哲×鉄ブログ本線車内放送⑦
カテゴリー:⑪番線:哲×鉄 車内放送 2013年2月26日 20:48
車掌長の関わったテレビ番組のお知らせです。
昨日(2/25)から2週間にわたり、NHKテレビ「ゆうどきネットワーク」で、東日本大震災の被災地の今を巡る旅を放映しています。
東京から仙台まで鉄道とバスを使って被災地を巡り、そこで出会った人々や風景にスポットを当てて日々北上していく内容です。
車掌長はこのロケの旅程を組むお手伝いをさせていただきました。
取材のスケジュールに合わせて、JRや私鉄、バスといった公共交通機関での移動で各スポットを結ぶプランを、JTB時刻表とにらめっこしつつ楽しみながら組んでみました。
某鉄道会社では取材上の制約が多く、旅程の立て直しも幾度かありましたが、良い経験をさせていただきました。
番組は月曜から金曜の16:50~18:00ですが、そのコーナーは17:05頃から約10分間のようです。
初日はNHKのある渋谷から、千葉県の仮設住宅がある飯岡へ。
2日目は鹿島神宮から茨城県の雛祭りで有名な真壁へ。
明日は茨城県の北茨城市へ向かいます。
3月8日(金)までの放映ですので、よろしければぜひご覧になってください。
トンボ鉛筆100周年
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年2月21日 05:46
文具大手の「トンボ鉛筆」が創業100周年を迎えた。
トンボ鉛筆は1913年(大正2)、「小川春之助商店」として創業。
1927年発売の高級鉛筆のロゴにトンボの絵を用いた。
以降、トンボ印は長い間親しまれてきたが、1995年に一度姿を消してしまった。
しかしながら、このたび新ロゴが採用され、トンボ印が復活!
車掌長は嬉しさが込み上げた。
何故ならトンボ鉛筆には、車掌長の良きジンクスがあるからだ。
それは、この鉛筆で受けた試験には「落ちない」というもの…
ただ、あらかじめ誤解がないようにお断りしておくが、世間で言う超難関な学校の受験や高度な資格の話ではない。
あくまで個人的な「身の丈に合った」話としてお聞き願いたい。
車掌長は中学3年くらいから、鉛筆を愛用していた。
そして、芯は鉛筆削り器ではなく、ナイフで1本1本削っていた。
毎朝のこの習慣が、気持ちを清々しいものにしてくれた。
六角形の角を削り、次第に芯がシャープになってゆくのは至高の時間だった。
また、ふと集中力が高まることにも気が付いた。
そして、正則高校時代に、運命的なトンボの最高級鉛筆「MONO100」と出逢った。
これはトンボが創業55周年を記念して世に登場し、その12本入りのサービス品として「MONO消しゴム」が誕生したことは知る人も多いだろう。
また、この消しゴムがオマケにはもったいないほど、優れた製品であった。
後に、このMONO消しゴムが一商品となり、鉛筆よりも売れるようになったのは皮肉だが…
車掌長は黒のケースに入った黒色の最高級鉛筆「MONO100」に惚れ込み、毎回ケースで買うようになった。
確か1本120円ほどしたと記憶しているので、高校生にはかなり高価であった。
硬さは書き味がほどよく柔らかな「B」を愛用した。
軽いがフワフワした感触を抱かず、書き疲れない重さも好きだった。
やがて大学に入ると、日常の筆記用具は万年筆へと代わった。
授業も、日常のメモも全てブルーブラックのインクを装填し、ペン先は「M」という太字のものを長く使用した。
しかしながら、試験や資格受験の際は先述の鉛筆を使った。
おかげさまで、当時の旅行業の国家資格である「国内旅行業務取扱主任者」や、「一般旅行業務取扱主任者」にも、科目免除なしで一発合格できた。
今これを綴っていたら、ふと「MONO100」があるかも…と、普段使わない引き出しを開けてみた。
残り4本が入ったケースに再会!
