた。
マスコンキーを運転台に差し込み、幾つかの操作方法を教えて下さった。

宿泊中は、運転席に上がり放題、車内放送や鉄道唱歌のオルゴール音、自動ドア開閉も可、そして滞在のシメは翌朝の警笛を一笛鳴らせる…
このようなことを含め、1車両丸ごとを貸切で滞在できるのであった。

車内は畳敷きであるが、座席の一部はオリジナルなまま残され、走行こそしないものの、どこかの駅に停車中であるような楽しみ方はできる。

この183系の座席は車掌長も子どもの頃に乗ったときに、簡易リクライニングシートの背もたれのスライド感が、子どもながらにも不自然で好きではなかったが、それも今こうして座るとノスタルジーという味付けが加わり、なかなか良い座り心地であった。

1時間ほど、車掌見習とノンストップで遊び、お風呂をいただいた。
こちらは家庭用の大き目の風呂だが、目的が温泉ではないのだから問題無し。

そして、風呂上りの食事までに再び車両での運転ごっこや、ホームに無造作に置いてあった近江鉄道の方向幕操作に夢中になった。
とくに、車掌見習は幕回しが好きで、色々な行先を自身で自在に操れるようになった。

やがて夕食の刻を迎え、食事処へ。
アツアツの釜飯と手打ち蕎麦が美味であった。

翌朝6時過ぎ、車両にメイン電源が入ると、車掌見習が早速運転台に上がりたいとせがむので付き合った。
制帽をかぶり朝から車内放送や乗降ドアの開閉を楽しんだ。

チェックアウトの時刻が迫ると、いよいよあずさ号滞在のハイライトである警笛体験。
車掌見習は大きな音が苦手だが、今日はさほど驚かずに喜んでいた。

親子ともども、素敵な滞在を楽しませてくれた「夢ハウス・あずさ号」。
鈴木駅長がこの車両を手に入れ、民宿として営業をしていることは、多くのマスコミにも取り上げられ、ここでの詳細は省かせていただくが、その夢を叶えたエピソードには感銘を受けた。

夢は叶う…
Dreams come true…

車掌長は欲張りだから願いは幾つもあるが、もし何か1つだけ叶うとしら、車掌見習が「自分の力」で「自信を持って」生きていけるように育ってほしい。

既にカミングアウトしている通り、車掌見習には発達障害がある。
発語の遅れもあるが、幼稚園に入ってこの1年でだいぶ語彙も増えたし、発語できる言の葉も増えた。

だが、それはまだまだ親が贔屓(ひいき)目に掛け値なしで、言ったことを聴き取る努力をしていることも否めない…

他人が聞けば、まだまだ不明瞭で意思疎通が難しい場面も少なくない。

また、この障害に特有なこだわりや行動パターンもある。
それは、悪いことではないが、やはり事情を知らない他人が見れば、奇異に目に映るだろう…

しかしながら、「奇異」と「特異」は紙一重で、如何様にも見方や評価は変わる。

車掌見習の特異的なことは、記憶力だ。
一度通った道や行った場所は、いつも覚えていたり、どこで何をしたかを彼なりに記憶の引き出しから出し入れできることに、専務車掌と驚かされることも少なくない。

そんな部分的に秀でた「力」は、トコトン伸ばしてあげたい。
そして、その興味を後押しするような「体験」を惜しみなく作ってあげたい…と思う。

車掌見習は「夢ハウス・あずさ号」を後にするとき、「また来るね~」と言った。

その願いは必ず叶えてあげるし、その時にどれだけ成長しているか…
そんなことに目を細めながら、今回の旅を終えた。

末筆ながら、夢ハウス・あずさ号の皆様には大変お世話になりました。
この場を借りてお礼申し上げます。
どうもありがとうございました。
 

鉄道ふたり旅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年3月22日 05:02

2月下旬に初めて車掌見習と敢行した、鉄道ふたり旅。

その成果と言うか、車掌見習の喜びように気を良くした車掌長。
結局、あれ以来毎週、ちいさな旅を続けている。

毎週というのも、頻度としては行き過ぎだが、車掌長がこんなことができるのも先週までのこと。
来週から数か月は、また一年で最も仕事が忙しい時期に入る。

しかしながら、ふたり旅をしている時の車掌見習は見ていて飽きない。
子供向けの鉄道本に出てきた車両を見つけると興奮し、テレビで観た旅番組をマネしながら、小さな旅は進行してゆく。

