心に折り目を

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年2月 8日 05:25

もうすぐ、歳をひとつ重ねる…

51歳になったときから、新たに始めたことがある。
それは、日々の仕事で着用するスーツのスラックスにアイロンをかけること。

車掌長はアイロン掛けが好きだ。
20代の頃から、ワイシャツは自分でアイロンを当てており、30年近く続けている。

一時期、諸事情あって近所のクリーニング店に出していたこともあったが、糊の効き具合が自身の感性に合わず、日々のコストも馬鹿にならず、やはり自分で掛けたものが一番だと思った。

とは言うものの、車掌長のアイロン掛けは技術的に優れている訳ではない。
プロの御方に言わせれば、子どもが掛けたような仕上がりと評されるであろう…

では、何故、車掌長はアイロン掛けが好きなのだろう…と自問する。
それは、掛けているときに「無心」になれるからではないか…斯様(かよう)に思う。

また、アイロンを掛ける際は、長年の決まりごとがある。
それは、有線放送で好きなチャンネルの70~80年代の歌謡曲、J-POPの曲を聴き流すこと。

日常の物理的な或いは精神的なノイズや喧騒から離れ、ランダムにかかる好きな年代の曲に耳を傾け、無心にアイロンをあてるひとときは、まさに「癒し」の境地に誘われてしまう。

生地の縫い目を合わせ、サッと中温のアイロンをかけると、あたかも心のシワや淀みが取れるような、そんな清々しい思いがする。

そして、昨年51歳になったことを機に新たに始めたことが、上述のスラックスにもアイロンを掛けることだ。

ワイシャツは土曜か日曜の日中に、翌週分を4~5枚まとめて掛けていたが、スラックスは朝にその日穿くものを掛けている。

ワイシャツと違い、当て布を使い、左右の折り目を合わせて片足ずつ掛ける…
裾から膝あたりまでは、容易にこなせるが、シワができやすい膝より上や臀部(でんぶ)は、ポケットやプリーツもあったりして、なかなか根気を要する。

それでも、その日の仕事の流れや優先度を考えながら、15分ほどを費やし仕上がる頃には、一日のイメージが出来上がる。
ズボンプレッサーでは、得難い感慨だ…

それは、心に折り目をつける、つまり「形から入り心に至る」ような意味合いを意識する…

物事の所作は、まず形から入り心に通じるものがあると考えるが、仕事の形は、着衣にも「心」が表れるのだと気づいたのが、遅まきながら昨年のことであった。

まもなく52歳を迎えるが、もう少し続くサラリーマン生活は、この心持を堅持したい。
 

 

社員旅行

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年2月 3日 04:52

1月下旬、社員旅行で沖縄へ行った。

日曜発で2泊3日、全国的に低気圧に覆われ強い寒気が入り込むタイミングだった。
天気予報も旅行期間中は、沖縄を含め全国的に雨マークばかり…

社員の多くは、雨具や防寒具も携帯していたが、「スーパー晴れ男」である社長の新たなレジェンド達成にも、一縷(いちる)の望みを託した。

現地到着時は雨予報であったが、厚い雲が空を覆いながらも雨は止んでいた。

チャーターした8名乗りストレッチ・リムジン1台と、買い出し先発隊の一般タクシー1台に分乗し、滞在先への某リゾートへ約90分で移動した。

長さ10メートルほどあるという、フォードSUVのリムジンは圧巻…
車掌長も初めての体験で、途中立ち寄ってもらった高速のパーキングエリアでは、にわかに記念撮影大会となった。

リゾート到着後、今回3部屋を手配してあり、各部屋へは専用カートで移動。
滞在中、広い敷地内の各施設への移動にはこのカートを利用するが、これがまた楽しかった。

今回の部屋割りは、社長夫妻、女性社員4名、男性社員5名で洋室を各1室。
洋室とは言っても、最大6名利用可能な広い部屋で、テラスだけでも24㎡あり、ゆったりしたものだが、夫妻以外は修学旅行以来の多人数1室利用という者も多かった。

しかしながら、職場を離れ、2泊という時間をこうした部屋割りで過ごすことにより、ハプニングもありつつも、普段の仕事では見られないお互いの個性や習性も知ることができ、良いコミュニケーションを図ることができたと思った。