そのケースの蓋には、今回復活したトンボのマークは上向きだが、下向きのおじぎをしたような謙虚なトンボに再会できた。
偶然ではあるが、この「MONO100」は1967年に誕生だから、車掌長とは同級生だ。
また久しぶりに鉛筆を使ってみたい…、と思った45歳3日目の朝であった。
コメント(2件)
希望者挙手さんからのコメント(2013年2月22日 00:44投稿)
私は、今もOLFAカッターで鉛筆を削ってますよ。
子供の頃は、肥後の守でしたが(笑
私は一時期、大量の文字を書く勉強をしていましたので、鉛筆の軽さは試験対策上、軽視できませんでした。
そして、私も車掌長と同じく「B」派です。
自分の筆圧に合っていて、一番疲れにくい硬さですね。
ちなみに、今のマイブームは、消せるボールペン「FLIXION」です。けっこう便利ですよ。替芯がちょっとお高めですが。
そういえば、車掌長はご存知かと思いますが、通勤途中にある本屋さんで、「旅と鉄道」の4月増刊号で「時刻表探検」という面白い本を見つけましたよ。
車掌長さんからのコメント(2013年2月22日 22:22投稿)
希望者挙手 様
毎度ご乗車ありがとうございます。
肥後守(ひごのかみ)、懐かしいですね!
僕らの子供の頃は、みんな普通に肥後守のような折りたたみ式ナイフを持っていたり、使っていましたネ。
また、十徳ナイフという大変重宝な刃物もありましたが、今ではやたら所持していると犯罪になりかねないから困ったものです。
しかしながら、希望者挙手さんも鉛筆ご愛用者とは嬉しかったです。
大量の文字を書いて覚え、達人的な電卓さばきで、難関な資格を幾つも取得されたこと、車掌長も存じております。
それにしても、鉛筆ならではの木の温もりや、滑らかで柔らかな書き味は良いものです。
鉛筆を削ることなんて、今やどれほどの子供ができるのでしょうか…
危ないと言われれば、「そうではない」とは言えません。
また、削る時間がムダと言われてしまえば、それは「価値観の違い」としか言えません。
ふと世の中を見回せば、書籍や音楽、映像など一通りのエンターテイメントが、手のひらでの操作で読めたり、聴けたり、見られる昨今…
何でも一瞬かつ簡単にワンクリックで手に入ることは、確かに便利なことです。
しかし、その便利さと引き換えに「感動」や「憧れ」「愛情」はだいぶ薄らいだと言えないでしょうか?
モノを買うまでの楽しみや、店頭で探し当てたり、手にした時の喜び、そしてそれを持ち帰えるまでのワクワク感や、家で包みを開く時の緊張感…
そんな醍醐味が失われつつあることに、一抹の寂しさを感じます。
せめて子どもたちには、そんな亜流な大人の便利さをマネしてほしくないのです。
本物や実物にしかない、リアルな素材の質感や風合い。
それを作った人の情熱や想い。
何よりもそれらを大切に扱い愛しく想う、自分自身の心の在り方etc…
そのような体験や実感を1つ1つ積み重ねて、自身が良しとする、満足できる価値観を築き上げてほしいと願うのです。
誰がやっても同じ結果を得られたり、簡単に模倣できるデジタル的な便利さよりも、自分が苦労や工夫をして得たアナログ的な価値や成果を大切にしてほしいと思います。
遠回りのようですが、そうすることが、考える力や独創性という、困難な時代を生きるために必要とされる「力」を育むように考えます。
ところで!
「旅と鉄道」の臨時増刊号、よく見つけましたネ。
車掌長も既に購入済みで、楽しく読んでいる最中です。
車掌長が中学生の頃よく読んだ、鉄道紀行文学の第一人者であられる宮脇俊三氏の、没後10周年の節目に出されたムックです。
「時刻表2万キロ」や「片道最長切符の旅」などを読み耽(ふけ)って、部分的な追体験を一人旅で楽しんだことを思い出します。
2件のコメントがあります → まだまだコメントお待ちしてます!