1本の列車に長く乗ることはない。
むしろ、乗り換えを沢山組み込み、色々な線や車両に乗ることが最優先だ。

こんなことをしていると、ふと、車掌長が小学3年だった頃を思い出した。
東京近郊や一部関東地方にも足を延ばしながら、ひとりで色々乗り歩いていた頃だ。

また、当時住んでいたアパートの隣の部屋に住む親戚がいて、年長組のはとこのN君の子守を頼まれることがしばしばあったが、車掌長はそんな時、N君を連れて東京近郊の電車を乗り歩いた。

今もそうだが、子供に同伴される幼児は運賃不要なので、車掌長自身の小人用切符で、子守を兼ねたちいさな旅ができた。

今思えば、小学3年生が幼児を連れて電車を乗り歩けるほど、とても大らかな時代だった。

そんな感慨にも耽(ふけ)りながら、車掌見習との旅を楽しんだ1ヶ月であった。
 

車掌見習と初の鉄道ふたり旅

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年2月26日 06:18

昨日、車掌見習と小旅行に出かけた。

その背景は、専務車掌が所用で半日出掛ける為、ならば上司・部下の男ふたり旅に出ようと考えた由。ただ懸念が一つ、車掌見習が専務車掌と離れて半日を行動できるかどうか…であった。

だが、それは杞憂に終わった。

当日未明、車掌見習のために乗る列車リストを作成した。
乗る駅と列車名をひらがなで表記し、乗る順に番号をつけ、列車の画像も入れた。
それは下記のような旅程となった(画像略)

①しんじゅく おだきゅうロマンスカー(EXE)
②ふじさわ えのでん
③えのしま しょうなんモノレール
④おおふな なりたエクスプレス(E259けい)
⑤とうきょう かいじ(E257けい)
⑥はちおうじ スーパーあずさ(E351けい)

車掌見習はひらがな、カタカナとアルファベットの最初の方は読め、JR・私鉄特急の名称や車両形式もだいぶわかるので、この用紙を見せたら小躍りして喜び、車掌長と行くことになんの支障もなく事が動いた。

専務車掌が車内で食べるお弁当を作り、いざ、車掌区最寄のバス停から新宿駅へ。

昼前に出発したロマンスカー車内で早速ランチ。
車掌見習はふだん残すようなおかずも完食、車掌長は駅売店で買った好物「深川めし」を頬張った。

最近のテレビ番組で車掌見習が好きなものは、BS12チャンネルで放映中の「鉄道ひとり旅」。
ダーリンハニーの吉川お兄さんが、淡々としたコメントを発しながら、全国各地の鉄道を乗り歩く内容で、車掌長も楽しく視聴している。

その番組をマネて降りる駅ごとに、「今日は○○駅にやってきました」と、駅前でふたりで発し合った。
一方、各駅での乗り換えでは結構歩いたり、階段を昇降した。エスカレーターがあっても、階段を使いたいというので、車掌長には良い運動にもなった。

各列車の車内では、車掌見習と鉄道クイズに興じ、すれ違う列車名や形式、通った駅名などをお題とした。
日常、「話す」訓練やコミュニケーションに励んでいるが、発語しにくいこれらのさまざまな単語を、車掌見習なりに一所懸命に言おうとしている姿は、まことに健気(けなげ)で愛しい。

しかしながら、他の乗客がそのやりとりを見れば、不思議な親子、もとい上司・部下に映ったであろう。

また、昨年暮れ頃から、JTB時刻表のピンク頁にある列車編成表に興味を示し、どの列車の何号車が自由席だ、指定席だ、グリーン車だ…などと、それぞれのマークを見て確認するのが好きなようで、今回もJR特急の先頭から最後尾までの編成を各号車を見ながらふたりで確認した。