明けて2日目、社長の新たなレジェンドが達成。
太陽が顔を出し、予報は一転、最高気温も24℃の好天に恵まれた。

11時の観光出発まで、各々が清々しい太陽の日差しの下でホテル内のアクティビティに興じた。
セグウェイ体験、パターゴルフなど楽しんだ。

観光は古宇利島、美ら海水族館を訪れ、夕食は名護市内の沖縄民謡ライブショーを鑑賞できる居酒屋に入った。
沖縄料理にも舌鼓を打ちつつ、ライブショーも盛況で最後は皆でカチャーシーで締めくくった。

社員旅行最後の夜、社長夫妻の部屋でこじんまりと2次会。
その際、社員一同からの日頃の感謝を込めたプチサプライズを挙行した。

人数的には、こじんまりとした社員旅行かもしれないが、とても楽しく温かなものであった。
年齢構成は、20代、30代、40代、50代と満遍なく各世代がいるが、平成生まれの20代3名の若手社員には、今回の社員旅行はどのような受け止めだっただろうか…

車掌長も、色々な職場を体験してきた。
なかには、300名ほどの社員で2階建てバス10台近くを貸し切り連ね、宿泊ホテルの何百畳もの大宴会場を利用するような社員旅行も経験し、それはそれで当時は楽しかった。

しかしながら、世の中もだいぶ状況や様相が変わり、いまや社員旅行をする会社もだいぶ減ってきたと聞く…

「個」を意識するあまり、時間も空間も人間関係も、セパレートな感覚が日常に浸透している。
それは、或る意味「自己防衛」とも言えなくもない。

もちろん、それはそれで大切なことだが、雑多な「集団」や広くは「社会」の中で、本来は「個人」が認知され、その延長線上に「尊重」されるよう間柄が望ましいようにも思う。

そして、そのためには互いを知るコミュニケーションが必要不可欠だ。

その意味合いにおいて、社員旅行はまだまだ有用な職場ツールではなかろうか…と、昭和世代の車掌長は思った。

ただ、単に実施すれば良いという「形」だけものでなく、会社規模にもよるが、人任せや参加するだけのゲスト主義に陥らず、自分たちで作り上げる「社員旅行」というのが、キーワードであり大切なのかもしれない。

車掌長が勤務する会社は、繁忙期と閑散期が極端に分かれており、3月に入って爆発的に忙しくなるこの時期に、このような社員間のコミュニケーションが取れたことは、今後の円滑な業務遂行に寄与すると思われた。

だいぶお金を使っていただいた社長夫妻には、心より感謝。

 

成人の日

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年1月13日 05:43

今日は「成人の日」とのこと…

昭和生まれの車掌長にとっては、成人の日は1月15日との認識が、いまだ抜けきらず、毎年変わるこの日の日付にとても違和感がある。

とは言え、必ず3連休になる現在の「国民の祝日に関する法律」に則った方が、より多くの新成人が故郷でお祝いされたり、懐かしい仲間と交流できることを思えば、理にかなっているとも思える。

ところで、この「成人」についてだが、2022年(令和4)からは、18歳が成人となる。

ちなみに、同年19歳になる人々も、同時に「成人」となるそうだ。
また、従来の20歳成人の人々も、同年同時に「成人」になるようだから、2022年は3年分の「成人」が誕生することになるとのこと。

しかしながら、各自治体で祝される「成人式」は、18歳で行うのか、従来の20歳のタイミングで実施するのかは、各自治体判断に一任のようで、なんか煮え切らない感が否めない。

ただ、上述の法律で「成人の日」の意義は、こう謳われている。
「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」と。

話が脱線してしまうが、「成人」と「元服」とは似ているようで非なるものがある。

元服とは、男性と女性では対象年齢が違ったようだが、車掌長は中学2年時、つまり14歳の頃、クラス担任が「元服」について話してくれたことをよく覚えている。

そのとき、昔は君らと同じ歳で「成人」とされ、意識も責任も大人と同じものを自覚させられ、周りも一人前と扱った、という趣旨であった。

さらに脱線するが、「14歳」で思い出したのは、TVアニメ「ベルサイユのばら」の第一話。
マリーアントワネットの輿入れの際、護衛を担当する近衛隊の隊長に国王から任命された際、様々な葛藤の上、軍服に身を包み「女性としての人生と決別し、新たな大人の世界の第一歩を踏み出す」。
このとき、オスカルは14歳であった。