39年前の今日
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年2月19日 21:00
私事ながら、今日は誕生日。
誰にも年1回、平等に訪れる歳を1つ積み重ねる記念日。
45歳にもなって「誕生日なんか…」と思いつつ、親しい友人からお祝いメールをいただくと嬉しいもの…
そんな記念日に思い出したことがあったので、一筆残しておきたい。
39年前の今日、6歳の誕生日を迎えた記憶を鮮やかに思い出した。
車掌長は両親が共働きだったので、母の産休明けから保育園に預けられていた。
保育園へは、主に母親が出勤前に連れて行ってくれ、お迎えはいつも一番最後だった。
通園は母と妹と3人でバスや電車を乗り継ぎ、40分ほどかかっていたように思う。
39年前のその日は、母が前日からの夜勤でいなかったため、父が車で出勤前に園へ送ってくれた。
車だと10分足らずで着いてしまうが、その車中での会話を今でもよく覚えている。
「今日は凄いプレゼントがあるぞ」と。
そんな言葉を信じ、その日は父が帰ってくるのが待ち遠しかった。
父は大きな包み紙の箱を持ち帰った。
それは西ドイツ製の「メルクリン」という、世界的に有名な鉄道模型のブランド品だった。
HOゲージと呼ばれるサイズで、繋ぐと円形になるレール12本と、機関車と客車、そして「トランス」と呼ばれる制御機器が入っていた。
今でいう「スターターキット」のような基本セットだった。
お金の価値や比較概念がハッキリわからない歳だったが、幼心ながらに高価なものであることを直感した。
そして、その緻密な作り込みから、本来は子どものおもちゃではないこともわかった。
だが、当時誰も持っていないような、そんな鉄道模型をプレゼントしてもらい、とっても嬉しかったことを覚えている。
それ以降、お金を少しずつ貯めては客車や貨車を1両ずつ買ったり、レールを伸ばしたりしたものだが、やがて時刻表の使い方を教わってからは、興味のウエイトは次第に時刻表へとシフトしていった。
また、父から誕生日のプレゼントをもらったのは、その後なかったが、この唯一のプレゼントが一生の想い出となったことに心から感謝している。
話は変わるが、昨日から久々にアーカイブ本線の駅設置工事(各号の読みどころ)を再開した。
その再始点は車掌長自身の生まれた年月である1968年2月とした。
気ままな工事だから、残り550号ほどの駅を完成させるのには2~3年はかかるだろう…
しかしながら、「千里の道も一歩から」の言葉通り、継続してゆけばいつしかゴールは眼の前に訪れるもの。
そんな日を楽しみながら、各号の読みどころを独自の視点で綴ってゆきたい。
決して立派な内容ではないが、書店に並ぶ本にはないような、時刻表との時間旅行を楽しめる話題を丁寧に拾ってゆこうと思う。
皆様もどうぞ、気楽に気長に「哲×鉄」とお付き合いいただき、共に佳き歳を重ねてゆければ…と切に願った45回目の誕生日…
温泉達人会「第4回鉄&温泉委員会」
カテゴリー:⑥番線:温泉方面 2013年2月17日 20:41
先週の3連休、温泉達人会のメンバー12名で青森を訪れた。
温泉達人会には、名称こそ「委員会」「部」「組」など統一性はないが、自炊湯治、野湯、高級旅館、鉄道etcといった同好の者が活動できる分会がある。
今回はT委員長率いる「鉄&温泉委員会」の企画で、青森の温泉と鉄道を堪能した。
旅立ちは寝台特急「あけぼの」。
上野発の貴重な夜行列車だ。
この時季は日本海側(羽越本線)の風雪による運休が多いので、出発当日までドキドキであった。