乗る列車が残り2本となった「かいじ」で、車掌長もホッとしてビールを1本買い、車掌見習はオレンジジュースで乾杯。

ところが、その1本で急に用足しが多くなり、しょっちゅう車掌見習をトイレに同行させてしまい、厠で過ごす時間が多く、申し訳ない状況になってしまった。

最後のスーパーあずさに乗って無事に新宿着、全行程を完遂できた。
車掌区へ帰るバス乗降場に向かうと、所用を終えた専務車掌が待っていた。

車掌見習は満面の笑みで駆け寄り、専務車掌も久々に子育てから離れた時間を過ごせた充足感も相まって、感動の抱擁シーンを見せてくれた。

車掌見習と初の鉄道ふたり旅だったが、今後もシリーズ化しそうな大成功であった。
 

新年は旧型客車に乗って

カテゴリー:①番線:鉄道(JR・私鉄)方面 2017年1月 7日 16:53

恭賀新年

例年、年明け最初の「大安」に初乗務していたので、本来であれば今年は3日に綴るべきところ。
しかしながら、本年は2日から出掛けっぱなしであった為、せめて正月七日までには…と思い、珍しい時間帯に只今綴っている由。

その間のトピックスと言えば、専務車掌の実家へ帰省の折、車掌見習が切望していた「リニア・鉄道館」へ連れていったこと。

そして、二人は少々長めに実家に滞在する為、帰京は一人であったが、日頃お世話になっている「哲×鉄」保線区に泊めていただき、新年を祝ったこと。

その際、保線区長の本来の仕事で数か月に及ぶビッグなプロジェクトが完遂との報。(保線区長は仕事の密度が非常に濃いので、一般的には数年分の業務量だったかも!?…)
更に、今後も佳き展望が開けそうな話も聞け、祝杯を重ね美酒をいただいた。

帰京した日、前職医療機関勤務時の同僚らと再会。昭和な雰囲気の某お好焼屋で、当時の懐かしい話や互いのプライベートな話を突っ込んだり、突っ込まれたりしつつ楽しいひとときを過ごした。

そのお好焼き屋に行く前、某駅みどりの窓口で、ダメ元で7日運行の「SLレトロみなかみ号」の空席を照会したら、残2席との返答。一切の迷いなく、即座に1名分の指定席券を買ってしまった。

そして、本日。
朝5時に家を出て、新宿から埼京・川越、八高線経由で高崎入りし、9:56発のSLを出迎えた。
機関車はC6120。しかも旧型客車6両を連ねての入線には、童心に戻りワクワクしてしまった。
ホームに停車中の各客車の床下からは、車内を温める蒸気暖房の湯気が漂っている。

この光景は、大袈裟ではあるが、映画「さよなら銀河鉄道999」で、ラーメタル駅での鉄郎とメーテルとの再会シーンを思い出してしまった。

旧型客車は、車掌長が小学生から高校生くらいまで、各地へ追い求め乗った車両…

当時は長距離鈍行列車というものが幾つも存在し、例えば、1本の列車が山陰本線を18時間以上かけて走破したり、名古屋から紀伊半島を一周して天王寺までを夜行区間を含んで走るなど…いま思い振り返れば、とてつもなく贅沢にノンビリとした時間の使い方の旅ができた時代だった。

最後尾の車両からは、オープンエアで流れ去るレールを飽きることなく眺めたり、窓の開く座席からはその土地の匂いを景色に添えて楽しめた。

スマホもない時代、向かい合わせで座った者同士が、目を見て、気さくに言葉を掛け合う、生きたコミュニケーションができたのも佳き想い出だ。

今回の突飛な行動は、そんなノスタルジーが呼び起こしたに違いない…

実際に乗った感想は、「感無量」。
記憶というものは、やはり実物に触れたり嗅いだ匂いで、鮮明に過去と現在を結びつけてくれた。

車掌見習には、まだまだ新幹線の方が魅力的かもしれないが、親が味わった時代の空気を感じられるような機会をつくってあげたいと思った。

それを本人が好こうか、好くまいかは、別の話だ。
ただ、その経験はきっと、時を経た何かの折に、脳内で有機的に何かと結びつくかもしれない。

経験の有無とはそういうものだ、ということを車掌長は認識している。

見聞だけでない、リアルな体感や経験こそが、きっと役に立つことこそあれ、無駄にはならないと思う…

末筆ながら、今年も独りよがりな見識を綴り、見苦しいこともあると思いますが、よろしければお付き合いのほどお願い申し上げます。

日頃、「哲×鉄」にご乗車いただいている皆様におかれましては、本年も佳き御年になりますこと、心から祈念しています。
 

前の5件 1234567891011