話を元に戻そう。
つまるところ、「成人」とは、法的な必要性は置いといて、本質的には単なる数字としての年齢ではなく、「本人が大人になる自覚」が芽生えた時点を指すのがふさわしいのだと、実感した。

なにはともあれ、現行制度の20歳で成人となる皆様には、祝意を表明したい。

足るを知る

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2020年1月 8日 05:52

先日、急遽風呂場のリモートパネルの電源が入らなくなり、不具合に陥った。

風呂をわかしたり、湯温や湯量調節が風呂場でできる便利なものだったが、その便利さを意識もせず、「あたりまえ」に日常使っていた。

いざ、使えなくなると、途端に「不便さ」を痛感した。
台所にも同じ別のパネルがあり、ここでも風呂で使う湯の諸調整ができるのだが、入浴中に大声を出して専務車掌を呼び、その操作をお願いするのも気が引ける…

したがって、入浴前にあらかじめ使う湯の温度を台所で設定してから、風呂での湯を使うわけだが、車掌見習と一緒に入ると、シャワーの湯温は41~42度が適温のようだが、熱めのシャワーが好きな車掌長は43度はほしいところ…

若干熱めにしたかったり、その逆を適宜操作できず、不便は不便であった。

そんなとき、湯舟に浸かりながら思ったことがある。
「足るを知る」という言葉…

時折、意識的にその言葉を思い出したり、大切にしている心構えのつもりでいたが、最近は失念しかけていたようだ…

無いもの、足りないものを嘆くのではなく、現状有るものや足りていることに、満足や感謝をするように理解しているが、「足りていることがあたりまえ」に思っていたフシは強くなかっただろうか…

それにしても、「足りる」「足らない」という漢字は、なぜ「足」なのだろう?と素朴な疑問も抱く。

「満足」「充足」「過不足」「自給自足」etc

これは、車掌長の持論に過ぎないが、「足」とは歩くための身体機能と捉えれば、何かの目的に向かって「歩く」、言い換えれば努力することのボリュームや熱量に対し、自身の満足度や不足度を感じるのではないか…と、勝手ながら位置づけている。

先人は「千里の道も一歩から」とか、「百里を行く者は九十を半ばとす」とか、車掌長の好きな言葉を残してくれているが、どれも自身の「足」で踏み出さなければ、始まらない。

日常、うんざりするほど煩雑な物事をこなす中で、自身の楽しみや人生の目標に向かって歩くことは、「足るを知る」こととセットにすることで、その長い道のりを無理なく完歩できるのかもしれない…

ちなみに、昨晩、これまた急遽、風呂のリモートパネルが3日ぶりに復旧…

振り回されることも、「足る」を実感する醍醐味に思えた。
 

夜明け前

カテゴリー:④番線:日々雑感方面 2019年12月31日 06:01

木曽路は全て山の中である…

38年前の今頃、この言葉を実感したく、旧中山道をひとり歩いた。
中学2年だった車掌長は、国語の授業で島崎藤村の「夜明け前」を学習した時分であった。

車掌長は「夜明け前」という状況が好きだ。
子どもの頃から、朝型の生活スタイルだったことも一因であろう。

中学生の頃、この言葉には、物事が始まる、動く直前、結果が出る前など、自分の努力次第によっては、何かを変えられる予感がする意味合いを感じていた。

とくに、高校受験を控えた今頃は、それまでの「自身」からの脱皮を図るような、「未知なる自分」と出逢う出立(しゅったつ)の好機ととらえていた。

そして、勉強や受験は、それを叶える道具と思えるようになり、不思議にも苦手な科目も親しみを覚えるようになった。

「イメージできることは実現できる」、これは今も大切にしている思考だ。
これができるということは、実現に至る「工程」が、自身でわかることと符合している。

その工程の中に、勉強や苦手なものが含まれていることが分かれば、克服も容易だ。

車掌長の友人もいま、高校受験を控え頑張っている。

来年は干支も一番目からスタートする年。
新たな飛躍を目指し、15の春を迎えられるよう、応援している。
 

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