幸い、JR東日本のホームページにも運休の情報は掲載されず、メンバーと上野で合流。
今回は「ゴロンとシート」での一夜。
みな思い思いの酒や肴を持ち寄り、区画ごとにミニ宴会が始まった。
開放型の寝台車も、いつ廃止になってもおかしくない状況ゆえ、名残惜しむように国鉄時代の武骨な造りを味わった。
また、今やほとんどお目にかかれない、平たい紙を広げて注ぐ冷水器もレトロ感いっぱいだ。
早朝の秋田駅では、予約していた駅弁「牛めし」を入手。
今では希少となった、駅弁の立ち売りを行っている関根屋さんに敬意を表したい。
終点の少し手前の弘前で下車。
一路、津軽鉄道に乗るべく五所川原を目指した。
途中、雪による遅延で乗り換え時間がギリギリとなり、慌てて津軽鉄道のディーゼルカーの乗り換え。
車内は相当な混雑だったが、1つだけポツリと空いた4名分のボックス席があり、これ幸いと座った。
座れて安堵し、辺りを見回すと、何やら賑やかな手作り感満載の飾りつけに気が付いた。
列車が動き出すと、どこからともなく、テレビや新聞記者が我々4人の席にやってきた。
その時わかったことだが、この日はバレンタインデー向けイベント列車「走れ!メロメロメロス号」の運転初日だと知った。
(ちなみにその夜、青森県内でのニュースに流れたり、翌朝の地元紙にも写真入りで掲載された。)
その後、金木でメロメロメロス号を降り、すぐさま折り返して津軽鉄道名物の「ストーブ列車」に乗車。
ストーブ前の席に座り、冷たいビールやストーブであぶったスルメに舌鼓を打った。
ところで、乗ってわかったことだが、ストーブの前は熱すぎて長居はできない。
戻った五所川原では金太郎温泉に入り、弘南鉄道で黒石へ。
そこからは、今宵の宿泊地「青荷温泉」の送迎バスに乗って雪深い秘湯を目指した。
青荷温泉は2回目だったが、雪の時期は初めて。
屋根の上には2メートルほどの雪が積もり、ところどころの湯屋から上がる湯けむりが出迎えてくれた。
ここは「ランプの宿」として有名な温泉。
ほのかなランプの灯りが、ピカピカに磨かれた館内の床を美しく照らしていた。
日が暮れる前に一通りの湯に入り、達人会貸切の囲炉裏の小広間で夕食を取らせていただいた。
ランプのシャンデリアのごとく5~6個のランプが照らす食卓は、光量不足で料理の詳細を掴みづらかった。
部屋に戻ると、ランプの灯りと石油ストーブのみの明るさ。
さすがに不便な感じはしたが、これも一夜のことだから風情があると思えるのだろう。
電気のない時代、行燈や提灯などのロウソクで過ごしたであろう夜の世界を疑似体験できた。
また、「蛍雪の功」などという言葉も思い出した。
蛍の光 窓の雪…
昔の人の苦労を偲ぶとともに、現代の暮らしの有難味を実感した。
翌未明、まだ皆が寝静まっている時間に「滝見の湯」に入った。
外は真っ暗だが、沢山の星が輝いていた。
湯屋の中はランプの灯りが1つのみ。
これは湯船で隣の人の顔もわからない暗さだ。
ちょうど良い湯加減で30分ほど入っていた。
音もなく、光もほとんどない湯の中は、五感が研ぎ澄まされるのを実感できた。
外はマイナス10℃…
非日常の時間であった。
少年の日の想い出
カテゴリー:③番線:時間旅行、時刻表方面 2013年2月 9日 06:59
昨日の新聞で、第4回日本語大賞を受賞した或る小学生の記事に目が留まった。
「日本語大賞」とは、NPO法人日本語検定委員会が「日本語の美しさや言葉のもつ力を見直したい」という願いから、年1回実施するもの。
第4回となる今回は、「人と人とをつなぐ日本語」がテーマだったそうだ。
今回、小学生の部で文部科学大臣賞を受賞した3年生のお子さんの全文が掲載され、車掌長の琴線に触れたので少々長いが紹介したい。(抜粋:2/8付読売新聞朝刊社会面より)
※なお、読みやすくするための行間は車掌長が空けたものなので、若干体裁は異なります。
題:「きっと、だいじょうぶ」
今年の夏、ぼくは一人で岩手県の八幡平市というところに行った。
東京駅から東北新幹線で盛岡まで行く。
そして花輪線に乗りかえて目的の場所までぼくは一人旅をした。
「不安だったら、あきらめてもいいんだよ」
お母さんは出発の当日までそう言っていた。
ぼくはとても不安だったけれども、どうしても、おばあちゃんに会いたかった。
不安よりもその気持ちのほうが強かった。
そして、とうとう発車の時刻になって、ぼくは心配そうに見送るお母さんに手を振った。
「ぼくはどこに行くの?」
となりのシートに座ったおじさんがそうたずねてきた。
「岩手県の八幡平です」
「ずいぶん遠くまで行くんだね。おじさんも八幡平には若いころ、行ったことがあるよ」
おじさんはそう言うとぼくを見てにっこり笑った。
けれどもぼくは黙っていた。
色の濃いサングラスが少し怖かったからだ。
新幹線に乗るのは初めてではない。
でも、東北新幹線に乗るのは初めてだった。
八幡平で民宿を経営しているおばあちゃんのところにはいつも自動車で行っていた。
時々、東北自動車道から新幹線が走っているところを見たことがあるけれど、その新幹線に今はぼくが乗っている。
なんとなく不思議な感じがした。
外の風景が山と田んぼばかりになったころ、車内販売がやってきて、となりのおじさんはビールとおせんべいとチョコレートとオレンジジュースを買った。
「ぼくからのプレゼント。はい、どうぞ」
おじさんがチョコレートとオレンジジュースをぼくに買ってくれたということよりも、おじさんが自分のことを「ぼく」と言ったことにぼくは少しおどろいた。
ぼくはお礼を言った。
今思うときっと小さな声でおじさんには聞こえていなかったと思う。
おじさんはビールを飲みながら新聞を読み始めていた。
お父さんやお母さんが読むふつうの新聞ではなくて、ちょっと変な新聞だ。
ぼくはとなりのおじさんがいい人なのか、そうではないのか、よくわからない感じがした。
「ぼくは盛岡でおりるんだろ」
突然、そう声をかけられてぼくはびっくりした。
「岩手の人はね、岩手山が見えると『きっと、だいじょうぶ』って気持ちになるんだよ」
おじさんは窓の外をゆびさして「今日はくっきりとよく見える」と言った。
大きな山が窓の外にははっきり見えた。
そういえば、お母さんも同じようなことを言っていたことをぼくは思いだした。
おじさんとぼくは盛岡駅で新幹線をおりた。
おじさんは宮古に行くと言った。
津波で家を流されてしまったけど家族は無事だったと教えてくれた。
そしてさいごに「きっと、だいじょうぶ。ちゃんと目的地に着けるよ」とぼくの頭をやさしくなでてくれた。
『きっと、だいじょうぶ』
その言葉はぼくの心の中に強く響いた。
以上
読み終えた瞬間、その光景が目に浮かぶようで心温まる感慨が込み上げた。
その感受性の高さも素晴らしい。
車掌長はこのお子さんの体験から、記憶の引き出しが開いた。
同じような年頃に一人旅をした想い出だ。
見知らぬ人が声をかけてくれるたびに、身構えたり、警戒したものだ。
でも、多くの人は持ち寄りの食べ物を分けてくれたり、励ましてくれたり、自分の身の上話をしてくれた。
今は物騒な世の中で、なかなか小さな子が一人で旅をするのは困難かもしれない。
それゆえ、この作文は車掌長の心底に染み入る郷愁があった。
強い寒風の日、そんな心がホットになった少年の文章に感謝したい。


